ポケットの中の夏。
「あー、髪、ねー」桃子も苦笑した。「ありがとう」
「美月さんは私の理想の女性です! とにかく完璧すぎるんですもの!」駅前はしゃくれたままで美月に不気味に微笑んだ。「笑止!」
「しょうし、って」美月は笑う。「ありがと」
「飛鳥さんなんて、もう神ですよ!」駅前は眼玉をひんむいて、笑っているつもりで飛鳥を見つめる。「スタイル、存在感、美貌、声、性格、何をとっても世界一ですもの!」
「駅前っち、ちょと、怖いから」飛鳥は苦笑した。「興奮すんな」
「失礼しました……ふう~」駅前は深呼吸した。冷静を取り戻す。「飛鳥さんとまいやんさんとなぁちゃんさんは、生ける伝説です。その中でも異色の輝きが飛鳥さんなんです! ダークかと思えば、いちごみるく色をちらりと出したり、確定の無い輝き……それがきっと飛鳥さんなんですわ……」
駅前木葉は嬉しそうな表情で上を向いたまま、フリーズしていた。
「りんご大福、美味いんでござるか? かっきー殿(どの)」あたるは怪訝(けげん)そうに遥香に言った。
「おいひいよ」遥香はあたるを振り返って言った。「次、何大福食べよっかな~……」
「みたらし団子、美味いんでござるか? さくちゃん殿」あたるはさくらの顔を覗き込んで言った。
「はい、美味しいです」さくらは真顔で答えた。一所懸命にゆっくりと食べている姿が、実に可愛い、と、姫野あたるは思った。「ダーリンさんの、草団子も、美味しいですか?」
「ん、ああ、うんまいでござる!」あたるは満面の笑みで二人に言った。「小生の故郷、新潟の名物でござるからな。夕君がきっと発注してくれたんでござろう。かたじけない」
「夕君ってさあ、人にしてあげてばっかりで、誰が夕君にしてあげるんだろう……」
賀喜遥香は、綺麗な顔をそう言ってから、悩ませた。
「乃木坂にいつも貰ってるでござろう」あたるが笑顔で言った。「彼はいつか言っていたでござる。乃木坂の、友達も、家族も、親戚も、ペットも、全てを愛していると。そんな事を言えるには、かなりの幸せを貰わないと出てこない言葉でござるよ」
「ふーん……」
「そう、なんですか……」
そう呟いた賀喜遥香と遠藤さくらの目線の先には、乃木坂46と共に微笑む風秋夕の姿があった。
6
二千二十一年八月。セミの鳴き声が強化されてきたこの頃である。乃木坂46も真夏の全国ツアーを催しており、日々他の仕事との両立とダンスレッスンと打ち合わせに追われる日々であった。
今宵は八月の十五日であり、乃木坂46は真夏の全国ツアーの愛知県公演を催している事であろう。
乃木坂46ファン同盟の五人は、ここ〈リリィ・アース〉の地下八階のエントランス南側の壁面に存在する巨大な扉、その奥に存在する〈ブリーフィング・ルーム〉に、午後二十時から、集まってディスカッションをしていた。
この五人が〈ブリーフィング・ルーム〉に揃う事は珍しい事である。
「夕君殿、平等と公平とは、どう違うでござるか?」
姫野あたるが何個目かのお題を挙げた。「平等と公平の違い」である。
「あれだろ、一緒だろうよ、そんなもん」磯野は顔をしかめて言った。「戦争とかの話だろ? 平等と公平ってよぉ」
「いや、戦争とは限らないよ」稲見は抑揚無く言った。彼は腕組みをして、足も組んでいる。「アクセシビティを確保する事かな……」
風秋夕は口元を引き上げていた。
「アクセシビティとは、何でござる? イナッチ殿」あたるにはさっぱりわからない。
「アクセスの事だよ」稲見は答える。「同じ機会への、アクセスのしやすさを、確保する」
「あー?」磯野はさっぱりといった顔で言った。「あのな、わっかりやすく説明しろ! つってんだろここじゃあ! それが決まりなんだよ!」
風秋夕は言う。「平等は、公平さを推進させる為に、全員に対して同じものを与える。でも、それが正常に機能するのは、全員のスタートラインが同じ場合だけだ。この場合は、全員の能力が等しい時」
駅前木葉は言う。「公平さは、人々を同じ機会へのアクセスのしやすさを確保する事です。個人それぞれの能力の差は、アクセスする事によってはハードルとなる事がある。したがって、最初に、公平さが提供されて、初めて、平等を得る事ができるのです」
「そう」夕は頷いた。
「はい~?」磯野は顔をしかめた。
「はて?」あたるも顔をしかめていた。
風秋夕は説明する。「有名な風刺画(ふうしが)があるんだ。そこでは野球の試合をやってて、自分達は観客席にいる……。スタンドの板のついたフェンスの高さは百五十センチ。フェンスは試合が観えない。観客は三人いる。百八十センチの男と、百四十センチの子供と、百三十センチの子供だ。さあ、野球は何人が観れる?」
磯野波平は考える。「フェンスが、百五十センチだろ? 一人観れるだろ? あとぉ」
姫野あたるは言う。「子供達二人は、フェンス以下の身長でござるゆえ、野球を観れないでござる!」
「正解」稲見が言った。
「それが、平等だ」夕は言った。
「え……」あたるは、フリーズする。「平等って、もっとこう…平和的な……」
風秋夕は言う。「その百四十センチの子供に、二十センチの箱を用意する。フェンスは百五十センチだから、箱の上に乗れば、試合が観れるだろ? 百三十センチの子供には、三十センチの箱を用意する。この子も、箱の上に立てば、野球の試合が観れる」
「それが、公平だよ」稲見が言った。
「更に簡潔(かんけつ)に言えば」駅前が説明する。「複数で食事をして、会計を完全に割り勘(かん)にするのが、平等です。そうではなくて、それぞれが食べた分だけ支払うのが、公平です」
「なんかー、あれだな?」磯野は煙草を口に咥えながら言う。「大学出てっと、みんなそうなっちまうのかな?」
「ん?」夕は疑問形の顔で磯野にきき返す。「どういう事?」
「頭でっかち! て事だろうが!」磯野は叫んだ。「どっちでもいいだろ! 同じようなもんなんだから!」
「いやいやいや」夕は焦(あせ)って言う。「裁判(さいばん)で、公平な審判(しんぱん)、とは言うけど、平等な審判、とは言わねえだろうよ!」
「全く意味の違う結果だよ。平等と公平じゃあ」稲見は無表情で言った。「公平は、リスキーな人への平等対策とも言える」
「乃木坂はさあ、ライブに行けない多くの理由ある人達の為に、配信という公平な手段を取ってくれてる。そう覚えれば、わかるだろ?」
「あ! 今何となくわかった!」磯野は豪快に煙草を吸った。吐き出す。「わかっちまった!」
「俺達なんて完全に贔屓(ひいき)されてるけどな、ここにいりゃ乃木坂が集まってくれんだから。でもそれは絶対的に、秘密だ。墓場まで持ってくぞ」夕はにこやかに四人に言った。
「もちろん」稲見は眼鏡の位置を直して、頷いた。
「合ったり前だぜ!」磯野は、煙草を灰皿にもみ消しながら笑顔で言った。
「この秘密が小生の人生の幸せでござるゆえ、絶対に死守するでござるよ!」あたるは興奮して立ち上がって言った。
「はい。誓います」駅前も微笑んで、頷いた。
「乃木坂いないと暇だな……」夕は天井を見上げる。「イーサン、今、自室以外にリリィに滞在してる元乃木坂のメンバーはいるか?」