再見 五 その一
琅琊山が霧に包まれる。
季節によって、琅琊閣一帯の山が、この様に真っ白な世界になり、趣がある。
霧の中、琅琊閣の山の一角にある、大きな一枚岩の上で、藺晨が剣舞に励んでいる。
朝一番の日課だった。
藺晨の体や剣の動きは素早く、剣が描く残光や、動作の一つ一つが流れるように美しい。藺晨が一流の剣士である事が伺える。
剣舞に打ち込む間に、藺晨のいる、大きな一枚岩の辺りの霧は、次第に晴れていった。
ひゅっ!
藺晨の耳元に、何かが飛んでくる。小さな物のようだ。
《ん?、、何だ??、虫か?。》
そう思って避けたが、次々と飛んできた。
ひゅっ、、ひゅっ、、、ひゅひゅひゅひゅ、、
《何だ何だ!!!???。》
飛んできたのを一つ捕まえ、避け続けていたが、やがて弾が尽きた様で、静かになった。
改めて手の中の物を見れば、、。
《青梅!!。》
「がー!、誰のイタズラだ!。」
青梅が飛んできた方を、怒鳴りつけると、岩の上で白ザルが笑って座っていた。
「お前か!。」
そしてもう一人、飛流もひょっこり顔を出した。
「飛流!。」
飛流は、藺晨が保護してきたにも関わらず、藺晨には懐かず、白ザルにだけ懐いてしまった。
藺晨は、仲の良い二人の様子を見ると、腹が立って仕方がなかった。
白ザルが飛流の方を向いて、藺晨を指差し、袋を渡し、身振り手振りで何かを伝えている。
飛流は頷き、袋の青梅を手に取り、藺晨に向かって、次々と投げ始めた。飛流の筋は悪くない。程良い強さで、藺晨に飛んでくる。
「飛流!、止めろ!。」
藺晨が青梅を避けながら、飛流に言うが、一向に止める様子がない。それどころか、白ザルまで青梅弾を飛ばし始めた。
白ザルは、わざわざ、藺晨の嫌な所を、狙って飛ばしてくるのだ。
藺晨は二人分の青梅を避けるのに、てんてこ舞いだった。
「うわぁぁぁぁ!!、止めろ!!、コラっっ!!。」
そう叫んだ所で、本当に弾切れになった。青梅を入れていた袋が、空になったのだ。
白ザルと飛流の残念そうな顔。何か二人で、賭けでもしていたのか、、。
「はぁはぁ、、、どうだ、避けきったぞ。」
息も切れ切れに、藺晨が勝ち誇る。
「だが、大したものだな。火寒の毒を抜けば、どんな剣士も、常人並に力が落ちるものらしいのだが。あの弾の威力で、狂いなく私を狙えるとは。」
白ザルがにこりと笑う。
「おいお前、ひょっとしたら、剣舞も出来るのではないか?。」
藺晨が、予備に持ってきた剣の柄を、白ザルの方に差し向けた。
白ザルは剣舞より、実践的な剣術の方が得意だった。
型のある剣舞は好きではない。ま、出来ない事は無いのだが。
とんっ、と、白ザルは岩の上から、藺晨のいる大岩まで下りた。
ひゅっっ、と、藺晨は剣を白ザルに向けて投げる。
白ザルは、投げつけられた剣の柄を、そのまま右手で掴み、鞘を抜きながらその場でくるりと一回りした
「ほぅ!。」
《やるな。》
白ザルは剣を、扱い慣れている感があった。
そこから剣舞をするのかと思いきや、白ザルは剣を持ったまま、藺晨に拱手して礼をする。
「なに?、私と手合わせするというのか?。」
白ザルは、にっ、と笑う。
「ふん、私は強いぞ。お前なんかに負けるもんか。さ、どこからでも来い!。」
白ザルはだらりと腕を下げ、剣の切っ先は地面を向いている。腕は下がっているが、背筋は伸び、何かあれば、直ぐに対応が出来るといった感じだった。
「ならば私が行くぞ。」
《驚かせてやれ。》
手並み拝見と、藺晨は白ザルの胸に目掛けて、剣を突いた。無論、寸止めにしようと思っていたが。
