ポケットいっぱいの花束を。
それに気づいた店内の皆が、グラスを片手に「メリー・クリスマス」を唱えた。時は深夜二十四時三分、店内のムードを一括している楽曲は乃木坂46の『僕は僕を好きになる』であった。
7
地上の庭先に立つ一本のモミの樹が、すっかりクリスマス・ツリーでなくなった頃である。〈リリィ・アース〉地下二階南側のフロアに存在する〈応接室〉にて、最初に到着したのは磯野かつおであった。集合時間は午後二十時である。集合時間に五分程遅れてやってきたのは、稲見恵(いなみけい)であった。
日付は、二千二十一年一月四日である。
「久しぶり、だね」稲見恵はスーツのロングコートをソファの上に置きながら、機嫌良さそうに、磯野かつおに言った。「二年ぶりぐらいかな?」
「だな、ウパの結婚式以来だから、二年ぐらいだ」磯野かつおはソファに腰掛けて、足を組んで煙草を吸っている。「今野さん、来んのか、マジで。この前会ったのいつだったっけか……」
「ウパと今、合流したみたいだよ。ウパが迎えに行ったらしい」稲見恵はスーツのジャケットもソファの上へと置いて、着席した。「今野さんも忙しいのに、リレイションシップを忘れない人だから、尊敬するよ。で、どう、奥さんとは」
「お前んとこはどうなんだよ。家族四人で仲良くやってんのか?」
「瓶は独立してるからな。今は家族三人暮らしだ」稲見恵もポケットから煙草を取り出して、ジッポライターで火をつけた。「かつおんところの長男も、独立してはいるんだろ?」
「波平か、会ってねえな。最近は」
「俺も瓶には年に一度しか会わなくなったよ」
「次男、名前何てったっけ?」磯野かつおはまた、顔をしかめて言った。「長男はびん、だろ? じゃ次男は、かん、か?」
「けしきだよ。景色というそのままの漢字で、けしき」稲見恵は旨そうに、煙草の煙を吐き出す。「ウパんところはゆうだ。覚えやすくて助かるよ。波平も覚えやすかった」
「うちのかあちゃんが俺への呪いを込めてつけた名前だからな。波平も苦労してるだろうに……」
「サザエさん関係で?」稲見恵は無表情で言った。
「はっきり言うな、けっ」磯野かつおはふてくされて、足を組み替えた。「お前も、コーヒー飲むか? それとも、まだコーラがいいのか?」
稲見恵は少しだけ笑った。「イーサン、ホットコーヒーを一つお願いするよ」
『畏まりました』と、電脳執事のイーサンが応答した。
今野義雄(こんのよしお)氏と風秋夕(ふあきゆう)が巨大地下建造物〈リリィ・アース〉の地下二階にある〈応接室〉に到着したのは、午後二十時四十三分頃であった。
「いやあ、ごめんごめん、打ち合わせが長引いちゃって」今野義雄氏はマフラーを取って、ロングコートを脱ぎながら、ソファに腰掛けた。「ウパが来てくれて助かった」
「デリケートなんでね、困ってる先輩を見知らぬふりはできないんですよ」風秋遊はロングコートをソファに置いて、自分もソファに腰を下ろした。「ジェイコムズ、あったかいコーヒーを二つだ」
「ウパ、ここの執事は、イーサンだよ」稲見恵が言った。
「おお、そうか……。イーサン」風秋遊はもう一度宙に声を出した。「あったかいコーヒーを二つだ。至急頼む」
電脳執事が応答した。
「かつお、元気にしてんの?」今野義雄氏は笑みを浮かべて磯野かつおに言った。「お前の息子、お前にそっくりだよな、性格が。あれなんとかなんないの?」
「ほぼ教育に関わってないすからねえ」磯野かつおは顔をしかめて苦笑した。「あいつが十九の時ですから、俺が親父になったのは」
