ポケットの中の夏。
「このビジュアルで、そういう面白い事をやってくれるという、何とも言い難いスペシャル感。それが好きなファンも絶対いらっしゃると思います」駅前は凛々(りり)しく言った。
「みり愛ちゃん、ウミガメ好きだよね」夕は吹き出して笑った。「か、可愛すぎるだろ!」
「純奈ちゃん、卒業後に家を建てるみたいだよ」稲見は真剣に巨大スクリーンっを見つめながら言った。「あれだね、俺達の関係は、夢の中の出来事と同じか、幻(まぼろし)に近いから、遊びには行けないだろうね」
「あったりまえだろ、アホか」磯野は鼻を鳴らして言った。
「心の中で結婚すればいいでござる」あたるは笑顔で言った。
風秋夕は、体勢を反らして、姫野あたるの顔を覗き込む。
「きも!」
「いいや、決してキモくないでござる!」あたるは正々堂々と言う。「だから乃木ヲタは俺の嫁と、そう推しを呼ぶのでござる!」
「親戚、っていう手もあるぜ?」磯野は楽しそうに言った。
「かずみんか」夕はそう言って、表情を情的なものへと変えた。「かずみんも、卒業だもんな……」
「夕、良いことを教えようか」稲見は夕に言う。「卒業を見つめない事だよ。楽しい日々で埋める事。卒業の日は誰にでもくるから、それまで、ね」
「なるほど、でござる」あたるは納得した。
「純奈ちゃん、桃子ちゃんの顔になりたいんだ」夕は稲見の言葉そっちのけで言った。
「みり愛ちゃんいくちゃんの顔が好きなんか。まりっかが憧れの顔かー」磯野は機嫌良さそうに笑い声を上げた。
「駅前さん、誰の顔になりたい?」夕は面白がって駅前を見る。
「そうですね……。乃木坂なら、誰になれても光栄でしかないですねえ」駅前は澄まして微笑んだ。
「そうだよな、確か子役だったんだよな、みり愛ちゃん」磯野は呟いた。
「乃木坂の前に芸能活動してた、てメンバー、結構多いよな」夕は磯野に言った。
「あーみり愛ちゃんの写真集かあ!」磯野は大声で言った。
「早く欲しいな」稲見は言った。
「すけべ……」夕は囁く。
「Hだなてめえは……」磯野も囁いた。
「芸術だよね」稲見はそう言ってから、咳払(せきばら)いをした。
「芸術でござるよ!」あたるはなぜか興奮した。
「乃木坂の写真集は芸術作品が多いですね」駅前も言った。
「三、四期生と打ち解けられたのはいつですか、だってよ」磯野が言った。
「セーラームーンなんだ」夕は驚いた様子だった。
「部活か……。なるほど、部活みたいなものか」稲見は納得の様子だった。
「みり愛ちゃんが喋ってて、純奈ちゃんが笑ってる。この光景が尊い……。ずっと続いてくと思ってたなー、俺……」夕は寂しそうに呟いた。
「俺さ、ちょっと酒呑みたくなってきたわ」磯野は巨大スクリーンを見つめたままで言った。
「俺もだね」稲見は磯野を一瞥して言った。
「気が合うな」夕も磯野を一瞥してにやけた。
「ダーリン」磯野が言う。「ラム・コーク、三つな……」
「パシるでござるか小生を!」あたるは驚愕(きょうがく)する。「小生、ずいぶんと年上でござるよ?」
「いつか新幹線とか、電車賃出したろ?」夕はあたるに微笑んだ。「返さなくていいよ。ラム・コーク、ありがと。ダーリン」
「あ、ああー、ず、ずるいでござるよ夕殿! 電車賃はもともと支払わなくていいと言ってくれてたでござるのに!」
「早く行ってこい」磯野はあたるを一瞥して言った。
「一杯おごるよ」稲見はあたるに言った。
「ここはどうせ無料でござろう!」あたるは興奮する。
「ダーリン……。行ってらっしゃい」夕はあたるに微笑んだ。
「ちぇ、でござる……」
