ボクのポケットにあるから。
「あー……」七瀬は、一度俯(うつむ)いて思考してから、顔を磯野に向けて言う。「ルラボの、ガイアック10、使ってる。もう六年ぐらいリピートしてる」
「それいいなー、俺も六年ぐれえ変わってねえや」磯野はソファの背もたれに背を預けて満足そうな笑みを浮かべて言った。「夕の香水知ってっか?」
「夕君って、ウッド系の、だよね」飛鳥は無表情で言った。「大自然、みたいな……」
「カルバンクラインのエタニティだよ、あいつ」磯野はけらけらと笑ったみせた。「なんか、初めてつけた香水らしくてよ、箱推しと香水は変えない、とかって言ってよ、が~っはっは! キザか!」
「あの香り、好きですけどね」駅前は誰にでもなく囁いた。
「波平っちは?」飛鳥は磯野に純粋な視線を向ける。「何つけてんの? てかそれ、何の匂いかわかんないんですけど」
「俺か、俺はさあ」磯野は自信たっぷりに言う。「ジバンシィのウルトラマリンだ」
「へー」飛鳥は視線を外して、数度、頷いた。
「かずみんは何よ?」磯野は一実に言った。
「私内緒」一実は微笑んだ。「いちお、秘密。香水とか、そういうのはね、秘密にしとく」
「飛鳥ちゃんは?」磯野は飛鳥を見る。
「じゃあ、秘密で……」飛鳥はそう呟いて、頷いた。
「みなみちゃんは?」磯野は困った顔でみなみを見つめる。「何つけてんのよ?」
「じゃー」みなみは悪戯(いたずら)っ子のように微笑んだ。「秘密でー。んっふふ」
「私は、ジルスチュアートの香水を使っています」駅前は少し赤面しながら言った。
「イナッチは?」飛鳥は稲見を見つめて言った。
「俺は、サクセス24のクレンジングシャンプーと、スカルプコンディショナーだね」稲見は飛鳥にピースサインで答えた。尚、無表情である。それから七瀬を見つめる。「あとは、サクセス24のフレグランスワックスだね」
「ありがとう」七瀬は微笑んだ。
「香水は使ってない」稲見は眼鏡の位置を直しながら言った。「そもそも、何がいい匂いなのかわからないからね。個人的には焼き鳥とか、焼肉の匂いが好みだけど、煙そうだし、あっても腹が減りそうだからね、使わない」
「変わってんね、あはは」一実は笑った。
「イナッチって、ちょっと間違うと変人だよね」飛鳥は微妙に笑みを浮かべて言った。
「へーんじんとかっ!」磯野は嬉しそうに大笑いする。「飛鳥ちゃんっ、それっ、言っちゃうか? があ~っはっは!」
「うん。個性的」七瀬はくすっと笑った。
「じゃあ、変人はやめて、そうしよう」稲見は無表情で抑揚無(よくような)く言った。「おかげさまで、個性的です。なぁちゃんと飛鳥ちゃんに言われたら認めるしかない。一つだけきいていいかな」
「なに?」七瀬が答える。
「香水を使うと、普通なの?」
「だあ~っはっはっは!」磯野は大笑いに励む。
「こりゃ本物だわ……」一実は微笑んで、呟いた。
8
二千二十一年七月十三日、夜を迎えてからどっぷりと時が経過した頃、松村沙友理の乃木坂46として最後となるショールームの生配信が始まった。
〈リリィ・アース〉地下六階に存在する〈映写室〉にて、巨大なスクリーンで松村沙友理の事を見守るのは、乃木坂46ファン同盟の五人であった。
松村沙友理は意外にも元気よくテンポよく話を進めていく。
五人はそれを安心した笑顔で見守っていた。
「では、さっそく、ツイッターに頂いた皆さんのコメントを見て、私の乃木坂46人生を振り返りたいと思います!」
