BUDDY 3
起床と就寝の時間、食事の時間、果ては入浴の時間までが記された紙とアーチャーを交互に見て、士郎は答えを待っている様子だ。
一日のスケジュールをみっちりと固定されていることに士郎は不満を感じているわけではない。
天賦の才などない士郎は、日々の努力の積み重ねが必要であると重々承知している。だが、せっかくできるようになった投影魔術がそのメニューに入っていないのだ。これは士郎にとっては由々しきことだ。なぜだ、という疑問ばかりが頭の中を占めたことだろう。だから、前の言葉がつい出てしまった。
それをアーチャーはわかっていながら、
「……文句があるのか?」
眉間に深くシワを刻み、士郎を見下ろす。
「い、いえ、ないです!」
士郎はすぐさま姿勢を正して、ブンブンと首を左右に振って否定する。
「まあ、気持ちはわからなくもない。投影魔術をもっと学びたいと思うのは当然だ。だが、お前はまだまだ未熟者。下手をすれば、死ぬ可能性がある危険な魔術を試みていることは知っているな? であれば、焦ることのない状況で、きちんと段階を踏んで魔術を学ぶべきだ」
アーチャーは基本に戻ることにした。
聖杯戦争を視野に入れた、無理を承知で押し進める鍛錬ではなく、士郎の身の丈に合った魔術の修練を積んでいく。それが一番手っ取り早く成長させることができるはずだ、と。
「急がば回れ、という諺があるだろう。聖杯戦争は終わった。運良くお前は生き残った。ならば、基本に立ち返り、地道にやっていくことが一番望ましい。命の危険を冒しながらの無理な鍛錬などお勧めできない。私が教えるのだから、確実にモノになる方法を伝授してやる。お前はそれを体現していけばいい」
「い、至れり尽くせり、なんだな……?」
「お前はどこに向かうのかを決めかねているだろう? 魔術など必要のない先行きを見つけるのかもしれないが、今のところ藪の中だ。したがって、私を維持するための魔力を培うことだけに専念してもらう」
「え……」
「どこを目指そうとかまわんが、私にお前の行き着く先を見せるのであれば、私をずっと現界させ続けなければならない。本来ならば霊体化して魔力消費を減らしておくのが一番ではあるが、お前から流れる魔力が不安定すぎて、霊体化はできそうにない。まあ、なんとか霊体になれるかもしれないが、そのまま座に還ることになりかねない」
「うぅ、面目ない……」
しゅんと肩を落とした士郎は反論する余地すら見い出せない様子だ。
「そうならないために、魔力を増やすのだろう?」
顔を上げた士郎は真っ直ぐにアーチャーを見上げて頷く。
「アーチャー、よろしく、頼むな!」
「ああ、任せておけ」
冬が終わりを告げようとする頃、アーチャーは改めて、正式な士郎の先生となった。
時間はあっという間に過ぎていく。
寒かった冬は温んだ風とともに過ぎ、うららかな春も爽やかな初夏も駆け足で通り過ぎた。
そうして――――。
「ふーん。供給を円滑に、ねえ……」
凛は、アイスクリームを食べ終えた木のスプーンを咥えながら、宙を見つめている。
「まあ、いらないんじゃない? 足りなくなったら、今まで通り身体をくっつけておけばいいじゃない。聖杯戦争でもないんだし」
「この季節にそれが難しいから、訊いているのだが……」
毎晩熱帯夜で、朝八時にはすでに気温三十度に達する日が続いている。うだるような暑さの中で身体をくっつけることがどんなに地獄かを凛にも体験させてやりたいと、アーチャーはため息をこぼして訴える。
四月から無事に高校三年生となった凛と士郎は今、夏休みの真っ只中だ。
士郎の魔力の増量というアーチャーの目標はいまだ達成とはいかず、士郎と二日に一度は共寝をしている。多少の成長は見られるものの、まだまだ士郎は未熟者の域である。
「確かにあっついわよね……」
「ああ。マスターの部屋は扇風機だけだからな」
「うわっ! 最悪ね!」
「ああ、最悪だ」
主が留守なのをいいことに、アーチャーはここぞとばかりに毒を吐く。
凛とセイバーが衛宮邸を訪れたのは午前中だったのだが、その時点で気温は三十五度に達する勢いで、正午を少しばかり過ぎた今は、おそらく体温に近い気温に上がっていることだろう。
そんな中、凛のサーヴァントであるセイバーと元来暑さには強い士郎は買い物に出ている。凛も行く予定であったのだが、この暑さの中は無理、と玄関を一歩出てすぐに引き返してきたのだ。
そういうわけで、アーチャーが凛の話相手となり、なんなら冷たい紅茶を入れ、冷凍庫に残っていたアイスクリームを提供している。
その対価として、何か良い方法がないかと魔力供給について打診したアーチャーだが、凛の返答はまったく役に立たない。
「エアコンのある部屋で寝るのはどお? 例えばこの部屋、ちゃんとエアコンが付けてあるじゃない」
「マスターが許可しない。電気代が勿体ないからと言って」
「でも、いくら衛宮くんでも、さすがに熱中症になっちゃうんじゃない?」
「それも言ったが……、あの頑固者は、自分の部屋で寝る、の一点張りだ」
「もしかして、衛宮くん、暑さを感じないのかしら……?」
「そういうわけではない。汗をかいている」
「…………我慢してるってことなのね」
「そうだ」
二人してため息をつき、腕を組んで考え込む。衛宮邸の居間には、この屋敷では数少ないエアコンが設置されている。もちろん、来客である凛が来たときから稼働中だ。だが、普段は電源を入れられることはなく主電源が切られているし、リモコンの電池も抜かれている。
他には離れの洋間の各部屋にそれぞれ設置されているが、ほとんど使用されることはない。
「で? アーチャーは、どうなの?」
「私であれば問題ない。暑さもたいして苦ではないしな。ただ、マスターの体調の方が心配だ。寝不足がたたって免疫力が低下すれば、体調を崩すかもしれない」
「ふーん、結局、衛宮くんのためってことね」
「まあ、そうなるな」
「じゃあ、そう言えばいいじゃない。衛宮くんの身体が心配だからって」
「む…………。それは……」
「なんで、そこで言い澱むのよ?」
「我々は、そういう……、なんというか、こう、心配しているとか、そういうことを言い合う間柄ではないというか……」
歯切れ悪く説明するアーチャーに、凛は目を据わらせた。
「べつにいいじゃない。エミヤシロウ同士だからって、遠慮することなんてないと思うけど? どのみち、アーチャーは衛宮くんじゃないんだし、逆もそうでしょ? だったら、別々の存在ってことじゃない」
「いや、だが…………」
「つべこべ言わないの! 衛宮くんが心配なんでしょ? だったら、ちゃーんと言葉にして理解させないと! 言ってもわからないこともあるのよ?」
聖杯戦争が終わったあと、凛には士郎とアーチャーの関係を話している。彼女はアーチャーとともに士郎の魔術の師匠となることをかって出てくれたため、いろいろと相談することも増えるだろうと、アーチャーは真名を明かすことにしたのだ。
今も、こうして親身(かどうかは一概には言えないが)になって相談に乗ってくれているので、士郎にとってもアーチャーにとってもありがたい存在だ。