姫野あたるは、〈映写室〉の入り口付近にある〈レストラン・エレベーター〉に向かった。
ラム・コークとキャラメル・ポップコーンを受け取ってから、風秋夕、稲見瓶、磯野波平の三人はリクライニング・シートに座った。姫野あたると駅前木葉はリクライニング・シートの前に立ったままで巨大スクリーンを見つめていた。
「この前の祭りでさー、みんな帰った後に、プロジェクション・マッピングで花火やったじゃんか」夕は誰にでもなく言った。キャラメル・ポップコーンを一つ食べる。
「おお。あれ出すのおせーから」磯野は一瞬だけ顔をしかめて言った。
「誰かいたよね?」稲見は夕の方を一瞥して言った。
「そう、みんな帰った後にさ、残ってたのが、桃子ちゃんと、みり愛ちゃんと純奈ちゃんだったんだ」夕は稲見の方を見て微笑んだ。「あの花火、結構気に入っててさ。桃子ちゃんと、純奈ちゃんとみり愛ちゃんに見てもらえて良かったよ」
「小生も見てないでござるな……」あたるは夕の方を一瞥して囁いた。
「私も見ていませんね」駅前も言った。
「キレーだったんだぜ。最後の夏、みたいでさ」夕はまた、巨大スクリーンを見つめた。
「猫舌も、もうすぐ、終わりが近いね……」稲見は抑揚無(よくような)く呟いた。
「二時間も、あっという間だな。この二人にかかりゃあそっか!」磯野は短く笑った。
「もう、告知の時間でござるか……」あたるは顔を歪ませる。
伊藤純奈は言う。
「はい。それでは改めまして、皆さん八年間ありがとうございました。えとー、最後の日までも少しなんですけれども、何だろ。直接ね、最後お会いできなかったのが本当に寂しかったんですけどー、何だろう。まー、これからも、会えない事はないだろうと思っていますので、これからもよろしくお願いします。そして乃木坂を、これからも、よろしくお願いします。みんな頑張ってます、ほんとに。みんなは凄い子達です。ありがとうございました!」
渡辺みり愛は言う。
「はぁい。えっとー、ミーグリとかでぇ、あのー、一枚とかで、来てぇ、ほんと五秒、六秒、七秒ぐらいなのかなあれって、何秒なんだろう。一枚……。(六秒、七秒くらいかな)かなぁ? でえこうやっぱ、女の子とか、普段来れない中学生の事か、中学生の男の子とか、なんか若い子達が最近、卒業ってなってから来てくれてぇ、やっぱみんなそのぉ、自分でバイトぉ、出来ない歳だからぁ、握手会に行った事なかったけどぉ、テレビでずっと応援してましたぁってそのミーグリで初めて会って、感極まって泣いちゃう子が多くて、なんか、ああ私って、知らない面で色んなところで応援されてたんだなぁって、改めて卒業、をこう、迎えてから感じるようになって、たぶんこれもぉ、あのー、色んな人? まだ会った事ないけど、私と純奈を推してくれてる人って沢山いると思って、いて、凄いそういう人達も観てると思うから、私達は、あのそういう人達の事も絶対忘れないし、あの、憶えてますよー! おばあちゃんになってもぉ、このー乃木坂に居た、八年間はぁ、あの、人生の中でも、大事な宝物なのでぇ、これからも、おばあちゃんになっても、よろしくね!」
「おばあちゃんになってもか……。たぶん、いや、絶対。おばあちゃんになっても好きでいるよ、その時は俺もおじいちゃんだけど」夕は小さく笑みを浮かべて言った。
「永遠に好きでござるーーー!」あたるは叫んだ。
「大好きっ!」駅前も心の声を叫んだ。
「何、泣いてんだ、てめえら……」磯野は呟いた。
風秋夕は、磯野波平を一瞥する。そして、風秋夕は微笑み、何も言わなかった。