BUDDY 1
遅い昼食を取り、ようやく人心地ついた凛は自身とセイバーの治癒をし、聖杯戦争の現状を話しはじめた。
凛は早々にライダーを倒し、新都で起こった集団昏睡事件の原因であるキャスターと三度戦ったのだが、いつも土壇場で逃げられ、決着をつけるに至っていなかったらしい。四度目となった柳洞寺での対戦中に横槍が入り、呆気なくキャスターはその横槍に倒されてしまった。
「あれは、ギルガメッシュです」
静かに聞き手に徹していたアーチャーは、思わずその名に反応してしまった。微かな頬の引き攣りだけであったのだが、じっとセイバーがこちらを見ているので勘付かれていると察しておくことにする。
「ギルガメッシュ? それって、どんな――」
「英雄王ギルガメッシュ。古代の王だ」
「へえ……。アーチャーは、やっぱり知ってるんだな……」
呟いた士郎の言を聞き咎め、アーチャーは士郎を睨めつける。
「あ、う、ご、ごめん……」
慌てて謝る士郎に、アーチャーは舌打ちをこぼした。
「ねえ、ちょっと。あんたたち、何か、ワケ知り顔なのはどういうこと? 不参加だって言ったわよね? とくにアーチャー、ギルガメッシュを知っているって、どういうことなの?」
「…………」
強い口調で問われ、アーチャーはしばし沈黙したあと、大きなため息をこぼした。面倒なことになっただろうが、という顔で士郎を見れば、しゅん、と主は小さくなっている。
「なんなのよ、いったい! ことと次第によっちゃあ、」
腰を浮かせた凛は、セイバーとともに臨戦態勢に入ろうとしている。
「はー……」
「ごめんって!」
額に手を当ててため息をこぼすアーチャーに、士郎はますます肩を縮めて謝った。
「ちょっと!」
問い詰めたというのに捨て置かれている凛の剣幕に、アーチャーは腹を決めて口を開く。
「知っているも何も、四度目だからな、聖杯戦争に喚ばれるのは」
「四度、目? はあ? じゃあ、これから――」
「といっても、毎回流れが違う。私にこれからどうなるか、などという幼稚な質問はしないでくれ」
「っ、し、し、しし、しないわよ!」
凛は、思わず訊きそうになったことをさらりと流して否定する。
「で、でも、だったら、どうして先に言わなかったのよ?」
「セイバーとて、十年前の聖杯戦争に参加している。手の内を明かさなかったと、私だけが責められることではないと思うが?」
「あ…………。うぅ……、そ、そうだけど……、って、どうしてセイバーが十年前も召喚されていたって、わかるのよ!」
「四度目だと言っただろう」
「あ、そ、そうね……」
アーチャーが呆れつつ答えると、凛はあっさり納得したようだ。
「アーチャー、あなたはギルガメッシュと戦ったことがあるのですか?」
凛とアーチャーのやりとりを窺っていたセイバーが神妙な顔をして訊いてくる。
もっともな質問だ。アーチャーに対戦経験があるのならば、それを訊き出し、勝機を己にもたらせると判断するのは戦う者として当たり前の反応だろう。
「…………まともに戦ってはいないな」
生前のことまで持ち出せば、ある、と言わなければならないだろうが、アーチャーとしては、ギルガメッシュと対峙してはいない。不意打ちを喰らい喰らわせたことはあるが、面と向かって戦ったことはなかった。
「そう、ですか……」
やや気落ちした様子のセイバーは、勝ち残るための策を模索しているようだ。何しろ、聖杯戦争の不参加を表明しているアーチャーに助言を求めようとしたのだから。
重たい空気が衛宮邸の居間を埋めつくし、士郎は居心地悪そうに膝の辺りを軽く握った拳で擦っている。
「バーサーカーは、どうした?」
沈鬱な気配に限界を来たしそうな士郎に息抜きをさせるつもりはなかったが、ふと気になったことをアーチャーは訊ねた。
凛が相手にしたサーヴァントは七騎のうちの、ランサーとライダーとキャスターのみだ。アサシンはキャスターに付随していたと見て間違いはないようなので、あとは厄介なバーサーカーが残っていることになる。
「バーサーカーはすでに敗れていました」
「そうか……」
目を伏せたアーチャーの脳裡には、白い髪の少女が浮かんでいた。おそらく彼女の心臓が聖杯に捧げられたのだと容易に想像がつく。それを思うと苦い想いが胸に広がった。
(今回も、だめだったのか……)
一度目と三度目は途中退場だったために、あの少女をどうこうすることはできなかった。が、二度目のときは、どうにかして助けてやりたかったと、アーチャーは心底口惜しく思っていた。そして今回、できることならば、と思う気持ちがあったにもかかわらず、時既に遅しである。
(それにしても、ギルガメッシュの登場が早い気がするが……?)
裏でコソコソ動いていたことに気づかなかっただけなのかもしれないが、ギルガメッシュが表立って動き出すのは、もう少し後だったような気がしている。
(何か不具合が……? いや、そんな感じでもないか……)
どう転んでも、この冬木の聖杯戦争で争われる聖杯はすでに壊れている。手にしたところで災厄にしかならない物を、凛やセイバーが欲しがるとは思えない。
(いや、そんなものでも欲しいと、セイバーは思うのだろうか……)
ちらり、と緑茶を啜るセイバーを見遣り、もうずいぶんと色褪せた記憶を思い起こしてみる。
アーチャーが衛宮士郎として参加した聖杯戦争のことなど、たいして思い出せもしないが、セイバーが聖杯を求めてやまないということは変わりがないようだ。
(何度繰り返しても、何度召喚されても……)
セイバーは聖杯によって救われはしない。彼女の気持ちに踏ん切りを付けさせる要素として衛宮士郎がいたが、それでも彼女が真に救われたかと訊かれれば、はい、とは答えにくい。
絶命の寸前で留められた英霊である彼女もまた、己と似たり寄ったりの異質な存在だ。そして、聖杯に願うことで自国の民が救われると信じ込んでいる。
(聖杯はセイバーの願いを叶えてくれたりはしない。彼女を救うことができるのは、衛宮士郎でもなく、私でもないのだ……)
やるせなさが胸を掠める。ふ、と微かなため息をついたとき、じっとこちらを見つめる視線に気づいた。
視線の主を振り向く。目が合うと、その瞳が揺らぐ。
士郎だった。
「なんだ?」
「いや、なんでも」
すい、と逸れた琥珀色の瞳は、得体の知れない色合いに見えた。
「マスター?」
急須を持って台所に入っていく士郎を見上げるも、なんと声をかければいいかわからず、アーチャーは振り向いていた身体を戻す。
(なんだ…………?)
妙な違和感を覚えながら湯呑に手を伸ばし、少しぬるくなった緑茶を揺らした。
「アーチャーはさ、セイバーのことが好きなのか?」
「…………」
いきなりもいきなりな質問過ぎて、鍛錬のために早朝から道場で面と向かっている自身のマスターをまじまじと眺めてしまう。
昨日から凛とセイバーが離れの洋間を間借りすることになり、居候が増えたが、衛宮邸の日常は変わらない。軽く鍛錬をしてから朝食をとり、また鍛錬という流れが、このところの日常である。