「まっちゅん、元気じゃねえか」磯野は嬉しそうに笑った。
「今日はいつにもまして、綺麗だな、まちゅ」夕は呟いた。
「お! なんとぉ、松村沙友理、卒業記念写真集の、公式ツイッターさんからも、コメントが、えええ~。えへへへ、ありがとうございます。写真集、次、いつ会えるの、宮崎ロケ朝食バイキングで、ご飯、パンに、うどんの、炭水化物祭りだったうえ、おやつにラーメン、かっこライス、付きを食べつつ、飛行機に乗る直前も、チキン南蛮、地鶏炭火焼き、餃子と、宮崎名物を、どん欲に食べ続けていた松村さん、食べている姿がこれほどに可愛い人はいません! はっはっは! 恥ずかしい~、そうでしたか~」
「へへっ、どんだけ食うんだまっちゅ~ん」磯野は可笑しそうに笑う。
「確かにな。まちゅが食べてる姿は、天使の食事中だ」夕はスクリーンに微笑みを向けて言った。
稲見瓶も言う。「幸福感があるよね」
「ある」
「あるな~」
「ありますね」
「あるでござる」
「おっ、この方は、乃木どこで、お肉を見ながらご飯を食べているシーンが好きでした。おお~、……憶えて下さっている方いるかなあ? そ乃木坂~てどこの時に、あの、ペコ1? ペコ1グランプリっていうのをやりましてぇ、あの白米をぉ、一番、食べれる奴を決めようぜっていう大会があったんですよ」
「あったあった、はは」夕は思い出し笑いを浮かべる。
「なっつかしいなあ!」磯野も懐かしさににやけが止まらなかった。
「あの時さ、ご飯九杯食べて、まちゅ」夕は声を上げて笑った。「それも時間制限で、九杯だぜ? もっといけたんだよ、だから」
「いくちゃんとデッドヒートだったね」稲見は微笑んだ。
「たまに思い出すでござるよ」あたるはにこやかに言った。「あれから、何年でござろう……」
「そうそうそう、齋藤飛鳥ちゃんがチョコを持ってきていた時です。でもたぶんきっと飛鳥は飛鳥であの時、ご飯とチョコを一緒に食べてたと思うんですけど、たぶんきっと今はやってないと思います」
「飛鳥ちゃん、チョコ食ってた、白米と」夕は可笑しくて笑った。
「飛鳥ちゃんはよう、いちごみるくとか、チョコとかのイメージあったよな?」磯野は笑顔で言った。
「確かに、時は経ったね。今とは何もかもが違う」稲見はそう言って、眼鏡の位置を修正した。
「ああ! 味噌汁の粉の人もいましたね」
「まなったんだ」夕はけらっと笑った。
「味噌汁の粉で白米食う奴は、デブか変わりもんしかいねえだろうが!」磯野は大きな声で笑った。
「のちに発覚した事実だけどね、あの味噌汁の粉は、無理してキャラを作っていたらしいよ」稲見は息をもらして笑った。
「まっちゅんさんは、あのご飯にかけていたドレッシングを、まだ使っているんですかね」駅前はノスタルジックに浸って呟いた。
「バジル&チーズ、みたいな名前でござったな、確か」あたるは少しだけ、涙ぐんだ。
「じゃ次のコメント。お! もぐもぐ配信。まちゅが、ただひたすら食べているところを見てるっていう神配信。食べている姿が可愛すぎたし、美味しそうで大好きでした。またやってほしいなー、お。ありがとうございまーす。えへへへ~、ありがと~う」
「もぐもぐ配信は神だった……」夕は思い出しながら言った。
「ああいう不思議な配信の発想は、誰が作るんだろうね。ファンかな、制作側なのかな」稲見はしばし考え込む。
「まっちゅんは食えるし、俺らは見れるしな? 神企画だわな」磯野はにこにこしながら言った。
作品名:ボクのポケットにあるから。 作家名:タンポポ