熟成アンドロイド 後編
室長はいつも、アンドロイドをただの機械扱いはしない。今も、見ていくか、ではなく、会っていくか、だ。それは、室長のこだわりなのだろう。家族としてアンドロイドを手に入れる人がほどんどであるため、それを作る自分たちがアンドロイドを機械として扱っては、購入者に申し訳がないということが表向きの理由だ。しかし、室長はそういうことではなく、サーヴァントを、愛情もって育てた存在。いわば子供のように思っている、ということを研究員たちは知っている。
「士郎くん、会ってあげた方が……、あ、ああ、いや……」
言葉を切った室長が気遣ってくれているのがわかった。士郎は、ぐ、と両手を組んで握りしめ、膝の上に置く。コーヒーが僅かに残ったカップを真上から覗き込むように項垂れて、士郎は奥歯を噛みしめた。
(期待は、するな……)
自分自身を戒める。アーチャーを担当している者からの連絡ではなく、室長がわざわざ士郎を呼び出して話をするのだ、何か普通ではないことがあるとしか思えない。
「君の気持ちが固まったら教えてくれ。僕が居るときならいつでもいい。連絡を待ってるよ」
無理強いをせず、室長は立ち上がる。自分のカップを持って、室長は士郎の側を過ぎようとした。
「室長!」
立ち上がり、室長を呼び止める。
「行きます」
振り返る室長に、きっぱりと告げる。
「士郎くん……」
「会って、いきます」
真一文字に唇を引き結んだ士郎に、室長は大きく頷いた。
静かな廊下に、二人分の足音だけが響く。
士郎を誘うように、室長は迷いなく進んでいく。通い慣れた道のり、そして、いつしか通えなくなった道のり。
旧研究室。
ここは、アーチャーが“生まれた”場所である。今はあまり使われていない部屋がほとんどで、倉庫や資料室となっている。
軌道に乗ったアンドロイド事業のため、旧研究室では手狭になり、現在の場所へ移転したのだ。移転と言っても同じ建物であり、新しく建物を増築したために、ここは一階の片隅になったというだけである。
研究棟は地上七階建ての建物だが、二階が渡り廊下などで他の建物と繋がっているため、一階は地下階のような扱いになっている。そしてここに、アーチャーの修復室がある。
今、この場所のことを知る者はほとんどいないだろう。何しろいつも薄暗い一階にあるどの部屋にも、誰も近づく必要もなければ、近づきたくないような陰気な場所となっているのだから。
かつてはここでアンドロイドの研究開発が成されていたとは思えないほどの廃れぶりだ。そして、切嗣とともにアーチャーを造り、修復をした当時の研究員たちは、切嗣同様、それぞれの道へ進んでいる。当時からここに詰めるのは、機械的な技師が一人だけ。そして、ここに足を向けるのは室長一人だけ。
この二人が、アーチャーの管理を引継ぎ、修復を見守り続けていたのだった。
本来ならその二人に士郎が加わっていてもおかしくはない。だが、士郎はここに背を向けた。久しぶりにこの場所に来て、懐かしさよりも後ろめたさの方が大きく、握った掌に汗が滲んでいる。
会っていくと言った手前、室長についていくしかなく、今さら逃げるのもバツが悪い。突き進むような室長とは正反対に、士郎は迷いながら足を進めていた。
「い、意識は……、あるんですか?」
アーチャーを目の当たりにする前に、とにかく情報を仕入れておきたい。何がどうなっているのかは見てからでなければわからないが、話ができるのかどうかだけでも知っていれば、心の準備もできる。
「残念ながら、ね」
「そう……ですよね……」
ぐ、と拳を握りしめて士郎は視線を落とす。ほっとしているのか残念に思っているのか、自分の感情がわからなかった。
ぴたり、と室長が足を止めた部屋の扉は見覚えのあるもので、その部屋の古びたプレートにはSV―00と書かれている。ここから足が遠のいて、何年が経つのだろうかと士郎は考えてみる。おそらく五年以上はここに近づいていなかった。
「意識は戻っていないんだけどね、君に会うと、もしかしたら、と思うんだ」
扉を開ける前に、室長は静かに言う。
「どういう、意味です?」
緊張しながら士郎は訊き返す。
「目覚めてもおかしくないんだよ、修復はできているから。だけどね、目覚めないんだよ、彼は……」
「え……」
「だから、君を認識すれば、何か変わるかと思ってね。何しろ身をもって君を守ったサーヴァントなんだから」
士郎は唇を噛みしめた。
その部屋で長年修復をしていたSV―00。士郎のサーヴァントだったもの。その名をアーチャー。衛宮切嗣が開発した第五世代アンドロイドのプロトタイプ。
研究に没頭する自分の代わりにと、切嗣が士郎に与えたアンドロイド。士郎の家族で兄で弟の……。
「切嗣くんにも連絡を取って訊いたが、原因はわからないんだ。けれど、もしかすると士郎くんなら、って彼も言うから、お願いしてみようと、ね」
「だけど……俺は……」
アーチャーは士郎を炎から守って、黒い塊になったのだ。人工皮膚はほとんどが溶け、あるいは焼け落ち、人間でいう骨の役割を果たす合金も煤け、無理に形を変えたことで原型を留めておらず、末端は高熱のために溶けていた。
切嗣にここへ連れて来られた時、濁った培養液に浸される前のアーチャーであった半球型の煤けた黒い塊を見た時の衝撃を思い出し、士郎は震える奥歯を噛みしめる。
「辛いかもしれないけれど、会ってほしいんだ。彼はこのままでは廃棄されてしまう」
「廃……棄?」
驚愕して室長を見つめた。
「カリス技研工業は一企業。ここが慈善団体じゃないのは知っているよね? 不要な物、または失敗作。それは、すべて廃棄となる……」
振り返った室長の顔は辛そうだった。士郎は知っている。室長が誰よりもアンドロイドという存在を可愛がっていることを。たとえ製品にはならなくても、それまでの調整や様々なことをともに乗り切ってきた時間がそれぞれのアンドロイドにある。同時に、携わった研究員にも、そして、それを統括していた室長にも、それなりに培ってきたものがあるのだ。
「俺でも……ダメなら……?」
「うん、廃棄だね」
「…………」
「けれど、彼は今のカリス技研工業の屋台骨のような存在だ。伝説的に聞き知る研究員もいる。だから、特例として……」
「特例?」
「君に引き取ってもらう……、ということもできる、かな」
「引き……取る?」
「どのみち、SV―00は、切嗣くんが独自で完成させたプロトタイプだ。眠ったままで役には立たないが、君が持ち帰るというのなら、善処するよ?」
「引き取ります」
士郎に迷いはなかった。たとえ動かないのだとしても、アーチャーに変わりはない。廃棄するなど、士郎には考えられない。
「そう言うと思ったよ。運搬の手続きなんかは後で書類を渡すから、記入しておいてくれたまえ」
言いながら室長は扉を開けた。薄暗い部屋は以前と変わらない。だが、以前はなかった物が部屋の中心にある。
室長が照明を点けると、部屋の中央に置かれたストレッチャーに横たわったSV―00が浮かび上がる。胸のあたりまでをシートで覆われたSV―00は、まるで眠っている人間のようだ。
作品名:熟成アンドロイド 後編 作家名:さやけ