その先へ・・・7
(3)
朝‥…
何故ここにこんな風にに横たわっているのか?
ユリウスは起き抜けの頭を精一杯動かしてみた。
昨晩は、ガリーナと彼女の亡くなった家族の話をしていた。家族は不幸な亡くなり方をした、と聞いていたので辛いだろうとユリウスなりに気をつかったのだが、ガリーナは笑顔で話してくれた。
「だって、母さんや弟達だってちゃんと生きてこの世にいたのよ。生きていた証を話してやらなければ、誰も彼らの事を知らないで終わってしまうわ。そんなの悲しいじゃない。わたしの心の中に家族は今も生きているし、これからだって……。もちろんあなたが嫌じゃなければだけど」
家族という存在を身近に感じられないユリウスにとり、彼女が話す家族の話はとても興味深かった。
中でも弟達の話は、2人で笑い転げるほどだった。
「それでね、いたずらが見つかった1番下の弟はわたしにこっぴどく怒られて、もうお姉ちゃんなんか大嫌い!って。そりゃないわよねぇ、自分が悪いのに。それでもわたしは言ったの。あら残念。お姉ちゃんはあなたが大好きなのにって。そうしたら弟ったら顔を真っ赤にしてワンワン泣き出して。ふふふ……可愛いったらないわ」
ガリーナの小さな弟の話は、ユリウスに小さなリュドミールの事を思い出させた。
記憶を失い、周りの誰もが自分を憐みの瞳で見るのが耐えられない時も、リュドミールだけは違った。
透き通る様に綺麗な瞳を楽しそうに見開き、いつもちょこまかとユリウスの近くに走り寄って来た。
少し年の離れた弟の様でもあり、共に色々な事を学んだ友達の様であり、と不思議な存在だった。
ユリウスにとり、リュドミールと共に過ごしていたことが不安定で揺らぐ心を穏やかにしてくれた事は間違い。
そんな存在がいた事をガリーナ話そうと思っていたそんな時に、いきなり現れたのがあの男だった。
「そうだ……!!」
ユリウスはベッドから飛び出した。
瞬間、自分の足元を見て驚いた。
え?
着替えてない…
いつもの寝間着じゃない……
え……?
呆然としているとドアが開き、控えめにガリーナが顔を覗かせた。
「起きたのね。気分はどう?」
穏やかに笑うガリーナにユリウスは走り寄った。
「ガッ、ガリーナ!あの……ぼく……。あ、それよりきみ、体はっ?」
「大丈夫。最初から何ともないもの。でも心配してくれてありがとう。だけどあなたこそ大丈夫?お水持ってきましょうか?」
「お水?」
何もわかっていない様子のユリウスに、ガリーナは微笑んで窓辺に歩いていきカーテンを開けた。やわらかい光が差し込みユリウスは少し眩しそうにした。
「アレクセイから聞いたわ。夕べあれからウオッカを一気飲みしたんですって?あなたったら本当に無茶するわ」
「えっ?」
「そのあと寝てしまって……。何をしても起きないからって、アレクセイがベッドに運んでくれたのよ」
「アレクセイが……ベッドに……」
昨夜‥‥、あの男が来た。
アレクセイやガリーナを侮辱し、レオニードまでもを愚弄した男。
震える心を奮い立たせ対峙していたが、アレクセイが来てくれた。
あの男をイワンが連れて行った後、アレクセイに心の闇を告白して、それから……。
途端にユリウスは自分の頬が赤くなったのがわかった。
普段だったら絶対言えない事を言った。
絶対しない事もした。
あれがウオッカのなせるワザだったのだろうか?
そして、あの時感じたアレクセイの自分に対する思いも鮮明に思い出し、更に顔を赤く染め上げた。
「ガッ、ガリーナ!あの……」
「アレクセイもフョードルも、昨夜のうちにまた出かけたわ。重要な仕事があるんですって。終わったらすぐ迎えにくるわ。だからそれまでここで彼を待っていましょう」
「迎え?」
「アレクセイは昨夜あなたを連れ帰るつもりだったわよ。あ、もちろん彼はそんな事一言も言わなかたけど」
「えーっ!」
昨夜、あたたかなアレクセイのぬくもりを感じ、ゆっくりと穏やかなな睡魔に意識が絡めとられ、どこか遠い所からかすかに聞こえてきた言葉。
「今更と思うかもしれないが、おれと……」
アレクセイの顔を見つめ、その言葉を聞きたいと思っていたが、彼のあたたかなぬくもりがあまりにも心地よく、そのまま彼に寄りかかって眠ってしまったのだった。
そのあと、アレクセイがベッドまで運んだとガリーナが教えてくれた事を思い出し鼓動を跳ね上げた。
「そうだわ、アレクセイが大切なものだからって言ってサイドテーブルの上に包みを置いて行ったわよ」
ハッとしてサイドテーブルに視線を走らせ、茶色の包みを見つけ手に取った。
「大切なものなの?」
「うん、これ……」
中から2枚の写真を取り出した。
「これ、アレクセイのお兄さんだって」
半ば英雄視されているアレクセイの兄、ドミィートリィーの顔を初めて見たと言ったガリーナは写真を興味深く見つめた。
「アレクセイのお兄さん、アレクセイにそっくりね。あ、アレクセイが似てるのね」
「うん。ぼくもびっくりしたんだ。……素敵な人……だよね」
「それをアレクセイに言ったらダメよ。また機嫌を損ねてこんな顔になるから」
眉根を寄せ、辛そうな顔をしたアレクセイの顔真似をしたガリーナを見て、ユリウスは声を上げ笑った。ガリーナも一緒になって笑った。
それからユリウスはガリーナに写真の説明をし、隣の女性が兄の婚約者であった事を話した。
「ねぇ、こっちの写真のこの少年ってアレクセイよね?」
「うん。変わらないよね」
「ええ!変わらないわ。あなたがユスーポフ侯爵の話をした時もこんな顔してたわよ、彼……」
「え?」
「こんな苦虫を嚙みつぶしたような……。ふふ……もしかしたら、このお兄さんの婚約者の事が好きだったんじゃない?」
「そっ、そうなの?」
黒髪の婚約者の顔をじっと見つめた。
確か彼女とは以前面識があると言っていたが、やはり思い出せるわけもない。
「でも、今の彼はあなたしか見ていないから大丈夫よ。それにあなただって彼しか見ていないものね」
「ガリーナ……」
「アレクセイの大切なお兄さんの写真を託されたという事は、あなたを信頼しているという事よ。大切な物だからあなたに持っていてもらいたい。あなたにしか頼めない」
「……」
「この写真も、あなたも大切だという事よ」
まだ不思議そうな顔をしているユリウスをガリーナは優しく抱きしめた。
「良かったわ、ユリウス。夕べは思いがけず大変な目に遭ったけど、あなたの気持ちもアレクセイの気持ちもわかって……、確かなものになって……本当に良かった」
ガリーナの瞳に涙が浮かんでいる。こんな風に自分の身の上を気づかってくれる存在がいるなんて。ユリウスの胸も熱くなった。
「さぁ、朝食を食べましょう!食べたら色々と教えてあげなきゃいけない事が山ほどあるわ」
「なにを……?」
「あら、決まってるじゃない。アレクセイと二人で暮らすんですもの。ミハイロフ家の家庭を豊かなものにするための術よ」
ユリウスの頬は、ウォッカを一気飲みした時以上に真っ赤に染まり、ガリーナは声を上げ笑い転げた。