BUDDY 2
いつもはマスターと呼ぶアーチャーが名前で呼んでくる。認められたのだと思っていいのかと、訊こうとしたが、そんな野暮な質問はこの場に相応しくない。
「ああ、いつでも」
最終確認をして、アーチャーは本堂の軒下を出ていく。そのまま前庭の真ん中あたりに立ち、抱えられていた士郎は庭土の上に下ろされた。
ギルガメッシュを挑発しているアーチャーは、彼を馬鹿にしているわけではなく真剣そのものだ。対してギルガメッシュの方は、アーチャーの言葉にいちいち反応し、血管を浮かせて、ご自慢の宝具を羅列させている。
不安になって、士郎はアーチャーを呼んだ。こちらを見ることなく、アーチャーは士郎の腕を引く。
「マスター、魔力を」
左腕で士郎を抱き寄せ、アーチャーは詠唱をはじめる。
アーチャーが士郎に離れるなと言ったのは、守れないからではなく、魔力を補給しやすいよう傍にいろ、ということだ。したがって、士郎は何も言わず、アーチャーに身を寄せ、少しでも魔力が流れていくようにと願う。
(このくらいしか、俺にはできない……)
ギルガメッシュの宝具級の武器を叩き切ることはできないし、あの速さで飛んでくる武器を自力で避けるのも難しい。
この二週間ほど、鍛えに鍛えられた。だが、どんなに鍛えたところで所詮は人間である。サーヴァントにはあらゆる面で敵わないのだ。
それを現状が証明している。士郎は今、アーチャーにおんぶに抱っこの状態だ。これ以上、士郎には何もできない。
それならば、なけなしの魔力を少しでもアーチャーに渡したいと思う。アーチャーが魔力を血肉で寄越せと言うのなら、堂々と喉を晒す。そうしてでもアーチャーには勝ってほしかった。
(これが、ダメなんだろうな。自分の命を勘定に入れていないってやつで……)
少し反省していれば、目に映る景色が徐々に変わっていく。炎が上がったような熱を感じ、思わずアーチャーの肩口に顔を埋めた。しかし、すぐに熱は感じられなくなり、顔を上げれば、砂塵の舞う荒野が現れている。
(ああ、ここ……)
何度も夢で見た場所。
アーチャーはここで後悔を噛みしめていた。
剣の突き立つ寒々しい丘は、いつだって息苦しいのにどこか懐かしい。
(俺もエミヤシロウだからなのかな……?)
小さな疑問がいくつも浮かぶ。
たくさん訊きたいことがある。たくさん話したいことがある。
(まだ、足りないんだ……!)
家に帰って、もう少し話をしよう、とアーチャーに伝えたい。まだ、こんなところで終わりになんてしたくない。鍛錬もしてほしい、魔術も教えてほしい、それから、もっと、アーチャーのことが知りたい。
数え出したらキリがないほど、士郎の頭の中にはそんな望みばかりが湧き上がっていた。
甲高い音を立てて、飛び交う剣が砕ける。ギルガメッシュの持つ宝具である武器が、アーチャーの投影した紛い物に打ち砕かれていく。本物には及ばないとギルガメッシュは唾棄したが、アーチャーが扱う剣は悉く本物を凌駕している。それは、真贋など区別がつかないほどに、アーチャーの投影が真に迫っている証だ。
(ああ、綺麗だな……)
アーチャーが内包する剣はどれも美しい。士郎にはまだ到達できていない投影の技術がここに完成している。戦闘中であるというのに、士郎は立ち並ぶ剣に見惚れてしまう。
ふと振り向くと、焦りの色を濃くしたギルガメッシュがいる。これならいけるんじゃないかと思った瞬間、ぽつ、と頬に雫が落ちてきた。
何かと思い、アーチャーを見上げれば、アーチャーのこめかみを伝った汗のようだ。表情にこそ出ていないが、アーチャーこそ、ギリギリの状態であることが見て取れる。
「ぁ、」
呼ぼうとした途端に目を剥いたアーチャーが、士郎の身体を戒めていた腕を緩めた。
(え?)
なぜここで離されるのかと、思わずアーチャーの肩を掴む。このままだと突き飛ばされてしまう気がした。
(それは、ダメだ!)
アーチャーに魔力を渡せなくなってしまう。もう一度アーチャーを呼ぼうとした時、目の端でこちらに迫るものを捉えた。
何かはわからなかったが、こちらに飛んでくるのだから、武器であることは間違いない。
咄嗟のことで、士郎は自分が何をしたのかも理解できていない。なぜ己が左腕を突き出しているのか、どうしてギルガメッシュと対峙するアーチャーの前へ出てしまったのか。
「何をしている、士――」
「熾天覆う七つの円環《ロー・アイアス》!」
士郎の声とともに、四片の花弁が開く。同時に衝撃が走り、数歩たたらを踏んで後退った。とん、と背中に当たったのはアーチャーの逞しい腕。確かめるために振り返る余裕はないが、押し戻されそうな士郎の身体を支えてくれるのは、アーチャーしかいない。
こちらに照準が合っている切っ先をどうにか留めているが、盾は脆くも崩れ去ろうとしている。
「集中しろ。魔術回路に魔力を流すんだ」
静かなアーチャーの声に、顎を引いて頷くことしかできない士郎は、盾を維持することに集中した。
再び士郎はアーチャーに腕を回されて半ば抱えられ、突き出した左腕に合わせてアーチャーの右腕が添えられる。崩れそうであった花弁は勢いを取り戻し、七片の花弁が開き、七重の盾が切っ先を押し返した。
ギルガメッシュの方へ飛んでいく柄の長い武器が見え、どうにかなった、と士郎の身体から力が抜ける。
鬼の形相のギルガメッシュが何かを中空から取り出そうとしているのはわかっていたが、士郎の目には、それが何かもわからず、視界はぼやけ、次第に暗くなっていく。
「士郎!」
アーチャーの呼び声が傍で聞こえ、ずいぶんと大きな声で呼ばれている気がして顔を上げようとする。が、指すらまともに動かすことができず、アーチャーに寄りかかったままで動けない。
(邪魔になるから、どこか……)
邪魔にならない片隅にでも蹴り飛ばしてくれればいいと言おうとすれば、ずるり、と引き抜かれるように魔力が出ていく。
(もう、魔力、ないんだ、けど……)
どうにか顔を上げてそれをアーチャーに伝えようとすれば、剣の荒野から柳洞寺の境内に戻っていることに気づく。
「魔力、が…………」
アーチャーが吐き出す、悔しさの滲む声がする。
「っ、ぁーチャー、わる、い……」
「…………お前のせいではない。倒しきれなかった私の実力不足だろう」
そう言ったアーチャーは、そっと地面に座らせてくれた。どこから調達したのか、赤い布を広げて士郎の頭に被せてくる。
「アーチャー?」
「こんなもので守り切れるかどうかは、わからないがな……」
赤い布の上から頭を撫でられ、アーチャーは士郎に背を向けてギルガメッシュに向き合っている。
「アーチャー、なに、して……」
その手に投影された夫婦剣を見て、その背を見上げ、士郎は不安で仕方がない。呼んでも振り向かないアーチャーに、士郎はどうしようもなくなって、その赤い外套に手を伸ばそうとする。
(ダメだ、アーチャー……)
声にならないことが口惜しい。逃げる余裕があるのならば逃げてくれと言いたい。なのに、声が出ない。
「ア、っ、ちゃ…………」