ポケットの中の夏。
樋口日奈の真正面にて、風秋夕と磯野波平は水面から顔を出したのであった。
「なーにー、びいっくりさせないでよー」日奈は笑った。
「あー、何て言うのかな、混ざりたくて」夕は苦笑した。
「入れてくれっかな、へへ」磯野も苦笑した。
「いいよ」稲見は無表情で言った。
「お前にきいてないんだよ!」と夕。
「てめえは黙ってろ無表情!」と磯野。
「二人とも、すっごい筋肉だよね」日奈はまじまじと二人の身体つきを見つめる。「鍛えてるんだ?」
「そりゃ鍛えてないと、無理ですよね」美緒はまじまじと二人の身体を見つめる。。
「もちろん」夕はにこやかに答えた。
「俺なんか週七でジム行ってんぜ? 地下二十階の」磯野はボディビルダーのようなポーズで微笑んだ。「最初はイナッチみてえな身体だったんだよ、俺も」
「心外だね」稲見は言う。「これでも鍛えてるんですけど」
「まあやろうぜ!」磯野は日奈に言った。「へいへいパース!」
「行くよ波平君」日奈はビーチボールを打つ。「はいっ!」
「ほいきたっ」磯野は飛んできたビーチボールにアタックする。「死ねえっ!」
「甘い!」夕は片腕でそのビーチボールを勢いよく拾い、稲見を狙う。「砕け散れっ!」
ビーチボールは稲見瓶の顔面にバウンドして、水面に転がった。
稲見瓶は黙ってビーチボールを取りに向かう。
「くろみんって英語上手だよね」夕は笑顔で明香に言った。「そのアビリティは卑怯(ひきょう)だなー。美少女で英語が巧妙(こうみょう)で、よく笑うって、完璧じゃん」
「そんな事ない」明香はくしゃり、と鼻筋に皺(しわ)を作って笑った。「全然、普通です」
「いやー黒見ちゃんは可愛い」日奈は説得力のある表情で言った。「笑顔が似合うって、やぱ大事な事だもん」
「レイちゃんよお、結婚の予定、とかあんの?」磯野はわざともじもじとした仕草でレイにきいた。「もしねえーんならよお」
「ないですけど」レイは苦笑して答える。「え結婚の予定? 普通にないですけど」
「じゃあ結婚しねえ?」磯野は満面の笑みでレイに言う。「俺とさあ!」
「えー」レイは一瞬、笑顔でキョロキョロして、答える。「しなぁい……」
「誘惑しないで下さい」美緒は磯野に可愛らしく怒った顔をする。「ナンパはぁ……」
「ナンパはあいつ。俺のはマジだから」磯野はいばった。
「ゆんちゃんは乃木坂に入りたての頃からの俺の推しなんだ」稲見は柚菜にそう言って、頷いた。「輝いて見えたよ、最初からね」
「やー、ありがとうございます」柚菜は輝ける笑顔で答えた。「嬉しいです」
「チアガールをやってたんだよね」稲見は柚菜に言った。
「はい、ずっと、やってました」柚菜は稲見に答える。
「偶然だけどね、俺もそうなんだ」稲見は微笑んだ。
「や~っぱりてめえ変態だったか!」少し離れた場所から磯野が言った。「無表情のチアガールっ! しかも野郎のチアガールかこの野郎っ!」
「いやそうじゃない」稲見は磯野から柚菜へと振り向き直して、言葉を改める。「サッカーをずっとやってたんだ。だから、チアガールの存在が身近にあった。あの存在には、かなりパワーを貰える」
柴田柚菜は微笑んでいた。
「それがゆんちゃんなら、もう絶大の効果があるよね」稲見は珍しく興奮気味に言った。「応援された人は皆、ゆんちゃんに恋をすると思う」
「いやいや……」柚菜は控えめに笑った。
「ひなちま今日の夜、どう?」夕は恐る恐るで日奈を誘う。「一緒に、禁断の夜食と、呑みのコンビネーションとか」
「今日はパス」日奈は微笑んだ。
