BUDDY 1
それは、アーチャーが士郎との契約が成った時点でわかっていた事実だ。敢えてそれを凛とセイバーに教えることもないが、今後、聖杯戦争がどう転んでいくかなど誰にもわからない。
アーチャーが召喚された三度の聖杯戦争では、ことごとく結果が違っていたのだ。今回がそのどれかと同じ流れになると、誰が断言できるというのか。
(それに、おそらく、あの男がまた……)
どのみち冬木の聖杯戦争は、定石通りに済むはずがなく、厄介なことが起こるのだ。ならば、それに備えておく必要がある。
そういうわけで、今夕、士郎の魔術回路のすべてを開いた。
午前中に診た士郎の魔術回路は予想に違わず、たった一本の回路に微弱な魔力を流していただけにすぎない。
どうすべきか、と日中迷っていたアーチャーだが、のんびりしているわけにもいかない。
できるだけ早く戦力として使えるように士郎の能力を引き上げた方がいいことはわかっている。
だが、まだまだ士郎が未熟すぎる。
身体も魔力も、いきなりの負荷に耐えられないかもしれない。そうして半身不随になどなってしまえば、元も子もなくなる。
(もう少し時間をかけるか、それとも…………)
悶々と朝から考え続け、堂々巡りになる思考が億劫になってきたアーチャーは、今日やってしまおう、と半ば投げやりに決め、夕食後の鍛錬を終えた士郎に説明をした上で、全回路を解放させ、魔力を流せるようにした。
いきなり、そんなことをすれば、士郎の身体に負荷がかかる。予想通り、道場で動けなくなった士郎を部屋に放り込んでから、かれこれ二時間が経っている。
少しは動けるようになっただろうか、とアーチャーは士郎の部屋へ向かう。障子戸を開け、目の前に広がる光景に、アーチャーは自身の予測が、少し士郎に期待を寄せすぎていたのだということを知る。
士郎はこの部屋に放り込んだときと同じ状態のままで、うんうん唸っていた。
「…………はあ」
腹の底からため息を絞り出し、
「未熟者め」
アーチャーはこちらに目だけを向ける士郎に呆れるほかなかった。
「まったく……」
呆れはするが、仕方のないことだとアーチャーにもわかっている。差し迫った状況で投影魔術を経験したわけでもない士郎には、かなりの負荷が余儀なくされることをした。何しろ、魔術回路を無理やりこじ開けたようなものなのだ、身体のあちこちに不具合が生じても仕方のないことだ。
だが、そのことをアーチャーは説明して慰めることもせず、倒れている士郎の側を通り過ぎ、押入れから布団を出し、きっちりと敷く。次いで士郎を小脇に抱え、敷いた布団の上に落とした。
ウンともスンとも言わない士郎の横顔は、何やら悔しそうに唇を噛んでいる。
(まあ、この状態でヘラヘラされていても困るが……)
だからといって、そう思い詰められてもやりにくい。魔術回路の具合は気になるところだが、その身に支障を来していないかどうか、一応確認をしておくことにする。
「問題ないか?」
「よく、わか…………らな……」
身体のことを訊いたのだが、士郎は魔術回路のことだと思ったのだろう、辿々しくそう答えた。
「身体はどうだ」
「…………みて、の……とおり……」
「まあ、魔術回路のことはわからんだろうが……、そのうちにわかるようになる。私でも自力でどうにかなったのだ。指導されているお前ならば、それほど時がかからずに、魔術回路のことも魔力のことも理解できるようになり、使えるようにもなる」
慰める気などさらさらなかったというのに、なぜ励ますようなことを言っているのか、とアーチャーは自分自身に首を捻る。
(こいつが何をどう思おうと、私には関係が……、いや……)
衛宮士郎を導くと決め、鍛え直そうとしていて関係がないなど、今さら言える立場ではないと気づく。
しかし、それにしてもこいつを励ますなど、どうかしている、と自嘲すれば、士郎がこちらを見ている。琥珀色の瞳はいまだ純粋さを持っていて、何やら肚の底まで見透かされそうな気がしてしまう。つい、ごろん、と士郎の身体を反転させてこちらに背を向けさせた。
「う?」
訝しそうにこちらを向こうとする視線を無視して、
「供給だ」
短く告げ、シャツを脱ぎ、士郎のシャツを脱がせ、背中から抱き寄せる。
すっぽりとおさまりきってしまう士郎の身体に何を思うこともないが、肌から伝わる温もりと魔力が心地好くないわけではない。
アーチャーと士郎の魔力は親和性が高く、おそらく他のサーヴァントにしてみれば出がらしのような士郎の魔力でも、アーチャーにとっては極上の魔力である。総量は少ないものの、アーチャーが現界するには問題ない程度にはいただけている。
凛の魔力も質の良いものであったが、士郎の魔力とは別物だった。質がどうこうというのではなく、根本的な種類の違い、という感覚だとでも言えばいいのか……。
それが、同じ派生ということなのだろう。主従となるのであれば、これは最大のメリットなのかもしれない。
他には何もメリットがあるようには思えないので、やはり士郎を主にするのはオススメしない、とアーチャーはどの世界線の聖杯戦争に喚ばれても断言する気でいる。だが、それでもアーチャーだけは士郎と契約をしてもそれなりに動けそうだと思った。
(私であれば……)
士郎を主としても問題はない。
己だけが特別だということに、その優越感に、アーチャーはまだ気づいてはいなかった。
***
「へ、変なのが、出てきたのよーっ!」
突然、庭に飛び込んできた少女たちに、縁側から顔を出した士郎とアーチャーは、二人して唖然とするよりほかなかった。
久しぶりに見た凛は、あちこち擦り傷だらけで、セイバーもずいぶん消耗している。その姿を見れば、回復にかける間もなかったことが窺えた。
「何があったんだ?」
お茶を出しながら士郎は訊いたが、凛は前の勢いを急に引っ込め、視線をさ迷わせる。
「ご……、ごめん、なんでもないわ」
ずず、とお茶を啜る凛に、士郎は首を傾げてアーチャーを見上げる。茶菓子を手にして台所から居間に入ったアーチャーは顎を引いて頷いた。
「え、えっと、遠坂、よかったら、話してみてくれないかな……、えっと、助けになれるかどうかは、わ、わかんない、けど……」
「あんたたちは、聖杯戦争には不参加なんでしょ? だったら、巻き込むわけにはいかないもの」
むす、と頬を膨らませた凛は、お茶を飲んだら帰ると言う。
「あーっと、も、もう少し、ゆっくりしてけばいいじゃないか。晩ご飯も食べていっていいから」
「……お昼も、食べてない」
ぼそ、と吐き出された凛の言葉を聞き、時計を確認すれば、午後三時に近づきそうな頃合いだ。
「え? あ、じゃ、じゃあ、なんか、」
腰を上げた士郎の肩に手を起き、そこに居ろ、とアーチャーは示唆する。
「私が作ろう。マスターは凛の話を聞いておけ」
「い、いいのか?」
「不測の事態が起きた、そういうことなのだろう?」
士郎にではなく居間の二人に訊けば、凛とセイバーは同じように、こく、と頷く。
「とにかく話は後だ。先に腹ごしらえをしよう」
アーチャーはそう言って茶菓子を士郎に手渡し、台所に戻った。