熟成アンドロイド 後編
彼女はアーチャーにアドバイスめいたことを言っていたと思われる。士郎のことで頭がいっぱいで、さほど重要なことだとは思わず、半分も聞いてはいなかったが……。
思えば、士郎と切嗣以外で、アーチャーがあのように話をした人間は初めてだった。
「確か、研究員と……」
カリス技研工業の研究員の名簿を検索する。
所属と氏名と容姿のみがわかるだけの情報だが、アーチャーにはそれだけで十分だ。すぐにセキュリティを突破し、社員名簿でヒットした彼女のプロフィールを確認して、アーチャーは静止してしまった。
「取締役…………だと?」
遠坂凛の肩書には取締役という思いがけないものが付いている。そして、現時点では研究員であり、その前は、渉外部、営業部、総務部、事業部、製造部など、数か月、もしくは数週単位で移動している。
「な……っ、い、いったい彼女は、何者なのだ…………」
凛の話ぶりからして、士郎と同級生のようだった。その容姿も、いまだ二十歳前後にしか見えない。であれば、士郎とは同世代である。そんな若年でありながら取締役という肩書が謎であった。
「どういうことだ……?」
何かの間違いでないことは確かである。アーチャーが検索をかけたカリス技研工業の名簿に誤りなど今まであった試しがないからだ。
「と、とにかく、彼女に連絡をつけてみればわかる」
アーチャーはすぐに凛の端末へコンタクトを取った。
『はい、どちらさま?』
すぐに音声での返答があり、その声が昨日の彼女と同じ声紋であることを確認し、アーチャーは口を開く。
「訊きたいことがある」
『は? ちょっと! あんた、誰なのよ!』
「…………」
どう答えるのが正解かと躊躇したが、
「士郎のサーヴァントだ」
アーチャーは、はっきりとそう答えた。
『士郎? あ! アーチャー?』
「そうだ」
『なに? もうバレちゃったの?』
「違う。訊きたいことがある」
『訊きたいこと?』
「研究棟の広場の端にあるコンテナハウスだ」
『はあ? え、ちょ、ちょっと!』
有無を言わせずアーチャーが通信を切れば、ものの十分ほどでドンドンとドアを叩く音が聞こえてくる。
『ちょっと! 開けなさいよ!』
まるで殴り込みのような勢いの凛に、アーチャーは立ち上がり、士郎がたたんでおいたシーツを腰に巻いた。
激しく叩かれるドアが潰れる前にアーチャーは鍵を開ける。
「ずいぶんなご挨拶じゃないのよ、あんた」
ヒクヒクとこめかみを引きつらせる凛に、アーチャーは肩を竦める。
「早かったな」
「なっ……! そ、それが、呼びつけた奴の言うセリフっ?」
「早く入れ。監視カメラがそろそろ動き出す」
「え? あ、そ、そうなの?」
注意されて思わず素直に従ってしまった凛は、コンテナハウスに入ってから、む、とアーチャーを睨む。
「なんで、私がコソコソ監視カメラを気にしなきゃならないのかしら?」
思い出したようにこめかみを引き攣らせて凛は唸っている。
「監視カメラをジャックするのは骨が折れる。数分が限度だ」
「そういうことを言ってんじゃないわよ! 私は監視カメラに映ったとしても、なぁんにも後ろめたいことがないって、言ってるの!」
「君に訊きたいことがある」
「っ、このっ……!」
凛の言い分など無視してアーチャーは自身の話に切り替える。
「私はどうすればいい?」
「はあっ? なんの話よっ?」
怒り心頭の凛は、勢い任せに訊いてしまう。
「士郎には目覚めなくていいと言われたが、昨日、私は研究員たちの前に姿を見せた。士郎が誰かにその話をされる確率が高い。士郎は食堂に勤めている。今日は休んでいるが、明日から士郎も仕事をするだろう。そうすれば、否が応にも研究員たちと顔を合わせる。ならば、」
「今日のうちに、衛宮くんに話しなさいよ」
「できるわけがないだろう。士郎は私に目覚めるなと言ったのだ。だというのに、勝手なことなど、」
「あのねぇ……。衛宮くんがあんたの廃棄を望んでいるの? 違うでしょ? あんたがここにいるのが何よりの証拠じゃない。動かないとわかっていてもあんたを引き取ったのよ? 動かないサーヴァントなんて、マネキンよりもタチが悪いわよ。何しろ、重いのに自力で動かないんだから」
「そう……なの、だが……。それが、よく……わからない」
「わかるもわからないも、事実なんだから受け入れなさいよ」
「しかし、っ、っと、まずい、士郎が帰ってくる!」
「え? あ、えっ? ちょ、ちょっと、どうするのよ、」
「とにかく、君は出ていってくれ」
「はあ? 人を呼びつけておいて、なんなのよ!」
「この話はいずれ」
「いずれって、いつのことよ! 衛宮くんがいたら話なんてできないでしょ!」
「と、とにかく、ここから離れろ!」
凛を追い出し、アーチャーはベッドへ戻り、腰に巻いたシーツをきちんとたたんで元に戻し、ベッドに仰臥し、布団を被る。
しばらくすると、コンテナハウスの扉のあたりで何者かと話す士郎の声が聞こえる。
(まだいたのか……)
先ほど追い出した凛が士郎と鉢合わせしているようだ。立ち去る時間はあったというのに、なぜまだそこにいるのかと、怒鳴ってやりたくなる。すぐさまアーチャーは凛の持つ携帯端末に通話をかけた。
呼び出し音が鳴り響き、士郎が出なくていいのかと訊ねているが、凛は、いいのよ、用件はわかっているから、と通話に応じない。
「なんのつもりだ……」
しつこいくらいの呼び出し音を無視して、凛は士郎を誘ってコンテナハウスから離れていった。
「な…………、いったい、どういう……?」
なぜ士郎とともに行くのか、と予想外の展開に、アーチャーは思わず飛び起き、カーテンを閉めきった窓に駆け寄った。カーテンの隙間から外を覗けば、士郎と凛が連れ立って高層ビルの方へ歩いていくのが見える。
「何を考えている、彼女は……」
まさか、バラそうとでもいうのか、と気が気ではないが、アーチャーはここから出ていくわけにはいかない。
だが、士郎が昨日のことを知る研究員と鉢合わせすれば、何もかもが明るみに出てしまう。
「…………」
ベッドに戻り、アーチャーは再び布団を被って横になる。
「もう、私にはどうすることもできない……」
士郎の意思決定に従うことだけが、己にできるすべてだと諦めた。
「士郎の顔を見ることができた。もう……それだけで…………」
己に言い聞かせるようにアーチャーは呟くことしかできなかった。
遠坂凛は、カリス技研工業の取締役である。
次期社長候補である父の時臣とともに、カリス技研工業を支える役員の一人だ。高校を卒業し、入社してまだ二年目だが、すでに経営陣には一目置かれている。時臣の英才教育の賜物といえるだろう。
彼女が部署を転々としている理由は、各々の部署の問題点を洗い出し、今後の経営に生かすためだった。派閥内の諜報戦ということではなく、すべては会社のためである。前の若い研究員の配置換えも彼女の差配だ。
彼女が取締役ということは伏せられていて、内々に社内のあらゆる問題を見つけ出し、役員に報告する隠密のような立場で自由に動いている。
作品名:熟成アンドロイド 後編 作家名:さやけ