ポケットいっぱいの花束を。
「SNSに投稿したり、活動をチェックしたり、振り返ったり……。愛の形は様々でいい。ただ、卒業される事が悲しいというだけで泣いてるのは、もったいないよ。卒業を決心した本人の意思と決意を理解して、泣いたらいい」
「忘れるもんかっ」
「ダーリン……」
「この胸の痛みもっ、今日までの未央奈ちゃんの笑顔もっ、涙もっ、全部っ」
「そうだね」
「忘れるっ、もんかーーーっ!」
暗闇に走ったその大声は、やがて深く冬に眠る山々の静けさに沈んでいった。
しかし、姫野あたるは忘れない――。確かに、自分がそう叫んだ事を……。
自分が、愛したものを。
最愛の、スーパーヒーローの存在を。
「夏男さん、ありがとう……」
「ううん。俺に出来る事は何もないよ。ただこの凍り付きそうな玄関をいち早く締めて暖房とストーブに当たりさえすれば、ダーリンも俺も更に生きていけるようふふう」
「寒いでござるなー。冬の雪山はー……」
「さぶいよね、うふふん……」夏男は凍り付きそうな顔面を笑わせる。
「夏男殿は、どうして、いつも小生の路を照らしてくれるんでござるか?」
「ねえあのう、キッチンで話さない?」
「夏男殿は、きっと、経験者でござるな。小生の気持ちを、まるで知っているかのようでござる……」
「そうだね」夏男は諦めて、煙草に火をつけた。「俺だって心から愛した人達がいてね、今もその人達に感謝してるんだ。ね寒くないのう?」
「小生の人生は、乃木坂と共にあるのでござる……。感謝は、尽きる事がないでござるな……」
「ね中入って話しませんか? おおっ、さ、さぶっ!」
「小生は、いじめられっ子でござった……。それゆえ、性格も自然と歪んでいったでござるよ……。頭が悪くて、ケンカが弱くて、スポーツもろくにできない。良いとこ無しのチビでござった」
「そっか……。じゃ中入ろっか」
「深夜アニメにハマって、ネットばかり。ろくに家族と会話もしなかったでござる。友達と呼べる存在もなく、小生はただ、毎日を見過ごしていたでござる」
「そうだったんだね。じゃ中入ろう、ね?」
「ろくすっぽ行かなかった高校も中退した、そんな時でござった……。深夜の乃木坂ってどこ? という番組に出逢ったでござるよ」
「ふうん……」夏男は、笑顔になる。「じゃここに居よっか。付き合うよ」
「乃木坂のみんなは、とても透き通った存在に見えたでござる……。純粋な何かを、そこで小生は受け取ったでござるよ。何年かぶりに、笑ったでござる」
「はは、おんなじだ」
「乃木坂が泣けば、自然と小生も泣いてたでござる。乃木坂が笑った分だけ、小生も笑ってきたでござる。未央奈ちゃんとの出逢いは、感動の涙だったでござるよ……」
「どんな出会いだったの?」
「当時、研究生だった未央奈ちゃんが、乃木坂ってどこ?の番組を見物に来ていたでござる。ちょうど、七枚目シングル、バレッタの、選抜発表の日だったでござる」
夏男は煙草をくゆらせながら、うんうんと頷きながら聞いていた。
暗闇はすっかりと、間近な森林の景色さえもを覆い隠していた。
夜は何でも知っている。
夜とは、そういうものだろう。
「センターの発表で、当時、まだ研究生の未央奈ちゃんが、センターに大抜擢されたんでござるよ。鳥肌が立ったのを、今でも憶えているでござる。未央奈ちゃんは戸惑い、泣いていたでござるな……」
「凄い人だね……」
「それが出逢いでござる。未央奈ちゃんとの!」
