熟成アンドロイド 後編
強化ガラス張りで部屋が丸ごと見えてしまう作りだが、ここにいるサーヴァントたちはいまだ調整中の駆体である。それぞれ割り当てられた室内の中で何をするでもなく微動だにしないものが多い。
まるでショーケースのようなこの廊下が、実はあまり士郎は好きではない。研究員たちからは“ゆりかご”と呼ばれ、出荷前のサーヴァントたちが調整を受けている間に入る個室であることはわかっていたが、サーヴァントにだってプライベートはあるだろうにと、どうしてもそんなことを考えてしまうのだ。
「今日は休みなのか? この時間はみんな調整室なんじゃ?」
廊下から見える各部屋にサーヴァントが入っている状態が珍しく、不思議だ、と首を捻った。といっても所々に空き部屋があるので、全サーヴァントが個室に入っているということでもないが。
やがて廊下の端、最後の部屋の前に差しかかり、そこの扉が開いていることに気づく。中にサーヴァントは居ない。空室でも扉は閉まっているのが通常であるというのに、と士郎は少し違和感を覚える。
「休みでもないっぽいな……。もしかして、研究員の人たち、とうとう過労で倒れたんじゃないだろうな……?」
片手で足りるほどだけだが空室があるということは、そのサーヴァントを担当するグループのメンバーだけは調整室にいるということだ。普段であれば、ほぼすべての個室が空いているはずだというのに、本当に珍しい、と士郎は驚きを隠せない。
「まあ、休めるんなら、いいか……」
いつも働きすぎの研究員を目の当たりにしているので、少しでも休みや自由時間が取れるならいい、と士郎は呑気に思う。
「イ……ラ……ナ、ィ……?」
「え?」
角の空き部屋を通り過ぎようとして聞こえた声に振り返った瞬間、腕を引かれる。急なことであり、強い力であったため、身体が傾き、思い切り床に身体を打って倒れ込んだ。
「っい、づ……っ、…………な……に?」
白い包帯で頭から何からグルグルに巻かれた者が士郎を見下ろしている。昔のホラー映画に出てくるミイラ男を思い出し、びっくりしたのも束の間、何やら笑ってしまいそうになる。
「え? あ、えと、サ、サーヴァント?」
見下ろしてくる者は、全身を覆う包帯の上に、袖のない生成りの貫頭衣を着ている。サーヴァントかと問えば頷いているので人ではない。が、明らかに士郎が知るサーヴァントではないことがわかった。
倒れ込んだ身体を起こし、立ち上がって士郎はそのサーヴァントに目線を合わせる。少し腰をかがめなければならないので、士郎よりも二十センチくらい身長が低い。ということは、女性型の駆体なのか、と考えるものの、子供の型ということもある。とりあえずは極力穏やかに話すことにした。
「名前は、ある?」
「S、V、99……0、9」
昔、そんなやりとりをしたな、と懐かしさに少し胸が痛む。
「えっと、それは、名前じゃなくて、製造ナンバーだよな? っていうか、ずいぶん、9が多いな……。それじゃあ、研究員の人からは、なんて呼ばれてる?」
「…………」
何も言わないSV―9909に士郎は首を傾げながら、
「じゃあ、えっと、ナインって呼んでもいいか?」
「ナイ……ン?」
「うん。9がいっぱいだから。あー、っと、今だけな。名前がないと、なんだか、話し難いし」
安易なネーミングに、SV―9909はぼんやりとしている。
「あ、あー、えっと、話せる?」
反応の薄いSV―9909に少し困りながら、士郎は訊ねてみた。
「ハ……ナ、シ……」
「うん。ここは、君の部屋? 俺のことは、知ってるのかな?」
「シロ……ウ……」
「へえ、知ってるんだ。俺は、君のことを知らないんだけど……、最近造られた?」
「ツクラ、レ?」
「えっと、起動した?」
「シ、タ」
「そっか。じゃあ、よろしくな、ナイン。俺は衛宮士郎、知ってると思うけど、ここの食堂で働いてる」
士郎はナインに話しかけることに気を取られていて気づかなかった。だんだんと呼吸がしづらくなっていることに。
「あ……れ? なんだろ、ぼーっと、して……」
ぐらり、と視界が揺れて士郎は倒れ込んだ。
*** *** ***
士郎が触れている……。
ああ、やっと士郎の傍に戻ることができた。
泣いて、いるのか?
泣くな、士郎。
私は戻ってきた。
だから、泣くことなど……。
『起きなくていい』
なん……だと……?
今、なんと言った、士郎?
私はもう、必要がないのか?
起きなくてもいい、とは、そういうことなのか?
私は、もう……?
士郎……士郎……。
SERIAL.8
警報機がけたたましく鳴り響く。
「どういうことだ!」
室長は研究員から報告を受け、椅子を蹴って立ち上がる。
「それが、なぜかわからないんですが、士郎くんがSV―9909の“ゆりかご”に入ってしまっていて……」
「だから、どうして、“ゆりかご”に入るんだ! “ゆりかご”は低酸素状態なんだぞ! それに、各個室には鍵が、」
「もしかすると、SV―9909が何か……」
「まさか?」
室長は青くなった。
「SV―9909が引き込んだ、というのか?」
「わ、わかりません、監視カメラの映像すべてを確認していないので。守衛室から“ゆりかご”の中で人が倒れていると連絡を受けて、」
「とにかく、SV―9909の部屋を開けるんだ」
「それが……」
「なんだ?」
「SV―9909が完全にブロックしていまして」
「なに……?」
室長は信じられない、と目を剥いた。
それではまるで、SV―9909が士郎を“ゆりかご”に引き込んだことを証明しているように聞こえる。
「仕方がない。他のサーヴァントに要請しよう」
「サーヴァントに?」
「“ゆりかご”を壊すには時間がかかる。鍵の制御をSV―9909が握っているなら尚更だ。いつまで士郎くんがもつかどうかわからない。だったら、人以上の力を持つアンドロイドたちに手伝ってもらうしかないだろう」
「で、ですが、まだ、開発途中の駆体たちですよ?」
「消防隊が到着するまでに十分以上はかかる。すでに士郎くんが低酸素状態になって五分は経っているだろう? 時間がない」
執務室から出た室長は、研究室に入り、アナウンス用のマイクを手に取る。研究棟のすべてに聞こえるように設定し、サーヴァントに呼びかけた。
「サーヴァントの諸君、士郎くんを助けるために手を貸してくれないか? 緊急なんだ、“ゆりかご”で彼が……」
室長は言葉を切り、自身の目を疑った。メインフロアで身体的な調整をしているサーヴァントたちは身動きをしない。今ここで調整を行なっている駆体は、手を貸してくれと頼めば、協力をしてくれるまでに教育がなされているはずのものたちだ。だというのに、皆、無反応で何も答えない。
「なぜ?」
士郎が訪れるとサーヴァントたちの調子が上がる。それは、まぎれもない事実だった。士郎は調整に直接関わることなどないというのに、サーヴァントたちは士郎を見知っており、時々その名を口にするサーヴァントもいた。
だが、あれほどに士郎に好意的だったサーヴァントが、今は全く反応を示さない。
「このままでは、士郎くんは死んでしまう。手を貸してくれ!」
作品名:熟成アンドロイド 後編 作家名:さやけ