熟成アンドロイド 前編
試作品であるアーチャーは、カリス技研工業と衛宮切嗣をはじめとするその研究者たちの技術と努力の粋を結集した代物だ。すでに初号機と二号機が製作工程に入っており、アーチャーのようなアンドロイドが主流になるのも近い将来の話になるだろう。が、今現在のアンドロイドというものは、二足歩行のままならないものが多く、下半身に車輪やキャタピラを組んでいるものが主流だ。
二足歩行だけに拘るのであれば、数十センチ程度の身の丈のものが多種多様に造られているのだが、そのどれもが玩具の域を出ず、家事代行など実用性のあるものとは言い難い。
人間と等身大で、しかも問題なく二足歩行のできるアンドロイドなど、現状存在していない。そういう意味でもアーチャーは画期的なアンドロイドと言えるだろう。
切嗣が、なぜ企業秘密とも言えるアーチャーをこのように無防備に世間へ放っているのかという疑問が湧くところだが、そこは、他の誰にも真似できないだろう、という切嗣の自信の表れだと言える。
誰もなし得ない、人と見紛うようなアンドロイドの製作をやってのけたという自負。だが、それ以上に一番の理由となるのが、寂しい思いをさせている我が子・士郎の遊び相手兼、話相手兼、家族兼、兄弟兼、護衛のためだ。
研究職の人間というものは敵が多いのも事実。先の明るいアンドロイド業界にとって、その研究者というものがどんな開発をし、どんな新製品を発表するかということは、各企業にとって重大な局面を迎えることにもなりかねない。
いつ何時、切嗣を脅すために士郎が誘拐されるかもしれない、という危惧を切嗣は常に抱えていた。現に、士郎の両親の事故は、ライバル社のヘッドハンティングが遠因の不幸な結果だったというのだから、いたたまれない。
二度と士郎にそんな辛い目を見せるものか、と切嗣は寝る間も惜しんでアンドロイドの研究開発に勤しんだ。その熱意が士郎に寂しい思いをさせてしまうという矛盾を抱えながらではあったが……。
士郎が切嗣に引き取られてからは、さいわいにも大手アンドロイド企業の陰謀などに巻き込まれずに済んでいる。が、それは絶対に安全だというわけではない。いつどう転ぶとも知れない業界がアンドロイド事業というものなのだ。当たれば大々的な収益を得る一方で、他社の技術革新が進めばすぐに時代遅れとなる。研究者や技術者が引く手数多なのも、少々汚い手を使ってでも手に入れようとする企業があることも仕方のない話だった。
「士郎、これを」
アーチャーは手にした入館証を士郎の首にかける。
「じーさん、留守なの?」
「仮眠中のようで席にいないそうだ。仕方がない。会社に部外者は勝手に立ち入ることができない決まりだ」
「うん。わかってるけど……」
カリス技研工業に部外者は入ることはできない。カリス技研工業のみならず、どんな企業でも社内に部外者を簡単に入れることは少ないはずだ。いくらアンドロイド製作の第一人者の家族だと名乗っても、自身の証明書も持参していない士郎だけが特別待遇というわけにはいかない。
切嗣が受付からの内線に応答さえすれば、すぐに研究棟近くの広場に入れるのだが、何せ呼びつけた本人が応答に出ないのでは、士郎にもアーチャーにも打つ手はない。
アーチャーが先ほどから切嗣へ連絡を入れているのだが、おそらく端末の電源が切られているのだろう、全く功を奏していなかった。
「すまない」
しょんぼりと肩を落とすアーチャーに、士郎はちょいちょいと手招きする。
「士郎?」
小首を傾げて屈んだアーチャーの赤銅色の髪を、背伸びして、なでなで、と撫で、
「大丈夫だよ、アーチャー」
にっこりと士郎は笑う。
「アーチャーが連絡入れたんなら、じーさんもすぐに気づくよ。あそこで待ってよう?」
ロビーの隅に設置された革張りのベンチを指さした士郎にアーチャーは頷き、士郎に手を引かれるまま隅へと歩いていく。
珍しく、切嗣から着替えを持ってきてくれないか、という電話があったのだ。ついでに食堂でケーキでも食べよう、と切嗣は誘ってきた。何かいいことがあったのか、それとも仕事のきりがついたのか、二人はそんな予想をしながらカリス技研工業までやってきていた。
二人並んでベンチに座って間もなく、受付カウンターにいた女性の一人が小袋のクッキーとテトラパックのジュースを持って来てくれた。はじめは遠慮した士郎だが、女性の個人的なものなので気にせず貰ってくれ、と強引に手渡されてしまった。
「いつも、えらいね」
そう言って女性は仕事に戻っていく。前の女性を含めた受付カウンターにいる数人と守衛の幾人かと士郎は、切嗣の着替えや差し入れを持ってくる間に顔見知りになっていた。今回のようなことも何度かあり、ロビーで待たされることは初めてではない。
社内の者からの許可がない限り社内に、しかも切嗣のいる研究棟へ入ることは、いくら顔見知りでも小学生でも絶対に入館はできないのだ。
例外は認められないから、と心苦しそうな笑みを見せる受付の者も守衛も、きっちりと仕事をこなしているのだから、士郎に文句はない。
「食べるか?」
「ううん、いい。あとで、じーさんと三人で分けよ」
「そうだな」
アーチャーには食物というものを摂取して分解する機能はない。したがって口から何かを摂取することはできないし、必要がないのだ。
人間のように食道から胃、胃から腸へという機能がないために、口から入ったものは躯体のどこかに追いやられることになる。分解などという機能もないため、食物をはじめとする有機物であればその中で腐ってしまうために、口から何かが入れば、異物が混入したという警告がアーチャーの中に発せられるだろう。
アーチャーは食べない。それでも士郎は分け合う勘定にアーチャーを入れている。例え食べなくてもアーチャーの分を無視することは士郎にはできない、というよりも、それが当然となっているので、違和感も湧かない。そしてアーチャーも、食べられないから、と断るような野暮なことはせず、自身に分け与えられた分は士郎にそれとなく還元していた。
他愛ない話をしながら、次の休みにはどこに出かけようかと、いろいろと候補を上げながら士郎とアーチャーがロビーのベンチに陣取って三十分もした頃だろうか、入館するための、駅で見かける改札のようなゲートがロビーの中ほどにあるのだが、その向こうには幅の広い階段があった。その階段を登頂部の奥からスーツ姿の男性が十人ほど、団子になってこちらへ降りてくるのが見える。階段の中程で、何か言い争うような声がした。
「なんだろ?」
士郎が不思議そうにそちらを見て声を上げた瞬間、
カッ――――――――!
閃光にあたりが白く包まれる。
「ア――」
アーチャーを呼ぼうとした士郎は口を開けたまま身体を強く引かれ、そうして締めつけられ、手に持っていたクッキーとジュースを落としてしまったことに気づいた瞬間、真っ暗になって何もわからなくなった。
「士……ろ……」
「う……ぅ……」
士郎の頬に触れて生命反応を確認し、アーチャーは炎から守るため、士郎の身体を小さく折りたたみ、自身の身体で守るように覆いかぶさる。
「ぁ……ちゃ?」
作品名:熟成アンドロイド 前編 作家名:さやけ