BUDDY 1
「後悔を噛みしめるだけの存在《モノ》になどなるな。お前は、周りを見て、まだ気づくことができる。まだ、決定的な一歩を踏み出していない。……噛みしめるのなら、幸福を。終の住処で能天気に笑っていられるような人生を、私に見せてくれ」
見上げてくる琥珀色の瞳は、翳りがなく真っ新だ。曇り空の下でさえ、輝きを失ってはいない。
(ならば、まだ間に合う)
アーチャーはそう思う。まだ手遅れではない。いくらでもやり直すことができる、と。
「む?」
ぽつ、と士郎の頬に水滴が落ちた。
「どうやら、軒下へ移動しなければならないな」
「え?」
アーチャーが見上げた曇天を士郎も見上げる。
「雨、降ってきたのか……」
「急げ。私が取り込むから、お前は縁側に竿を用意しろ」
「オッケー、わかった」
母屋の縁側へと走っていく士郎に背を向け、アーチャーは本降りになる前に洗濯物を手早くカゴに戻していく。士郎が入っていった縁側へアーチャーも続き、準備のできた縁側の竿に洗濯物を干し直した。
「アーチャー」
黙々と洗濯物を干していた士郎が、不意に呼ぶ。
「なんだ」
「あのさ、えっと、悪かった」
「なんだ、いきなり」
「うん……、ちょっと、謝りたくなっただけ」
「ワケのわからんことを言ってないで、お前はさっさと休め」
「これ干したら、また布団に入る」
「……わかった。では、手早く終わらそう」
士郎が休む気になったようなので、今すぐ自室に行けと言いたいのを堪え、アーチャーは譲歩してやった。
少しでも体力を溜め、魔力を満たし、身も心も戦闘に向けて準備をする。無鉄砲なところはまだまだあるが、少しずつ士郎は自身のことに目を向けはじめている。
(少しは、成長したようだな……)
アーチャーは満足げに、ひとり頷き、納得をしていた。
その日の夜も何事も起こらず、明けて昼を過ぎた頃、凛が施していた偵察用の仕掛けが破壊された。どうやら、ギルガメッシュに勘付かれたらしい。
(いや……、はじめからわかっていたが、ここまで待ってやった、ということなのかもしれない。それならば、向こうは準備万端整った、ということだ)
目の前で絶望する姿を嗤ってやろうという気がありありと感じられた。悪趣味な奴だ、とアーチャーは忌々しく思う。
「今夜だわ」
凛の声にセイバーが無言で頷く。
「凛、今一度、状況を整理して、作戦を確認しておこう」
「ええ、そうね」
衛宮邸の居間で最終的な作戦会議がはじまった。結局、士郎とアーチャーの参戦を凛とセイバーは承諾しないわけにいかなくなり、共闘することが決まったのは、彼女たちが衛宮邸に転がり込んできた翌日のことだ。
アーチャーの作った食事を堪能した凛とセイバーは、完全に胃袋をアーチャーに掴まれており、反対意見など一つも出なかった。それに呆れつつ苦笑いを浮かべていた士郎は、アーチャーにいいように手懐けられている、と片付けのときに彼女たちには聞こえないよう、ぼそぼそとぼやいていた。
「マスター、何をぼんやりしている」
「え? あ、ごめん」
「まったく……」
ここにきて緊張感がなさすぎる士郎が、少しアーチャーは心配になってしまう。ガチガチに強張っていろとは言わないが、一応、生死がかかっている戦いである。あまりにも呑気に構えていられては、この邸に縛りつけて留守番をさせた方がいいという結論に至ってしまいそうだ。
(そういうわけにはいかないのだが……)
士郎も戦力として数に入れなければ、ギルガメッシュとの戦闘を切り抜けられるとは思えない。それに令呪を発動する状況に陥るかもしれないのだ。したがって、士郎には命を懸けない程度に頑張ってほしいのがアーチャーとしての本音だ。
「残りのサーヴァントはギルガメッシュと私たちだけよ」
「ランサーはどうした?」
「私たちがここに来た日に、たぶん……」
凛は、彼はもういないだろう、と目を伏せた。
「私たちを逃すために残ったのよ」
「…………そうか」
共闘していたわけでもない凛を逃したことを、実に彼らしい、とアーチャーは感慨深く思う。おそらく、突然現れた言峰綺礼と八騎目のサーヴァント・ギルガメッシュと対峙して、窮地に立たされた凛とセイバーを庇う形で間に割って入った姿は想像に難くない。
「それで? 作戦は変更なしよね?」
凛が座卓に肘をついて乗り出す。はじめに決めた通り、他に手がない。何か良い策が浮かべば話し合うことになっていたが、それはないままでここまできてしまった。
「ギルガメッシュは、剣を幾合も打ち合うような戦い方をあまりしません。どちらかというと、」
「ああ、撃ってくる。アーチャーのクラスだからな。しかも、宝具を無尽蔵に」
「宝具? それを無尽蔵だって?」
話の行方を追うだけだった士郎が、初めて口を挟んだ。
「宝具って、サーヴァントの必殺技みたいなやつだろ? それがいくつもあるってことなのか? 宝具は一つなんじゃなかったのか? そんなの、そいつ無敵じゃないか」
「無敵というわけではない。……言い方が悪かったな。ギルガメッシュは宝具級の武器を撃ってくるというだけで、たくさんの技を持っているということではないのだ」
アーチャーの噛み砕いた説明に士郎はようやく合点がいったようだ。だが、
「でも、武器って言ったって、やっぱり、宝具なんだろ?」
「……まあ、そうだな」
「それを撃つって、無敵に近いんじゃ……?」
「……そうとも言う」
目を据わらせた士郎に指摘され、アーチャーは、すい、と視線を逸らした。
「それで? 結局、どうするのよ?」
凛が痺れを切らしたように早口で捲し立てた。
「敵はおそらく二体だ」
「え? 他にもサーヴァントがいるっていうの?」
「いや。一つは聖杯だ」
「聖杯? どういうこと?」
アーチャーは二度目の聖杯戦争で経験したことを踏まえ、今が近い状況であると判断した。したがって、聖杯破壊とギルガメッシュの相手、二手に分かれる必要がある。
同じ場所ではあるが、相手にするターゲットをそれぞれに決めておいた方が迷いなく戦える。相性的にギルガメッシュの相手は士郎とアーチャーが、聖杯の方を凛とセイバーが担当するのが望ましい。
だが、今のアーチャーでは、ギルガメッシュの相手をするのは荷が勝ちすぎる。では、士郎とともに当たればいいかとも考えるが、どう考えても士郎を守りながらギルガメッシュの相手をする羽目になる予感がある。
(リスクは承知の上だが……)
セイバーにギルガメッシュを任せるよりは勝機が見出せる。
「凛はセイバーとともに聖杯の破壊を優先してくれ」
「じゃあ、ギルガメッシュはどうするの?」
「我々でどうにかしよう」
「あ、あの、アーチャー? む、無茶、じゃないか?」
「無茶は承知の上だ。だが、どう考えてもその配分の方が勝率がいい」
口から出まかせでもセイバーへの気遣いでもない。単純に勝てる可能性のある方法をアーチャーは選んでいるというだけだ。
「大丈夫なの? この作戦で……?」
士郎だけではなく、凛も不安を口にする。
「君は自分のサーヴァントを信用して存分に戦えばいい。我々はあの金ぴかの方をどうにかする」
「どうにかするって言ったって、」