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熟成アンドロイド 後編

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 切嗣がアーチャーに搭載した戦闘能力を今、最速のフル稼働で右拳に集めていく。踏み込んだ足が床のPタイルを割ったことで少しバランスが崩れたが、補正できる範囲だ。そのままの勢いで右拳を強化ガラスに叩きつけ、そのまま拳で突き破り、士郎を“ゆりかご”から救出することに成功した。
 腕に抱いた士郎は成長していて、両手に余るほどだったが、重いと感じることはなかった。ただ、その温もりが士郎の生きている証だと、それを己の身で感じることができるという事実が、アーチャーにとって何よりもうれしいことだった。



「どうしたの? 入らないの?」
 医務室前のベンチでアーチャーは背を丸めて座っている。声をかけてきたのは、ここまで先導してきた若い研究員だ。
「遠坂凛よ。よろしくね。あなたは、えっと……?」
「アーチャーだ」
「え? アーチャー? って、あの?」
「あの、とは?」
「衛宮切嗣の最高傑作っていう、幻のサーヴァント、SV―00。通称『アーチャー』でしょ!」
「幻?」
「確か十年前に、子供を助けて……、って……。あれ、もしかして、衛宮くんのことだったの?」
 凛は驚きながらアーチャーを凝視する。
「へー、今のアンドロイドと変わらないわねぇ。ちょっと右手、見せて。あ、やっぱり、皮膚が破けちゃってるじゃない。無茶するからよ」
「すぐに再生する。士郎に比べたら、どうということもない」
「あなた、ほんとに、衛宮くんのことしか頭にないのね」
 呆れ顔で言う凛に、当然だ、とアーチャーは答える。
「あ、室長」
 凛の声に、アーチャーは顔を上げた。
「士郎くんはどうだい?」
「呼吸器をつけて、だいぶ落ち着いたようです。問題はないと思うと、お医者様は仰ってます」
「そうか。ところで、君は……、ずいぶんと、突然目覚めるんだねぇ、アーチャー」
 憮然としたアーチャーは、室長から顔を背けた。
「私が目覚めたことは内密に頼む」
「何を言っているんだい? 士郎くんに、」
「私は起きなくていいのだ」
「えーっと、どういうことだい?」
「士郎がそう願っている」
 大きな背を丸めて、アーチャーは、ぽつり、とこぼす。
「そんなわけがないよ。士郎くんはずっと君のことを、」
「とにかく、士郎には内密にし――」
 がたがた、と医務室内から音と声がする。
『大丈夫ですって、もう、なんともないから』
 看護師をあしらう声が聞こえ、士郎が医務室の扉を開けた。
「あ、室長」
「や、やあ、早いお目覚めだね」
「何言ってるんですか、今、夕方ですよ。って、それより、ナインは?」
「ナイン?」
「あの、“ゆりかご”にいた子です」
「ああ、SV―9909のこと? 今、廃棄場に送る前にいろいろと取り外すところだよ」
「ダメだ!」
「士郎くん?」
「なに考えてるんですか! あいつ、まだ起動したばっかりなんですよね? なのに、そんな可哀想なこと――」
「いや、起動は起動でも、再起動だよ」
「え……?」
「どうにも不安定でね。再生機能も遅延気味だし、すぐに皮膚組織と骨格をショートさせてしまう。他のサーヴァントたちとなんら変わらない製造工程だというのに、あの子だけは、どうにもうまくいかないんだよ。そろそろ、見切り時かと思っていたところに、こんな事件だ。君に大事がなかったから良かったものの、もし万が一のことがあれば、責任問題どころか、アンドロイド事業自体に待ったがかかるよ」
「けど……、あいつ、怯えてたよ……」
「え?」
「人に怯えるって、おかしいじゃないですか。アンドロイドは人を好きになるように設計されているんですよね? なのにあいつ、ひどく怖がってた」
「君は本当に……」
 室長はため息をこぼして、士郎を伴いメインフロアへと向かった。
「……で、なんで、私まで隠れているのかしら?」
「ああ、すまない」
 アーチャーの小脇に抱えられ、凛はムッとしてアーチャーを睨む。士郎が扉を開ける直前、アーチャーは凛を抱えて、廊下の曲がり角に身を潜めたのだ。
「まったく、衛宮くんって、アンドロイドをなんだと思っているのかしらね?」
 危険な目に遭わされたというのに、そのアンドロイドを庇うなど、と凛は呆れている。
 その質問にアーチャーは、何も答えることができなかった。



 駆け込んだメインフロアで、廃棄のためにあらゆるデータの消去に取り掛かろうとしている姿が目に飛び込んでくる。
「待って! 待ってください!」
 士郎の声に、技術者が手を止める。
「ナイン!」
 包帯を巻いた顔をこちらに向けたナインはすぐに俯いた。
「ナイン、ゆっくりでいいから、な?」
 駆け寄った士郎は具体的に何を、というわけではなかった。ただ士郎は、焦ることはない、と伝えただけだった。
 研究員の誰も理解していなかったが、ナインは人の期待というものに敏感に反応してしまう駆体だった。その期待に応えようとして失敗する。なんとも不器用なアンドロイドだったのだ。それを知ってか知らずか、士郎がそんな言葉を紡ぐものだから、ナインは驚いたように目を見開いている。
 そんなナインの両手を取って、士郎はそっと握った。
「ゆっくり、ゆっくり、ナインはそのままでいいんだ」
 少し顔を上げたナインは、士郎を上目で見上げる。
「ゴ……メ、ナ……サ、イ……」
 おずおずと小さな子供のようにナインは謝る。
「大丈夫、俺はちゃんと生きてるよ」
 そっと、包帯だらけの頭を士郎が撫でると、ナインはぎこちなくだが、笑顔のようなものを見せた。
「ああ、そうだ。みんなに一つ聞いてほしいんだけどね、」
 士郎の後に続いてきた室長は、そう前置きしてメインフロアのサーヴァントを見渡す。アナウンスのマイクもオンにして、室長は声を張ってはっきりと言葉を紡いだ。
「士郎くんがサーヴァントは要らない、って言ったのはね、彼にはもう決まったサーヴァントがいるからだよ。それから、人の方が早く死んでしまうのに、後に残されるサーヴァントは可愛そうだ、ってことも言っていたな」
 サーヴァントたちの表情に、僅かな変化が見られた。その様子に室長は驚きつつ、少々呆れた顔で苦笑う。
「まったく、あんな一言でサーヴァントたちに気鬱を与えるなんて、すごいなぁ、士郎くんは」
 室長は、あれからサーヴァントの不調の原因を探していたのだが、時間的なところから考えて、もしかしたら、と仮定を立てていた。
 あのときの室長と士郎の会話。士郎が言った、“サーヴァントは要らない”というその一言。それに皆が反応したのではないか、と。
 室長自身、半信半疑であったが、士郎がサーヴァントに与える影響というものに驚きを隠せない。これは、ますますスカウトしなければ、と気合を入れてしまう。
 ナインの頭を撫でて笑っている士郎を微笑ましく見つめ、あ、と室長は思い出した。
「えーっと、どうしようかなぁ……」
 言わずと知れた、アーチャーのことだった。

 余談となるが、SV―9909を担当していた二人の若い研究員は担当を外され、組み付けの部署へ配置換えとなっている。
 サーヴァントへの接し方が問題とされ、二度とその二人は研究棟に足を踏み入れることは許可されない、という特別な辞令が出ていた。



SERIAL.9
作品名:熟成アンドロイド 後編 作家名:さやけ