熟成アンドロイド 前編
「だが、私では切嗣の代わりには――」
「いや、十分に僕の代わりを務めてくれている。いや、代わりなんて言っては失礼だ。君は君として、士郎を支えてくれているよ!」
「いいや、士郎を支えてなどいない。私は、士郎に支えられている。たくさん教えてもらった。家のことも、学校のことも、そして、人間の気持ちも」
「ああ。だって、それは、士郎の方がお兄ちゃんなんだよって、教えたからね」
「そうか……」
アーチャーは得心がいったようだ。
「……士郎は、私の兄だったか」
「そうだよ。これからもいろいろと教えてもらって、一緒に大きくなればいい」
「私は、これ以上成長はしない」
「……身体のことじゃなくて、中身だよ」
切嗣は笑ってアーチャーの頭を撫でた。
SERIAL.3
「士郎」
「んー、なにー……」
十二月に入ったというのに、このところ小春日和が続いている。干していた布団を片付けたあと、縁側でうたた寝をする士郎の頭を撫でながら、アーチャーは窓の外を眺める。
「親が居ないというのは、寂しいものか?」
切嗣は、また仕事が立て込んでいて、十一月の誕生日の頃に帰ってきたきり、家に帰ることができない。
「……アーチャーがいるから平気」
士郎の実父は、カリス技研工業とライバル関係にあるアンドロイド製造会社の研究員だった。切嗣は士郎の父と旧知の仲であり、士郎の母にも数度会ったことがある。だが、士郎が小学校に上がってすぐ、二人は事故に巻き込まれ、亡くなってしまった。
その報せを受けた切嗣は、急いで葬場に駆けつけたのだが、すでに葬儀は終わっており、そこには、士郎がぽつんと座っていただけだった。
葬場のスタッフに事情を訊くと、両親を失った士郎には身寄りがないらしい。葬儀は会社が請け負っていたが、孤児となった士郎を引き受けることはできず、児童擁護施設に連絡を取っている状況なのだという。
矢も盾もたまらず切嗣は、その場で士郎を引き取った。
二つの骨箱を一つずつ抱え、一緒に葬場を出る間も、タクシーに乗っている間も、士郎は泣きもせず、笑いもせず、一言も話さなかった。
士郎を養子にする様々な行政手続きを終え、晴れて切嗣の子となった夜、士郎は堰を切ったように涙をこぼした。
泣きながら、これからお願いします、と小学生に似合わない丁寧な言葉を発し、切嗣はそのいじらしさに心打たれ、ともに泣いた。
今では、そのときのことを笑い話として、切嗣と士郎は言い合うことがある。悲しい別れではあったが、それを今、笑って語れるようになったのは、二人の関係が血よりも濃いものになったからなのかもしれない。
「士郎、」
「なにー?」
日曜の午後、家事を済ませて縁側に寝そべったまま何もすることがない士郎に、親がいる子供ならこんな過ごし方はしないのだろうか、とアーチャーは訊きたくなった。が、それを訊いていいものかと迷っている。
昼時に見ていたテレビでは、家族連れで買い物に出かけている人たちや、遊園地などが映っていて、それを見ていた士郎の横顔は、ぼんやりとしていて……、やはり寂しいのではないかという結論に至った。そして、前の質問を投げかけたのだが、アーチャーがいるから、と答えられ、何やらうれしくなっている。
養父であるが父は居る。だが仕事に没頭しがちな切嗣は滅多に家に帰ってくることはない。家族で出かけるという経験を士郎は、きっと亡くなった両親としかしていないだろう。
「来週は、出かけよう」
「え? お出かけ?」
身体を起こした士郎はアーチャーを見上げる。
「何か、買う物とか、あったっけ?」
「いや、買い物ではなく、どこか行きたいところはないか? 日帰りになるが、私が連れて行く」
「行きたい……ところ? アーチャーと?」
「ああ」
「じゃあ……、えっと…………、あ! 水族館がいい!」
「了解だ」
「やったー!」
アーチャーに飛びつき、士郎は年相応の姿を見せた。
士郎と水族館へ行く日を翌日に控え、アーチャーは弁当箱や水筒など、翌日の持ち物の用意をしていた。もしイルカショーなど、屋外での催しを見るということになると、寒さ対策のためにブランケットなどを準備しておいた方がいいか、と明日の天候データを再度確認したりする。
士郎だけではなく、アーチャーも浮かれているのだ。アーチャー自身は、全く気づいていないのだが。
「弁当用の食材は問題ない、あとは……」
士郎にはあらかじめ弁当のリクエストを確認していたので、あとは今日の夕食とともに下ごしらえをしておけばいい。弁当のことはいったん棚に上げ、アーチャーはいそいそとレジャーシートなどを土蔵から選りすぐり、着々と準備を続けていた。
ふと時計を見れば、午後二時を過ぎている。もう少しすれば士郎が学校から帰宅する時間であり、今日のおやつをそろそろ出しておかなければ、と腰を上げたところで、
「ただいまー」
玄関から声が聞こえた。
「おかえり、士郎」
「うん、ただいま、アーチャー」
脱いだ靴をきちんと揃えた士郎に声をかけ、帽子とランドセルを預かる。
「今日のおやつなに?」
「まずは手洗いとうがいをしてからだ」
「はーい」
返事をしながら洗面所へ向かう士郎と別れ、アーチャーは居間に戻った。明日の荷物を端に寄せ、座卓を布巾で拭いていると、士郎が両手をパタパタしながら居間に入ってくる。
「士郎、きちんと手を拭けと言っているだろう」
「拭いたよ」
「では、なぜ、パタパタさせてくる」
「水気は拭いたよ、ほら、全然飛ばないだろ?」
「そういうことではない。赤ぎれになって不快な思いをするのは士郎だぞ」
「うー……、わかったよ」
今回は渋々だが士郎が折れた。そんな士郎の頭を撫で、アーチャーは台所へ入る。すぐに居間に戻ってきたアーチャーは、クッキーが並んだ皿と適度に冷ましたココアを士郎の前に置く。
「へへ。アーチャーのココア大好き。いつもありがと」
士郎の笑顔に、アーチャーは満足げに頷いた。ミルクでチョコレートを溶いたアーチャーの作るココアが士郎のお気に入りだということはアーチャーも承知している。おやつの時間に頻繁に登場するのは、当然のことだ。
「アーチャー、明日の準備してたの? なんか、いろいろあるけど」
「ああ。天候を確認すれば、少し風が冷たいようで、寒さ対策をしておいたほうがいいと思ってな」
「ふーん」
気のない返事をした士郎は、座卓の角を挟んだ隣にいるアーチャーを見上げ、何を思ったのか正座するアーチャーの膝の上に座った。
「し、士郎?」
「こうしていれば、あったかいよ?」
アンドロイドは起動している間は発熱している。人間の体温よりは少し低いが、表面温度は三十度を超えない程度の温もりがあるのだ。
ずず、とココアを啜る士郎は、アーチャーの腹にもたれ、クッキーに手を伸ばしている。そんな士郎を眺め、アーチャーは士郎の身体を少し抱えて、胡座に座り直した。
「この方が、楽だろう?」
硬さはどうしようもないが、アーチャーに包まれるような状態で深く沈み込んで座る士郎は、すべてを預けて、あったかい、とココアで温まった吐息をこぼす。
そんな士郎の頭を撫で、アーチャーは士郎の座椅子となっていた。
作品名:熟成アンドロイド 前編 作家名:さやけ