BUDDY 2
力を籠めて、剥がそうとするがビクともせず、ならば、隙間を作ってそこから腕を通して、とやってみようとしたが、隙間がまず作れない。
「うー……、アーチャー、放してくれぇ……」
情けない声で懇願するも、寝息が聞こえるだけだ。
「はぁ……、もう、このままアーチャーが起きるの待つしかないかぁ」
嘆息しながら、ふと左手の甲に目が留まる。
「令呪って、消えないんだな……」
聖杯戦争が終わっても士郎の手の甲には赤い印が残っている。一画も使っていないために、丸々三角分が使用可能だ。
「聖杯がないのに、効果があるのか?」
凛は不可能を可能にする力がある、とかチート機能みたいなことを言っていたが、凛とセイバーが聖杯を破壊しているはずなので、今はそんな力があるとは思えない。
「あるわけないか」
効果など期待できない。それに、こんなくだらないことに使う必要はない、と、士郎は玄関の床に頭を預ける。目が覚めたとはいえ、士郎とて疲れがなくなったわけではないのだ、今すぐにでも眠ってしまいたい。
「かたい……、身体、痛い……」
身体は休みたがっているというのに、板間の上で眠れるだろうかと疑念を抱きながら瞼を下ろす。士郎が身体の力を抜いたからか、ふ、とアーチャーの腕の戒めが緩んだ。
「アーチャー?」
目覚めたのかと思って振り返ってみるが、その顔を目視することは叶わず、何かしらの反応や返事がないことから、目覚めてはいないと結論付ける。だが、拘束具のように動かせなかった腕は緩んでいるので、そっとアーチャーの重い腕を持ち上げて、ようやくその腕の中から這い出した。
「はあ…………」
疲れきってため息をこぼし、玄関の鍵をかけ、そこに横たわるアーチャーをどうしようかと、士郎は疲れた身体を秤にかけ、とりあえず、廊下を引きずっていくことに決めた。
「えっと、靴、脱がさないとな……」
一成たちは何も言わなかったが、アーチャーのこの格好は、流石にインパクトがあっただろうと思う。
「こんな、筋肉見せてます、みたいな服、普通は着ないよなぁ……」
アーチャーのブーツを脱がせ、赤い弓籠手を脱がそうとするが、どうやって脱がせばいいのだろうか、と思案してしまう。
「この紐、ほどくのか?」
胸元の白い房飾りのあたりをまくったりして思案していると、
「む…………、マスター?」
「あ、起きた」
「寝かせろ」
傍に膝をつく士郎に腕を回してきたアーチャーはまた瞼を下ろしてしまう。
「あ、こら! ここで寝るな! ここ、玄関だから!」
「…………」
眉間にシワを刻みつつ目を開けたアーチャーは、むく、と頭を上げ、ノロノロと起き上がった。
「ほら、部屋、行くぞ」
無理やり引っ張り立たせ、その腕を引いて士郎は廊下を歩く。どうにかついてきているアーチャーを振り向いた。
(疲れてるなぁ、アーチャー)
フラフラと右に左に揺れながら、足を前へ出しているアーチャーは、士郎が手を放せば左右か後方に倒れてしまいそうだ。
(さすがに、痛いだろうな……)
いくらサーヴァントでも立った状態からぶっ倒れるのはダメージが大きかろう、と士郎は口に出せば殴られそうなことを考える。
士郎も疲れていた。あのまま玄関で寝てしまいたいところだった。だが、疲労困憊のアーチャーを硬い床板の上で寝かせるのは忍びないと思ってしまった。
「風呂も入らないとなぁ……」
士郎もアーチャーと似たり寄ったりの、フラフラの覚束ない足取りで廊下を進んでいる。風呂に、と言いながら、向かっているのは自室の方だ。
おそらくそれに気づいているだろうアーチャーは何も言わず、止めもしない。アーチャーの魔力は現界するのにギリギリであり、柳洞寺で多少の魔力は補給できたものの、いまだ枯渇状態から脱してはいないのだ。
「アーチャー、魔力は?」
寝ぼけ眼のように、半分も上がらない瞼のまま訊く士郎に、アーチャーも大差ない疲れた顔で、足りていない、と答える。
「じゃあ、やっぱ寝よ」
風呂はそのあとで、と士郎は睡眠欲に負け、自室に入って布団を敷く。衛宮士郎らしからぬ適当な布団の敷き方だというのにアーチャーは何も言わず、さらには広げただけのシーツに士郎よりも先に転がりこんだ。
「えー……」
呆れながら、掛け布団を抱える士郎は、四肢を曲げて背を丸め、まるで胎児のような格好で横になったアーチャーに苦笑いをこぼす。
「ほんと、疲れてるなぁ……」
ピークを超えた疲れのために、士郎の思考力も普段の半分以下に落ちている。したがって、先に布団に寝るなとか、服のまま寝るなとか、そういうことを言う気にもならない。
「それ、脱いだ方がいいんじゃないか?」
聞こえているかどうかわからなかったが、赤い外套を軽く引っ張って訊けば、スーと薄れて消えていき、黒い装甲だけが残った。
「便利だな、魔力でできた服って……」
呟きながら、アーチャーの脚に残っているベルトを外してやってから、ようやく布団に寝転がった士郎は瞼を下ろした。
「風邪をひくぞ……、たわけ……」
覇気のない声で言ったアーチャーに頷くだけで、士郎は傍に置いた掛け布団を引っぱってくる気力が出ない。
「まったく……」
士郎の代わりに引っ張り、適当に広げた掛け布団を士郎に被せたアーチャーは、当然の如く士郎に腕を回してきた。凡そ二週間、毎日続けた魔力供給のための添い寝は、彼らにとって日常的なものになっている。
「アーチャー、服、替えて……」
黒い装甲のまま士郎を抱き込んでいるアーチャーに文句を言えば、
「もう少し…………戻るまで……我慢しろ……」
「かたくて、いやだ……」
寝心地が悪いと言えば、アーチャーは黒い装甲を消した。
「これで文句は……、いや、お前も脱げ」
「うー……」
不満たらたらの声を上げた士郎だが、すぐにシャツをたくし上げて頭を抜いた。袖は通したままの中途半端な格好で、
「これで、いー……か…………」
寝息と確認が一緒になっていることに士郎は気づかないままだった。
***
聖杯戦争がはじまってから士郎が見る夢は、見覚えのない景色だったり体験だったりする。
士郎の預かり知らぬところで起きる日常のようなものがあるかと思えば、おそろしく血生臭いものだったりもする。
(俺の夢じゃない……)
士郎が睡眠中に見ているのだから、士郎の夢ではあるのだが、これは純粋に士郎の見ている夢というものではなく、契約したサーヴァント・アーチャーの記憶であると、最初から理解できていた。
(俺の知らない、聖杯戦争……)
視点がアーチャーであるので、目の前には夜明けまで共闘していた遠坂凛と彼女のサーヴァントであるセイバーの姿、そうして、士郎自身の姿も現れる。
夢の中で、アーチャーのマスターは凛だった。互いに認め合い、存分に力を振るう、なんていいコンビなんだと、夢の中でさえ士郎は感嘆の声を上げていた。
アーチャーとして経験した三度の聖杯戦争を垣間見て、士郎には、やるせない気持ちが湧いてくる。
(俺がきちんと戦えたマスターなら……)