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熟成アンドロイド 前編

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 この個体を造り上げるための努力や時間を惜しんでいるわけではない。ただ、アーチャーのこの姿を見た士郎がどんなに傷つくだろうか、と気が気ではない。それから、今後、士郎はアーチャーのいない日々をどうやって過ごしていくのだろうかと……。
 プロトタイプであるアーチャーのおかげで、カリス技研工業のアンドロイドは初号機から三号機まで完成し、続く計画も順調に移行しつつある。世にアーチャーのようなアンドロイドが出るのは時間の問題となっているのだ。
 カリス技研工業が先導し、以降、この手のアンドロイドが主流となる世の中で、士郎はアーチャーと同じようなアンドロイドを見て、何を思うだろうかと、その心のありようが心配でならない。
(アーチャー、君も……)
 悔しいだろう、と黒い塊を撫でる。
「戻るのかよ、これ……?」
 研究員たちは、諦めたような声で不安をこぼした。
(戻る……? そんな奇跡が……?)
 切嗣にとってもここからアーチャーが修復することは奇跡ではないかと思えてしまう。
 ――――アーチャーが、まだ中にいるんだっ!
 諦めの空気が蔓延する中、必死に訴える士郎の姿が脳裏をよぎった。
「約束……したんだよ、連れて帰ると……」
「主任……」
「諦めることなどできない。彼は僕の、僕たちの技術の結晶じゃないか!」
 その言葉は研究員たちをはじめ、そう口にした切嗣自身をも奮起させた。
 今の今まで切嗣も諦めかけていた。だが、士郎を思い、そして、何よりアーチャーの意思をこんなところで途切れさせてはならないと、考えが百八十度切り替わる。
「培養液の準備を。できるだけ煤を取り除いて、貼り付いた人工皮膚もできるだけ保存してくれ」
「まさか、やるんですか? 正気ですか? 無理ですよ、皮膚組織のデータは、完全に飛んじゃってますよ、きっと」
「やってみなければわからない。自己修復は人工皮膚が最も顕著な部分だろう。僅かな欠片からでも修復できるかもしれない。それに、今後の製品化にも役立つはずだ。この機はプロトタイプ。修復データのすべてを今後に役立てるために、研究室のあらゆる機器を使っても構わない。どんな可能性も取りこぼすことなく、修復に当たってくれ。上との話は、僕がつける」
 切嗣はきっぱりと言い、アーチャーことSV―00の修復という名目を立て、社内的にも公的な扱いとし、どうにか士郎がアーチャーを完全に喪うという事態を回避するために動き出した。
(このままでは終われない。そうだろう? アーチャー……)
 もう一度黒い塊《アーチャー》を撫で、切嗣は士郎が搬送された病院へと向かった。