姫野あたるはがたがたと震えながら腕組みをして、〈センター〉の出入り口の扉を閉めるよう、夏男に催促した。夏男は戸締りをして、キッチンに駆け込む。姫野あたるも同様にキッチンへと暖を取りに駆け込んで行った。
そんな事までかはわからないが、夜は何でも知っている。
姫野あたるは、夜の暗闇を思い浮かべながら、そう思った。
11
二千二十一年一月二十九日、ミュージックステーション冬うたSPにて、堀未央奈がミュージックステーション、ラストとなる出演を果たした。二千二十一年一月三十日、バズリズム02にて、堀未央奈が最後の出演を果たす。二千二十一年二月六日、ミュージック・フェアにて、堀未央奈、最後となる出演を果たした。
二千二十一年二月二十三日、うたコン「あの頃と出逢(あ)う、青春の歌~冬~」において、堀未央奈ラストとなる出演を果たした。二千二十一年二月二十七日、坂道テレビ~乃木と櫻と日向~▽坂道3グループ一挙出演にて、堀未央奈は最後の出演を果たした。
二千二十一年二月二十八日、芦田愛菜&東大教授の…楽しく学べる!最強教科書クイズにて、堀未央奈は乃木坂46としてのソロでの最後のバラエティ番組出演を果たした。二千二十一年三月二十三日、シブヤノオト「卒業ソングスペシャル」にて、堀未央奈が最後の出演を果たした。
二千二十一年三月二十四日、プレミアム・ミュージックにおいて、堀未央奈は最後の出演を果たした。
この日が来ることを、指折り数えた。泣きもした。納得を拒否する混沌とする思考とも戦った。笑いもした。歴史を振り返りもした。
巨大地下建造物〈リリィ・アース〉の地下八階、その南側の巨大な扉の奥に在る〈ブリーフィング・ルーム〉に集まった乃木坂46ファン同盟の五人は、遠藤さくらの登場を尊く迎え入れた。
「あの……、今日は、何で、呼ばれたんですかね……」
遠藤さくらは、恐る恐るといった口調で、五人にきいた。
現在〈ブリーフィング・ルーム〉には乃木坂46堀未央奈初のソロ曲、『冷たい水の中』が流れていた。
「ごめんね、さくちゃん」夕はにこやかに言った。「あ、座って。来てくれてありがとう。さくちゃん。明日、未央奈ちゃんの卒業ライブじゃんか」
「は、い……」さくらは、頷いた。
「俺らね、新しい希望に、どうしても会っておきたくてさ」夕は着席したさくらに、うんと、頷いた。「乃木坂の、未来への希望に」
遠藤さくらは、眼を薄めて、首を横に振った。
「さくちゃんの顔が見たかったんだ」稲見は微笑んで言った。「無性にね」
「はぁ……」
「未央奈ちゃんに、ちゃんとお別れを言うのには、希望も必要なんです」駅前が言った。
「私、ですか?」さくらは小首を傾げて、眼を薄めて言った。「希望なんて、とんでもないです……」
「未央奈ちゃんには、これからもよろしくってよ、そういう気持ちで送り出す予定だぜ? でもさ、やっぱ、不安なんだよな。みんな、辞めてくんじゃねえか、てな」
遠藤さくらは、納得したように、静かに、頷いた。
「さくちゃん達が、未央奈ちゃんをしっかりと、見送ってあげて欲しいでござる」あたるは、そう言って、さくらを見つめた。「さくちゃんは光。未央奈ちゃんが輝いているように、さくちゃんがこれからは乃木坂を光らせてくれるでござるよ」
遠藤さくらはまた、眼を薄めて、首を横に振った。
次の瞬間、〈ブリーフィング・ルーム〉の自動ドアが開閉した。
「あ」
遠藤さくらは驚いた顔をする。
「あれ、さくらちゃん」
現れた人物は、堀未央奈であった。
「どうしたの呼ばれたの?」未央奈はくすりと笑って言った。「うわあ、凄い、ケーキもある」
作品名:ポケットいっぱいの花束を。 作家名:タンポポ