熟成アンドロイド 後編
道徳観念や人間に対する接し方、いわゆる情操教育を主にここで調整する。
「なんでしょうね? 午前中は調子が良かったんですけど、昼休憩が終わったあたりから、なんだか拗ねちゃってて、みんな」
アンドロイドに拗ねるという表現もおかしいのだが、この段階のサーヴァントは幼児から小学生程度の人間と変わらない状態にある。あながち拗ねる、というのも間違いではないのだ。
「みんな?」
「ええ。私たちの担当するこの子も、彼女たちの担当するあの子も」
研究員は隣で調整を行なっているサーヴァントを指さして室長に説明する。
「何か特別なことをしたわけではないんだね?」
「はい……、なので、どうしようかと……」
「ふーむ……」
カリス技研工業のサーヴァントには、一体一体個性ができる。プログラミングをした人間と情操教育をした人間の影響を多少なりとも受けてしまうのだ。したがって、調整室では、プログラミングをする理系と心理学などを主に学んだ文系の研究員がペアを組んで主体となり、数人の研究員が一体のサーヴァントを担当する。
そのあたりがカリス技研工業の醍醐味と言えば醍醐味で、他社のアンドロイドより人間に近いと言われるのも、この一工程が関係している。一からアンドロイドを教育したいという顧客には忌避されるが、手に入れたときから友人のように、あるいは家族のように接することのできるアンドロイドを求める顧客からは絶大な人気を誇っていた。
ただ、造る者の意識を反映してしまうということに問題がないわけではない。そこで、極端に偏った教えを踏襲しないよう、サーヴァント一体につき複数の研究員がグループで付き、そのグループも毎回同じメンバーではなく、その一体にだけ対する限定グループとなるのだ。
もちろんサーヴァントに教育をするのだから、研究員たちにも多くのノルマが課せられる。特殊な思想、偏った考えをしていないか、定期的に調査と診断、医師の診察がなされている。
カリス技研工業が業界大手となったものの大量生産制にできないのは、そのあたりに原因があった。
製品を売りたい営業職としてはもどかしい、という意見が多々聞かれるが、これはアンドロイド事業をはじめたときから一貫して通されている信念のようなものだ。ここを曖昧にしてしまっては、他企業との差別化はできなくなり、安価な量産物に負けてしまう。付加価値こそカリス技研工業の醍醐味だと言わしめることが経営陣のモットーとなっているので、そのあたりにブレはない。
「少し、休憩をさせようか」
室長は静かに言う。
「休憩、ですか?」
「ああ。無理をしてここまできたサーヴァントが壊れてしまうのは、本意ではないからね、今日はお休みだ」
「で、でも、納期が、」
「納期は遅らせればいい。何よりもまず、サーヴァントの調子を整えることだ。今が一番大事な時期だってことは、みんなもわかっているだろう?」
「はい」
研究員たちは大きく頷き、椅子に座っていたサーヴァントを促す。
「今日は、もう終わりだよ。部屋まで行こうか」
サーヴァントに優しく話しかけ、研究員はその手を取る。
「もう、終わり?」
「うん。終わりだよ」
サーヴァントの疑問ににこやかに答える研究員は、室長に軽く頭を下げて調整室を出ていく。それを見送る室長は、研究員と並んで歩くサーヴァントから、確かに暗い印象を受け取った。
「沈んでいるようだ……。元気がない、という感じだな」
ひとり呟き、片づけをはじめた他の研究員たちを残し、室長は調整室を出る。
「みんなが、みんな……」
ぶつぶつと独り言ち、室長は執務室へと戻った。
「今日、これから休みだってさー」
メインフロアからサーヴァントの保管場所である傅育エリアへと向かう研究員は、並んで歩く同僚に、気怠そうに話しかける。
「あー? そうなんだ。どうする? 久々に呑み行くか?」
「お! いーねー」
顔を見合わせ、互いに笑い合う。白さは保っているが、ずいぶんと着たきりらしい二人の白衣はよれていて、所々にシワがある。彼らはカリス技研工業に今季入社した研究員で、なかなか帰宅のできない者たちだ。仕事自体は定時から一時間程度の残業で終わるようになっているのだが、いかんせん、ともに働く彼らの先輩たちは、異様なほどに研究熱心であり、帰宅などする気配がない。
それに付き合うこともないのだが、少しでも仕事を覚え、知識を増やそうとして帰ることを忘れてしまう。そうこうしているうちに、彼らの先輩たちと同様にこの研究棟に寝袋を持ち込んで寝泊まりするようになっていくのだ。
だが、まだ彼らは常識さを保っている。早く帰ることができるのならば呑みに行こうというような、自分自身の愉しむ時間を持とうとしているのだから。
「それにしても珍しいよな。なんで休みになったんだ?」
「なんか、サーヴァントの調子が悪いからって、」
「ふーん。ま、おれたちの担当は、毎日調子悪いけどな」
「だな」
「あーあ。ハズレに当たっちまったなー。前回担当したのは、すっげー楽だったのにー」
「まー、仕方ないんじゃないか? たまにはこんなのもあるって。今回の再起動でダメなら、次はないからー、廃棄だな」
「もったいねー。いくらかかってんだよ、こいつに」
「まあ、おれたちの一月分の給料じゃ払えない」
「だよなー」
「使える部品はリユースできるだろうから、それほどの損失はないんじゃないか?」
「おれたちの人件費くらいか」
「そうだな。再起動十回、だもんな」
「ありえねー」
ケタケタと笑いながら、二人の若い研究員は、連れてきたサーヴァントが入る個室の前に立つ。
彼らが振り向けば、ヨタヨタと幽鬼のようにゆっくりとした速度で歩を進めてくるサーヴァントが少し顔を上げた。
「早く入れよ」
入り口のガラスドアを開けて待っている研究員に、ちらり、と目を向ければ、ち、と舌打ちを返される。
ヨロヨロと入り口へ向かおうとしたサーヴァントは、つんのめって派手にガラスドアにぶち当たった。
「あ、わりー。足、ひっかけちまったぁ」
明らかにサーヴァントを転ばせたというのに、白々しく謝る研究員と、それを咎めもせず、くつくつと笑っている研究員。
倒れ込んだサーヴァントは身体を起こし、二人を振り仰いだ。
「なぁんだよ? 睨んでんのか? お前、もう廃棄だし。二度と会うこともねーよ」
バンッ!
乱暴にガラスドアを閉めた研究員は、連れ立って去っていく。
彼らは見落としていた。オートロックであるはずの鍵が、サーヴァントのぶつかった衝撃で歪み、半端にしか閂が嵌っていなかったことを。
そして、気づかなかった。半端には閂が嵌っていることで、不具合の警報が鳴らなかったことにも……。
「あれ? 今日は戻りが早いんだな」
士郎はサーヴァントの居室が並ぶ傅育エリアの廊下を歩いていた。ここは本社棟である高層ビルにある社員食堂から研究棟のメインフロアへ通じる近道だ。普段は食事や食器を載せたワゴンを押しているため通らないが、昼にデリバリーをしたときのトレイを数枚持ち帰るのを忘れていたので、この近道を通って取りに向かっている。
作品名:熟成アンドロイド 後編 作家名:さやけ