「夕もウパにそっくりだよな」今野義雄氏は淡々とした口調で言った。「稲見の息子も、生き写しじゃねえか、あれ」
「顔は似てないよな? みんな」風秋遊は皆を見回して言った。煙草に火をつける。銘柄はマルボロだった。「俺も夕が十九の頃ですよ、夕と親子関係になったのは。性格が間違いなく俺の子ですからね。愛しい我が子ですよ」
「今野さんのとこは、家族元気なんすか?」磯野かつおが旨そうに煙草の煙を吐きながら言った。「時間作んなきゃダメっすよ、今野さん」
「なー」今野義雄氏は渋く頷いた。
〈レストラン・エレベーター〉にホットコーヒーが二つ届いたので、風秋遊がそれを今野義雄氏と自分の席へと運んだ。
「あ、明けましておめでとうございます」
風秋遊のその一言で、周囲に年賀の挨拶が飛び交った。
「今野さん、五十歳の誕生日、おめでとうございます」風秋遊は笑顔で言った。
「あー、もう五十だよ」
「おめでとうございます」と磯野かつお。
「改めて、お誕生日おめでとうございます、今野さん」と稲見恵が続いた。
「知ってました、今野さん」風秋遊は口元を引き上げて言う。「十二月十四日。誕生日、今野さんと俺、一緒なんですよ」
「あ、あれ、そうなの?」今野義雄氏は少しだけ驚いてみせた。
風秋遊は今野義雄氏に笑みを浮かべて言う。「忠臣蔵なんですよ、俺ら。元禄十五年、十二月十四日に、吉良上野介の討ち入りに成功。知ってました?」
「いやー、初耳だなあ」今野義雄氏は足を組み替えて言った。
「歴史に興味ないんですけど、忠臣蔵は毎年観ちゃいますからね。豆知識で」
「ウパって、今幾つだっけ?」今野義雄氏は眼を見開いて、風秋遊に言った。
「四十二です」
「八個上か、僕の方が」今野義雄氏はそう言って、美味そうにコーヒーを飲んだ。「これ、超絶美味い。ブルーマウンテンだな」
「コーヒーお好きですか?」風秋遊は眉を上げて今野義雄氏を見た。「贈りますよ。とっておきのがあるんだ」
「おう、まあ、それはいいけどさあ」今野義雄氏は表情と気持ちを切り替えて言う。「今の坂道グループ、どう見えてる?」
「乃木坂、ですね」稲見恵が言った。
「櫻坂とかもだろ?」磯野かつおは稲見恵を一瞥してから、風秋遊を見る。「ウパ、往年のモーヲタとしては、どう見るよ?」
「うん……。乃木坂は魅力的ですよね」風秋遊は今野義雄氏に言った。「乃木坂にブスはいない、て、聞いた事ありますよ。これ以上のキャッチコピーはないでしょう」
「まだまだこれからさあ、面白い事やろうって思ってるんだけど」今野義雄氏はコーヒーを一口味わった。「完全にさあ、いつか、先生をね、こう完っ璧に納得させたいよね。野球で言うところの、ホームランだよな」
「秋元先生か」磯野かつおが言った。
「そもそも、あの人は天才肌だからな……」風秋遊は思考しながら言う。煙草を灰皿にもみ消した。「夢を創るのがあの人で、具現化するのは今野さん達なんだろうから……。完璧な仕事してますよ。今や世界の乃木坂だ。普通に生活してて名前を眼にする耳にする。後は、どう乃木坂のメンバー達に、満足できるような経験をさせてあげられるか、それにつきますよ。それも実現してるんだろうし、夕の話を聞いてるとね。かなりパーフェクトな感じなんじゃないかなー」
「MVなんかもさ、こっちからクリエイターにお願いする場合、いかに百二十%の力を出して頂けるかがチームの手腕になってくるんだよな」今野義雄氏は真剣な面持ちで三人の顔を見回しながら言う。「そのクリエイターの力の半分も引き出せなかったとしたら、その瞬間に負けだからな」
作品名:ポケットいっぱいの花束を。 作家名:タンポポ