熟成アンドロイド 前編
「じょしこーせー? 女子、……高校生のことか?」
「そ」
SV―00の困惑を意にも介さず、士郎は身長の倍以上の和弓を持って、弦を必死に引っ張っている。だが、弓はしなりもせず、弦はほとんど引けていない。
「やっぱり俺じゃ、ぜんぜんムリ」
「ふむ。こうか?」
床に散った弓の一つを拾い、SV―00は立ち上がって、す、と軽々弦を引っ張った。
「うわっ! すごいっ!」
士郎が歓声を上げる。
「そうか?」
SV―00が弓を戻し、士郎を振り向いた途端、ピピ、と軽度の警告音がSV―00の内部に響いた。
(な……に……?)
かちり、かちり、と規則正しく回転していた歯車が僅かに速度を上げ、次々とそれに連なる歯車の回転速度が上がっていく。
「あ! そうだ、アーチャーって、どう?」
「ア、アーチャー? な、なに、が、だ?」
士郎に答えながらも、ピピッ、ピピピッと警告音が重度を増していく。
「名前だよ。だって俺、なんて呼んだらいいか、わかんないしさ。何かの本で読んだんだ! 弓を引く人のこと、アーチャーって言ったりするんだって!」
真っ直ぐに向けられる琥珀色の瞳、うれしそうに笑う士郎の顔に、SV―00内部の警告音は、ビーッ、ビーッ、とけたたましく鳴り響くアラートに変わっていく。
『頭部及び上体部を冷却せよ』
表には漏れない警告がSV―00の内部に響く。
「アーチャー?」
士郎がSV―00の様子が何かおかしいと気づいたときには、SV―00の長身が後方に勢いよく倒れていった。
「アーチャー! なに、どうしっ、ぁ、つっ!」
慌てて肩に触れた士郎は、その熱さに手を引く。
「マス、タ……ふれ……ては、いけ……ない……」
目を見開いたままのSV―00は途切れ途切れに言葉を発している。
「なんで? どうしたの? ねえ、アーチャー!」
「も、んだい、ない、れい……きゃくが……」
士郎はSV―00の言葉を解する余裕もなく、キョロキョロと見回して、タオルを取り、外の水道で濡らしてくる。
「熱いのを、冷やせば、いい?」
熱を出したときの要領で、士郎は濡れタオルをSV―00の額に乗せたが、すぐに水分が湯気を発して蒸発してしまう。
「こ、これじゃ足りない! 待ってて!」
士郎は立ち上がり、裸足のまま道場を出て行った。
「マス……タ……」
手を伸ばして、SV―00は小さな背中を捕えようとしたが、叶わなかった。
「マ……ス、ター……マスタ……」
SV―00の視界は赤い“警告”の文字で埋め尽くされ、アラートが耳鳴りのように響き続けている。
「マス…………し…………ろ、う……士ろ……し、ろ……う……」
赤い文字に消された視界では求める姿が見えず、SV―00はどうにか身じろいでうつ伏せ、ジリジリと出入り口の方向へ這いはじめた。
「……しろう……し、ろう……」
板間の端まで辿り着いたとき、
「あ、アーチャー! バカ! なんで、じっとしてないんだよ!」
「しろ……う」
「氷と、あと、冷たくなるやつ持ってきたよ。ほら、ちゃんと寝、っ!」
SV―00に抱きつかれ、士郎はその身が発する高熱に痛みを感じて硬直した。
「士郎……」
SV―00の安心したような声に、熱いとも、痛いとも言えず、撥ね退けることもできず、士郎はそのまま保冷剤をSV―00に当てる。
「大丈夫だよ、俺、ここにいるよ」
赤銅色の髪を撫でて、その熱で触れた手がヒリヒリと痛むことも厭わず、士郎はただSV―00を撫で続けた。
ピ、ピピ、ピピ……。
再起動が行われ、歯車がゆっくりと回りはじめる。
SV―00の視界にノイズ混じりの景色が浮かび、記録部分も正常に動きはじめて、現時刻と現在地の位置情報に整合性が認められ、ようやく起動状態になる。次第に視界のノイズは消え、SV―00は数度瞬き、身体を起こした。
「ぅう、わ!」
SV―00の肩に腕を回していた士郎が、引きずられて慌てている。
「マスター?」
「あ、よ、よかっ……、起きたぁ」
本当によかった、と表情を緩める士郎に、SV―00は首を傾げる。
「マスター、私は、いったい……」
「熱が出てたんだ。家にある氷を全部持ってきたんだけど、熱が冷めないしさ、熱いままだったらどうしようかと思った」
SV―00から腕を放した士郎は、薄らと焦げたタオルをかき集め、温くなった保冷剤をまとめていく。濡らしたタオルは水分が蒸発し、すっかり乾いている。中には部分的に焦げているものもあり、SV―00の発熱具合を如実に示していた。
「マスター、私は……」
「じーさんに電話してみよ。何かの故障だったら早く治してもらった方がいいし」
言いながらタオルや保冷剤を持とうとした士郎は、すぐに手を引いた。
「っ……」
「マスター? どうかし――」
士郎の掌が真っ赤になっていることにSV―00はようやく気づいた。
「マスター! 火傷を負っているのか? どうして、」
SV―00が士郎の手を取って訊くが、士郎は俯いたまま答えない。
「何があった? 私は、わた……しは……」
SV―00は、士郎の手を取ったまま小刻みに震えはじめた。
「私が、マスターに…………こんな……?」
アンドロイドとしては、あるまじきことである。主となる者を傷つけるなど、天地がひっくり返ってもあってはならないことなのだ。
そして、持ち主や主に危害を加えたアンドロイドの末路は決まっている。廃棄処分、その一択だ。
「アーチャー? あ、だ、大丈夫、こんなの、平気だから、だ、大丈夫だって、」
「すまない、マスター、私が火傷を、させてしまった……」
呆然と謝るSV―00を士郎は抱きしめる。
「こんなの、すぐ治るよ」
「しかし、私は、マスターに仕えるわけにはいかない」
「なんで? 平気だって、言ってるじゃないか!」
「アンドロイドは、主を傷つけてはならないという厳格な、」
「そんなのどうだっていい!」
ぎゅ、と力を籠めた士郎の細い腕にも酷くはないが赤くなっている箇所がある。
「俺が、ちゃんとしてなかったから、だよ。俺の方がお兄ちゃんなのに……! アーチャーを守ってあげるって、じーさんに約束したのに!」
「マス…………、士郎……」
SV―00は小さな身体にそっと腕を回し、何度も謝った。そうして、緊急信号を切嗣に向けて発信していた。
突然、帰ってきた切嗣に、火傷の手当てを受ける士郎は痛みも忘れて大喜びだった。逆にSV―00は、まるで断頭台に向かう罪人のように重苦しい雰囲気を纏っている。
その様を見て切嗣は、ふ、と笑みを刻んだ。
「大丈夫だよ、SV―00。何も報告はしていない。君は会社とは繋がっていない独立体だ。そのための自己修復機能を持っているんだ。だから、今夜のことは、会社には漏れていない」
「だが、」
「君は、士郎を放っておくのかい?」
「…………それを決めるのは、私ではない」
ふう、と息をつき、SV―00が入れた緑茶を一口啜ると、切嗣は士郎に目を向ける。
切嗣が帰ってきたことを素直に喜び、手当ての途中ではしゃぐ士郎は、SV―00に窘められ、落ち着かない様子で再び手当てを受けはじめた。
「ねー、じーさん。アーチャーは、故障したの?」
作品名:熟成アンドロイド 前編 作家名:さやけ