ぎりぎりまで、眉ひとつも動かず。肝が据わっているというか。この度胸に、藺晨の度肝が抜かれた。
あわや、剣が突き刺さろうという時に、ひらりと身体を翻して、藺晨の剣を躱し、藺晨の背後に回り込み、白ザルは剣の腹で藺晨の背中を打とうとした。気がついた藺晨が、身を躱し、白ザルの剣を避けた。
お互いが剣を躱して向かい合った時、藺晨は額に冷たい汗が吹き出るのを感じた。
《、、、怪童、、、そうだこのサルは、、。》
梁の都、金陵では、怪童と呼ばれていたのだ。
《火寒の毒に冒され、まだ尚、この剣の腕前を失わぬとは。
これ程の腕を持ち、琅琊榜に名が載っておらぬとは。何故だ?。琅琊閣の調査不足?、それとも父上の書き漏れか?。》
一度剣を交えて、互いが間合いを見極めていた。
相手の出方を見るべく、じっと動かず、剣を繰り出す機会を探っている。
どれ程、睨み合っていただろうか。静寂を破るように、甲高く、山鳥が鳴いた。その刹那、白ザルが飛び上がり、藺晨に切りつける。藺晨は白ザルの剣を、己の剣の腹で受けた。
白ザルは、いきなり剣を振り下ろしたが、藺晨が思う程の威力は感じない。
《なんだ?見かけ倒しか?。》
一瞬そう思ったが。
《いや、違う!!、これはフリだ!。》
藺晨が思った通り、白ザルの剣は藺晨の剣を離れ、流れるように弧を描き、藺晨の脇腹を狙った。
「くっ、、。」
あわや。
藺晨は体を低くし、白ザルの剣を逃れる。
そして互いにまた離れ、隙を伺う。
《なんて剣だ。》
藺晨はゾクゾクとしている。こんなに強い者は初めてだった。
この琅琊閣に、藺晨とこれだけ戦える者はいない。
皆、藺晨には敵わないし、藺晨自身、つまらないので、琅琊閣の者は相手にしなかった。
時折、『問』を持って、剣客が来る事もあり、藺晨が手合わせを求めるが、大概、面倒がって相手にしないか、適当に配(あしら)って、山を下りてしまう。
相手を求めて、山を下り、街を彷徨うが、これ程の腕の者はいなかった。
白ザルもまた、嬉しい様子に見える。剣を通して、相手の心が見えた。
藺晨にとって、こんな経験は初めてだった。
白ザルが、藺晨の剣を、待っているように見えた。
《白ザルの罠かも知れない。》
案の定、罠だった。
上からの一撃と見せて、そのまま剣を下ろし、白ザルの脛を狙った。白ザルはそれを読んでいて、飛び跳ねて空で回転して躱し、がら空きになった藺晨の背中を狙った。
藺晨もまた、地面に一回りして、白ザルの剣を躱した。
藺晨の隙を逃さず、白ザルは打ち込んでくる。
《これは戦場の剣だ。》
これまで見た、どの流派とも違う、実戦の剣。
志士の剣なのだ。
藺晨が窮する場所に、剣は飛び込んでくる。『何て根性の悪い剣だ』心底そう思った。(良く良く落ち着いて考えれば、剣とはそういうもので、、、。)
それでも楽しくて仕方がなかった。
暫し、互いの剣を楽しみ合った。
互いの剣が、百手を越えようかという時、急に白ザルの動きが鈍った。
「、、?。」
お互い、それでも続けていたが、遂に白ザルの動きが止まり、膝を折って蹲(うずくま)った。
「?、どうした?。」
白ザルの呼吸が荒い。
「、、あ、、。」
発作を起こしたのだ。
この所滅多に、発作を起こさなくなっていたので、すっかり油断をしていた。
白ザルの体には力が入り、強ばり、耐えるのに必死で、藺晨に脈を診せるのに、腕を上げることも出来ない。
仕方なく、白ザルの首筋から脈を診る。
鼓動が酷く激しい。