熟成アンドロイド 後編
衛宮邸に戻り、大事に保管していたアーチャーの衣服を紙袋に入れてから藤村邸に挨拶に行き、すぐにカリス技研工業へととんぼ返りだ。あまりのんびりしていると、藤村大河が帰宅して、竹刀を振り回して士郎を追いかけ回すかもしれない。士郎は身の安全を守るために、自宅でゆっくりすることもできなかった。
長く家を空けていることもあり、大河に顔を見せづらいのもあるが、この家でアーチャーと過ごした時間をいちいち思い出してしまって、やはり辛くなる。
士郎はアーチャーがいなくなったことを、いまだに受け止めることができずにいた。
自宅であるというのに家から足が遠のくのは、アーチャーとの思い出が詰まっているからだ。
修復室に足を運ばなくなったのは、変化のない培養液を眺めて絶望するしかないからだ。
それなりに世渡りする術を覚え、年々諦めることも増えていき、確かに身体も処世術も大人になってきている。が、幼いときのまま心が固まってしまっているんだろう、と士郎は自分自身で認めていた。
あの日以来、感動したりすることが減った。アーチャーを想う以外に涙がこぼれることもなくなった。
小中高と、それなりに学生として楽しく過ごしてきていたはずだが、どこか、ぼんやりと日常を送る自身を眺めているような気分になるときがある。
楽しいも、うれしいも、悲しいも、何もかもが半減して感じられ、少々のことでは動じなくなっていた。
切嗣に勧められてカウンセリングなども受けたが、さほど改善されることもなく、士郎自身も煩わしいと思っていたので、通院などはしなかった。長く心療内科などに通えば少しは違ったのかと考えることもあったが、士郎には原因がわかっていたので、所詮は無駄だという結論しか出ない。
――――アーチャーがいない。
それだけが、士郎の心に嵌められた、頑強な枷だった。
「遠坂のやつ、結局何が言いたかったんだ?」
ぶつぶつとボヤきながら、コンテナハウスの鍵を開ける。
「ただいま」
しん、と静まりかえった室内に苦笑をこぼし、室内用スリッパに履き替える。このコンテナハウスには玄関などというスペースはないため、下足用にマットを敷き、そこで靴を履き替えるようにしている。
紙袋を椅子に置いて、ガサガサと持ってきた衣服を取り出した。
「服、持ってきたぞ。素っ裸じゃ、お客さんが来たときに困るからさ」
独り言ちながら士郎はベッドに歩み寄り、布団を剥いだ。
「えーっと……」
思わず、切嗣の言葉を思い出す。士郎が中学生のときに知ったアーチャーに搭載された機能。
“一応、セクサロイドとしても使えるんだよ”
それを聞いたときのいたたまれなさや気恥ずかしさがぶり返して、つい顔が熱くなる。
「た、他意は、ないんだからな」
言い訳をしながら、アーチャーにスラックスをはかせていく。アーチャーはもともと下着を装着していなかったため、十年前と同じように、直に衣服を着させている。
「インナー、やっぱ、いるかな……」
今度の休みに買いにいこうか、と考えながら、アーチャーの身を狭いベッドの上で、左右にゴロゴロと転がしながら、どうにか服を着せることができた。
「はー…………、重労働だな……」
人間でも意識のない者の身体は重いが、アンドロイドとなると精密機械の塊だ。いくら軽量化をしているとはいえ、人ひとりで動かすには限界がある。
「まあ、家のどこかに置き場所を決めれば動かすこともないし……」
衛宮邸に運ぶ手続きと手配が済めばアーチャーを連れて帰るつもりでいる。が、あの広い屋敷の、いったいどこに置けばいいだろう、と首を捻る。
「はー、なんか疲れたなー……」
自宅の往復から凛との喫茶、その上、昨日は命の危険もあったのだ、身体が休息を求めていてもおかしくはない。
「んー……、一時間くらい、寝てもいいか……」
今は正午の少し前。目が覚めてから昼食を用意してもいい。どのみち今日は一日休みなのだから。
士郎はテーブルに、べたり、と突っ伏して瞼を下ろした。さほど時が経たないうちに寝息を立てて眠っている。
その様子を窺っていたアーチャーは静かに布団を除け、のそり、と立ち上がる。
「士郎……」
もう、アーチャーはしのごの言っている場合ではなくなった。こんなにも疲れている士郎を放ってはおけない。
士郎を抱き上げて、ベッドへと戻る。士郎を寝かせようとしたが、このまま士郎から手を離したくない。
「っ…………、廃棄は、覚悟の上だ……!」
ようやく決心がついたアーチャーは士郎を横抱きにしたままベッドに腰を下ろし、士郎を胸に抱いたまま横になって布団を被った。
士郎の温もりが人工皮膚に沁みわたる。培養液はさほど冷たいというわけではないが、やはり人の温もりに比べれば温度が低く、その中で遅々とした修復が行われていたアーチャーにとって、士郎の体温は滲みるほど熱く感じる。
久しく鈍い回転しかしていなかった歯車が、アーチャーの中に軽い警告音を発するほどには回転数を上げていた。
「ん……、あ、れ……?」
ぼんやりと目を開けて、士郎は何度か瞬く。確か椅子に座り、テーブルに突っ伏して眠ったはずなのに、うつ伏せに寝ている。身体が伸びていることから、床かベッドに寝ていることが推測された。だが、明らかに床ではないことがわかる。
「ベッド?」
慌てて身体を起こそうとしたが、士郎は起きられなかった。何かで身体を固定されている。
「あれ? う、うごけない……?」
ベッドにはアーチャーを寝かせていたのだ。したがって己がベッド寝ているはずがない。では、なぜ、ここに? と疑問を浮かべると同時に、思わず声を発していた。
「え? なんで?」
身体が固定されていると思っていたのは、縛られているわけではなく、アーチャーの腕が背中に回っているからだった。
「あれ? え? あれれ? んん?」
何かがおかしい。
何かが違う。
だが、ベッドに仰臥しているアーチャーは、士郎が寝入る前となんら変わりない姿でそこに在る。
「どういう…………こ、と……?」
半信半疑で、士郎は下敷きにしているアーチャーの胸に耳を当てた。
微かに聞こえる起動音。そして何より、その身に灯る熱。
「アーチャーっ?」
間違いない、と確信して、その頬を軽く叩く。
「アーチャー! 起きてるんだろ! おい!」
反応はない。だが、やはり、その頬は温かみをもっている。呼びかけても揺さぶっても反応しないということは、アーチャーが無反応でいようとしているからだ。
「起きろ! アーチャー!」
そういうことなら、と士郎は鋭い声で命令をする。過去において、一度もアーチャーに命令などした下したことのない士郎には慣れないことだ。
これでも反応がなければどうしようか、と思案をはじめた頃にアーチャーの瞼が上がる。
「ああ……、アーチャー…………」
琥珀色ではない、曇り空のような瞳が確かに士郎を映している。
修復を待ち続けた。もう起動しないと諦めていた。
「士郎」
「っ…………」
もう自分を呼ぶアーチャーの声を聞くことなどないと思っていた。
「ぅ…………ばかぁ……………………、ぁ、ちゃっ、の、ばかぁっ!」
作品名:熟成アンドロイド 後編 作家名:さやけ