 ――アーチャー、死なないで!
 士郎は必死に願った。
 その胸にあるという、アンドロイドの核となる、人で言えば心臓の位置を両手で押さえ、顔を寄せて炎熱から守ろうとした。
 士郎を全身で包んだアーチャーの人工皮膚が焼ける臭いに恐怖心を煽られる。アーチャーが死んでしまう、と。
 ぎゅ、と目を瞑り、士郎は願うことしかできない。
 死なないで、と。
 “士郎”
 アーチャーの声を何度も聞いた。息苦しさと熱さで気が遠くなってくる間もずっとアーチャーの声を聞いていた気がした。
「アー……っ……ちゃ……」
 ひゅ、と息を吸い、両手が空を切って、びくり、と身体が硬直する。ぼんやりと白っぽい天井が見えて、何度か瞬く。
「ぁ……ちゃ?」
 答える声がないことに、全身が泡立ち、冷たい汗がどっと滲み出る。
「……っ……アーチャー!」
 飛び起きると、手を握られて、反射的に顔を向けた。
「ぁ……」
 望んだ者とは違うことに落胆する。
「士郎! よか……、ああ、よ、よかった……」
 目の下にクマを作った切嗣が脱力してベッドの側に膝をついた。
「じーさん、だ、大丈夫? えっと、アーチャーは?」
「…………」
「じーさん?」
 答えがない。
「うそ……。じーさん、うそ……だよね?」
 握られた手が痛い。切嗣の答えはない。
「アーチャーは……どこ……?」
「見る、かい?」
 切嗣の震える声が聞こえた。
 士郎は、ごくり、と唾を飲んで頷く。
「見る。俺は、見なきゃ。だって、俺が、あいつのマスターだもん」
「……わかった。歩けるかい?」
 立ち上がった切嗣に、士郎は頷く。少しふらつきながらだがベッドを下り、ぺたり、ぺたり、とスリッパを引きずりながら、士郎は懸命に歩いた。
 大きなケガのない士郎はすぐに病院を出され、カリス技研工業の医務室で眠っていた。普通なら丸一日は入院という運びになるのだが、カリス技研工業の医務室は病院と変わらない機能を有しているため、特別に許可されたのだ。
 廊下を歩く間、士郎は何も訊けなかった。そして、切嗣も何も言えなかった。やがて、研究棟に来てエレベーターに乗ったとき、
「士郎、先に言っておくよ。酷い状態だ。もう、戻らないかもしれない。だけど奇跡というものがあるのなら……、戻る可能性もある。期待は持てないかもしれないけど……、アーチャーは、強い子だからね……」
 静かな切嗣の声に、こくん、と士郎は無言で頷いた。
 アンドロイドの人工皮膚は自主的な再生機能を擁している。そして、アーチャーの躯体の基礎になるカーボン素材や特殊な軽量金属にも再生機能や記憶合金が使用されている。そのため、多少の“ケガ”でも“治る”のだ。だが、切嗣はその機能の限界を超えているかもしれない、と士郎に告げた。
「もう一度訊いておくよ。とても酷いけど、大丈夫かい?」
 再度念を押して切嗣は士郎に確認をする。
「うん。どんな姿でも、俺を守ってくれたアーチャーだもん」
 震える声はどうしようもなかったが、士郎はしっかりと言葉にした。
「士郎は、強いね……」
 SV―00とプレートの張られた扉の前に並ぶと、切嗣はそこで足を止める。
「じーさん?」
「行っておいで。僕は、ここで待ってるよ」
 緊張気味に見上げる士郎は、こく、と頷き、一人で扉の中に入った。
 およそ半日、そこで切嗣は待っていた。
 ようやく扉が開いて出てきた士郎は見てわかるほどに憔悴している。だが、真っ赤に泣き腫らした目を伏せて、
「ちゃんと、ありがとうって、言った」
 と、気丈に答えた。
 士郎を抱き寄せた切嗣は何をどういえばいいのか、この場に則した言葉が見つからない。
「最善は尽くすよ、士郎。思いつくことはできる限り試す。そうして培養液にアーチャーが入ったら、あとは待つしかない」
「大丈夫だよ、俺。ちゃんと……、俺、大丈夫……だから……」
 ぎゅ、と切嗣の白衣を握りしめた士郎は、この日、いくつもの涙をこぼして、少しだけ大人になった。



*** *** ***

 声が聞こえる。
 泣いている、泣いている……。
 泣くな。私はすぐに戻るから。
 ああ、そうだ、次はサファリパークに行く約束をしていたな。
 あれから、もう一週間ほどが過ぎたのだろうか。
 士郎、私はもうすぐ治る。
 ほら、私は、死んでなどいない。
 手も足も動……、いや……動かないな。
 溶けた合金が元に戻るにはどれくらいかかるだろう。
 人工皮膚が全身を覆うにはいく日かかるだろう。
 遅々として進まない。
 自己修復が間に合わない。
 士郎、士郎……。
作品名:熟成アンドロイド 前編 作家名:さやけ