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熟成アンドロイド 後編

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 アーチャーを助けてほしいと、救助に来た消防隊員に願ったが、彼らは自分だけを連れ出し、アーチャーを放置した。その後、切嗣の率いた研究員たちがアーチャーを搬送したが、治療というものができるような状態ではなく、最善を尽くしたが、あとは奇跡を待つだけ、という不確かなものになった。
 誰も助けてくれないのか、と士郎は絶望する。だから、もう誰にも、助けて、と訴えなかった。切嗣にさえ、アーチャーを助けてくれとは言えなかった。
 幼心に諦めが広がっていた。
 真っ黒い塊になったアーチャーを目の当たりにして、士郎はただ泣くことしかできず、助けられないことを、それを誰にも願えないことを何度も謝っていた。
 培養液に入れられたアーチャーであった黒い塊は、シュワシュワと泡を立て、次第に培養液は濁っていった。影のようになっていたその塊すら濁りと分厚いアクリル槽の中で見えなくなり、薄暗い修復室は静かな機械音とシュワシュワと泡立つ音があるだけで、他にはなんの音も聞こえない。
 その薄暗い部屋は士郎にとって、とてもじゃないが長時間いられる場所ではなかった。アーチャーを忘れたわけではない。だが、次第にその部屋へ行く足取りは鈍り、やがて通うこともなくなった。
 軽症であったために入院することもなかった士郎は、しばらくカリス技研工業で過ごしている。一人で衛宮邸に置いておくことは、さすがの切嗣もためらわれたからだ。したがって、はじめのうちは、士郎は微かな期待を抱きながら修復室に毎日足を運んでいた。しかし、その期待は確実に裏切られていく。
 毎日飽きるほど見ていても培養液に変化はなく、アーチャーが起きる気配もしない。その現実を知るにつれ、士郎にはこの部屋が辛く悲しい思いの根元になってしまい、そこに蓋をするように、士郎は修復室から離れていったのだ。
 自身のことなど顧みず自分を守ってくれたアーチャーに距離を取ることは後ろめたいが、それでもアーチャーが元に戻らないという現実を、もう二度と“士郎”と呼んでくれない事実を、士郎はどうしても受け入れられない。
 アーチャーは自身の冷却機能を使って士郎を囲った空間を冷やし、万が一のために搭載されていた酸素生成機能を駆使して、士郎が窒息しないようにしていたという。
 自身に搭載されたあらゆる機能を使い、その身の形すら変え、何がなんでも士郎を生かそうとしていたことが窺えた、と後に切嗣は士郎に語って聞かせてくれた。
 そんないろいろな機能をつけていたのか、と士郎が目を丸くして少し呆れながら切嗣に訊けば、切嗣は、にこり、と笑って、研究者としての矜持を示すように、拳を握って力説していた。
「彼にはね、ありとあらゆる機能を付与したんだよ」
 そう口火を切った切嗣は、前にあげた二点の他に、家事機能をはじめとする人間社会で必要な資格の技能、さらに運動能力と戦闘機能、果てはセクサロイドに搭載されるような機能まで付加していたという。
 アーチャーは、日本の一般成人男性よりやや大きめというサイズの中にそんないろんな機能を詰め込まれていたのか、と士郎は同情めいた気分に陥ってしまった。そして、中学生だった士郎は、セクサロイドはいらないだろ、と苦言を呈したものの、その響きに妙にドギマギしてしまったことがやけに記憶に残っている。
 ただ、そんな機能盛りだくさんのアンドロイドはプロトタイプのアーチャーだけで、後に販売される初号機以降には、家事機能と運動能力程度の、ほぼ普通の人間並の機能が付与されているだけだった。何しろ、いろいろな機能を付けるには、コストと重量がシビアな問題になってくる。高コストであれば売れない上、あまりに重い機体となると、日本家屋の床を踏み抜いてしまうようなことになりかねない。したがって、不必要なものはすべて削ぎ落とし、必要な機能だけに絞ったアンドロイドがサーヴァントシリーズとして空前の大ヒットとなったのだった。
 ふと目を向けた窓ガラスに映る自身の姿に、思わずため息が漏れる。もう子供ではない己の姿は、年々アーチャーの姿に近づいてきている。
 鏡を見るたびに思い出して、時々気が滅入ることがあった。
 あの日、幼い士郎を守り抜いたアーチャーは、十年近くが経つ現在も修復中であり、いまだに動き出したという話はなかった。一応、何かしらの変化があれば士郎に連絡が来るようになっている。が、その緊急連絡は、この十年、一度もない。
 濁った培養液の中を誰も見ることができないため、百パーセント変化がないのではないにしても、こんなに長い期間培養液に変化がないのは、やはり修復機能が働いていないからだ、というのが研究員たちの見解であるらしい。
 あの日以降、士郎は、小学生の間はカリス技研工業の研究棟で切嗣と過ごすことになり、そこから学校へ通った。そして中学生になる頃から衛宮邸に戻り、高校へも調理の専門学校へも通った。今、調理師の資格を取り、卒業後はこの研究所の敷地内にあるコンテナハウスで士郎は生活している。
 入り浸りというのなら、士郎も研究員と同類だった。どこに行くわけでもなく、ただ、いまだにこのカリス技研工業に関わっている。
 それは、やはり、アーチャーがここに居る、ということが理由である。
 アーチャーの“死”を、いまだ士郎は受け止められていないという証なのだろう。
 諦めたはずだというのに、いまだに諦めきれていない自分自身が、少し可笑しく、未練がましいと思っていた。



SERIAL.6

「士郎くん、」
 不意に呼ばれ、こと、と小さな音を立てたコーヒーカップに目を向ける。室長のカップは空になっている。士郎のカップはといえば、冷めたコーヒーが半分くらい残っている。
 どれくらいここでぼんやりしていたのか、と士郎は時計に目を遣れば、数十分近く時が進んでいた。
「ぁ…………」
 何か言うべきだ、と室長と目が合った途端、
「彼に、会っていかないかい?」
 思いもかけない提案に、士郎の肩が揺れる。
 室長の言う“彼”という者の姿が脳裏に浮かんで、振り払うように俯いた。
「いえ……」
「修復が終わったよ」
「え……?」
 驚いて下を向いた顔を上げ、室長の顔を凝視してしまう。
「今朝方、“底に沈んだ”んだよ」
 “底に沈む”という言い回しは、カリス技研工業の研究員たちの中で使われる隠語のようなものだ。濁った培養液内で筋組織や人工皮膚に至るまでを生成、あるいは修復し、それが終わると、培養液は無色透明となり、完成体となったアンドロイドが底に沈む。
 したがって、肉体の完成及び修復が終わったことを、皆そういう言葉で表す、“底に沈んだ”と。
「長かったけどね、ようやく彼も培養液から出ることができたよ」
「そう……ですか……」
 驚きをいまだ消化できず、士郎はぼんやりと答える。
 修復は不可能だと思っていた。誰もアーチャーを助けてくれないと、切嗣でさえお手上げだと、そう思い込んでいた。
 骨格は原型を留めておらず、ただの黒い塊だったアーチャーが元の姿に戻ったのだと聞いても、すぐには信じられない。
「会っていくかい?」
作品名:熟成アンドロイド 後編 作家名:さやけ