「そか。残念」夕は一度俯(うつむ)き、また顔を上げて明香を見る。「くろみんは、あれ、十代だったっけ?」
「はい。未成年……」明香は明るく苦笑した。
「夕君、ダメよ、悪の道に誘っちゃ」日奈は鋭く美しい視線で夕に言った。
「悪の道って、まいったな……」夕は苦笑する。
「十七だろ? 十七っつったら、恋とかしねえ?」磯野はレイに禁断の質問をした。「俺にしていいんだぜ? したら俺、籍入れっからよぉ」
「籍って、まだ結婚したい年じゃないし」レイは眼だけを笑わせて磯野に言った。
「待ってっからよ」磯野は爽(さわ)やかに言った。
「ううん待ってなくていいから」レイはそれから、表情を疑問形にする。「波平君って、いっつもそうやって、女の子ナンパしてるんですか?」
「照れるだろ」磯野は照れた。
「別に、誉めてないんだけど……」レイはどうしていいかわからなくなる。
「レイちゃん気にしないでいいからね」美緒はレイに微笑んだ。「波平君、こういう人みたいだから。適当に、ね」
「適当かよ!」磯野は驚く。
「ゆんちゃんは笑顔が印象的」稲見は柚菜に微笑んだ。「漫画やアニメで、好きになる女の子の象徴みたいな笑顔だ」
「いやいや、そんな……ありがとうございます」柚菜は苦笑(にがわら)いする。「でも笑顔っていったら、レイちゃんもそうじゃないですか? くろみんもだけど」
「んー、だね」稲見は納得する。「笑顔三姉妹、てどうかな? 今度からそう呼ぼうかな」
「はは」ダサい、と柚菜が思ったかどうかは、謎である。
次の瞬間、短い悲鳴と共に、水面を揺るがすような誰かが飛び込んだ音がした。六人は咄嗟にそちら側を振り返っていた――。
「んもーう!」
「あっはっはっは」
齋藤飛鳥がプールサイドに立ち、水の中に落ちた大園桃子を見下ろして大笑いしていた。
「やー、つーめーったい!」桃子は顔を震わせる。
「冷たいんだ?」飛鳥はしゃがみ込み、手の平でプールの水を触った。「そうかな……」
次の瞬間、大園桃子は齋藤飛鳥の腕を引っ張って、プールの中へと齋藤飛鳥を落とした。
「なんか面白い事してんなー」夕はにやけた。
「入ったじゃん飛鳥」日奈は微笑んだ。「桃ちゃんも入ったじゃーん」
「やったぜ!」磯野は喜ぶ。「ついにドボンしたなっ!」
現在〈プール〉には乃木坂46の『ひと夏の長さより…』がリピート再生されている。
「つ、め、た!」飛鳥は肩を抱いて震え上がる。「温水プールじゃないのこれ!」
「冷たいですよね!」桃子も肩を抱いて震えている。
「温水はあっち」夕はそちら側を指差して言った。「そっち深いでしょ。こっちおいでよ」
「二人ともこっちおいで~」日奈は笑顔で二人を呼んだ。「こっちあったかいよ~」
「そんなんあるの?」飛鳥はゆっくりと移動する。「あ、気持ちあったかいかも……」
「待って下さい」桃子も飛鳥についていく。
「ぞのっち、こっちあったかいよ、ほら、おいで」飛鳥は肩まで水に浸かりながら桃子に言った。「何でひと夏の長さよりしか流れないの?」
「三人のリクエスト」日奈が答えた。「飛鳥達が来る前にイーサンにリクエストしてたよ」
「ふーん」飛鳥は夕達を見つめる。「で何してんの、あの三人は……」
「ん?」日奈は三人の方を見つめて、小首を傾げた。「さあ……」
風秋夕と磯野波平と稲見瓶の三人は、プールサイドに上がり、激しく三人でジャンケンを繰り広げていた。
2
四十分程が経過した頃、ジャンケンで負けた磯野波平が電脳執事のイーサンを使い呼び出したメンバーがようやく地下二十二階の施設〈プール〉に到着した。