BUDDY 3
「…………そう、だな」
「ええ。そうよ」
アーチャーは、生前の影響か、聖杯戦争の影響か、遠坂凛には逆らえない。どうしても彼女の言に従ってしまう癖がある。
セイバーもそうだが、遠坂凛も、アーチャーにとってはかけがえのない存在だ。英霊となった今でも、いや、英霊となった今だからこそ、と言えるのかもしれない。何しろ、前回までの聖杯戦争の媒介は、凛のペンダントだったのだから。
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
玄関から声が聞こえてきて、ほどなく居間の障子を開けた士郎とセイバーが真っ赤な顔をして入ってきた。
「おかえりなさい。暑かったでしょ? ご苦労さまー」
「はい」
凛の労いにセイバーは大きく頷き、暑かったです、と素直に答える。
「うーん、そうでもなかったけど」
一方の士郎はさほど暑くなかったと言い、台所へ入っていった。
それを目で追い、士郎の顔を見てアーチャーは、むっと眉間にシワを寄せた。
「マスター」
立ち上がり、士郎を追うようにアーチャーも台所へ入る。
「ん? えっと、買い忘れはないと思うけど? 何か――」
「休んでいろ!」
振り返る士郎の腕を掴み、そのまま居間へと連れ戻した。
「え? アーチャー?」
きょとん、として座卓の側に座らされた士郎は、アーチャーを見上げる。
「鈍いにも程がある」
言い残してアーチャーは台所へ戻る。
「あの、アーチャー? えっと、お、俺、やるから、」
「座ってなさい」
「え? 遠坂?」
凛に袖を引かれ、立ち上がろうとした士郎は腰を下ろして振り返る。
「水分と塩分をとって、少し涼みなさい」
師匠の顔をして言われては、士郎は、はい、としか言いようがない。
「セイバーは飲み物だけでいいか?」
居間に戻ってきたアーチャーが盆を片手に訊けば、
「はい。私は大丈夫です」
凛にうちわで扇がれながら、セイバーは気持ちよさそうに笑みを見せている。
「そうか。ならば、こいつだな」
盆を座卓に置き、セイバーに冷たいレモネードを差し出したアーチャーは、布巾で包んだ保冷剤を士郎の首に当てた。
「ひえっ!」
冷たさに飛び上がる士郎の頭を掴み、座布団の上に押しつけ、寝転んだ士郎の前頭部に氷嚢を乗せ、ストローをさしたペットボトルを掴み、士郎にストローを咥えさせる。
「飲め」
「うぇ? あ、あの、」
「いいから、飲め」
アーチャーの勢いに圧され、士郎はおとなしくストローを吸い上げる。アーチャーが士郎に飲ませたのは簡易的に作った経口補水液だ。
アーチャーは士郎が台所に入るときに気づいた。平気そうにしていたが、帰ってきた士郎の顔は紅潮し、息も上がっていた。おそらく頭痛か軽い吐き気も伴っていたと思われる。もう少し放置すれば寒気などを引き起こして意識を失う可能性もあった。
「重くはないみたいだけど、熱中症ね」
「え?」
アーチャーが用意した経口補水液を飲み干した士郎は、凛の一言に驚いた声を上げている。
「その液体、普通の状態だと、そんなゴクゴク飲めないもの」
「ああ、美味くはないな」
同意するアーチャーに目を向け、
「え……? あ…………」
士郎は、ようやく自身の体調に気づいたようだ。
「悪い…………、アーチャー、飯の用意、たのむよ……」
「わかっている。お前は寝ていろ」
こく、と頷いた士郎は瞼を下ろした。
「まったく……」
「よかったわね、たいしたことなさそうで」
凛が、にこり、と笑えば、アーチャーは小さな笑みを返した。
***
暗くなった居間で目を覚ました士郎は、何度か瞬きを繰り返す。
「えっと……」
しん、と静まりかえった室内には、誰の気配もない。
「遠坂たち、帰ったのか……」
まだ重い感じのする頭を起こして座れば、微かな足音とともに障子が開く。
「起きたか」
その声に顔を上げれば、ぱちん、という小さな音とともに照明が点く。眩しさに瞼を閉じて目を擦り、灯りから顔を背けて目を開ける。浅黒い裸足の足が見えた。
「問題ないか?」
黒いスラックスに包まれた膝が自分の膝のすぐ傍につき、そっと頬に触れた手に驚いて顔を上げる。
(あ……)
目の前に、鈍色の瞳がある。
どく、と、なぜだか心臓が跳ねた。
「顔色はまだ良くないが、熱かった皮膚は冷えたな」
ふ、と目尻が下がったのは、アーチャーが微笑んでいるからだと気づくのに、少し時間がかかった。
そんな表情《かお》をするのだ、と初めて士郎は気づいている。
思えば、このところの士郎は、アーチャーの顔をまともに見て話すことがなかった。何か用事をしながらだったり、手元を見ていたり、他に誰かがいれば、そちらを見ていたり……。
だから、“無視するな”と言われたのだ、と改めて気づかされる。アーチャーが冷房をつけろと助言をしてくれているのに聞かないのも、その延長のような感覚だった。
士郎はアーチャーと無意識だったが距離を置こうとしていたのかもしれないと気づいた。そして、その理由にも気がつきかけて、
(いや、違う! ないない! ありえないって!)
無理やり否定し、その気づきを頭の隅へ追いやった。
「このところの熱帯夜で寝不足気味だっただろう? ただでさえ暑い部屋だというのに、私がさらに熱を加えてしまっていた」
「ぁ、アーチャーの、せいじゃ、」
「ああ。だからな、士郎」
名を呼ばれて、どきり、とする。
アーチャーは通常、“マスター”と士郎を呼ぶのだが、誰もいない二人のときは、“士郎”と呼ぶことがある。その線引きがどういったものか士郎にはわからないが、アーチャーが気を許している、もしくは何か重要なことを話しているときではないかと、そんなふうに捉えている。
「居間か洋間のどちらかで寝た方がいいのではないか?」
「え……、でも、」
「体調不良を起こしてまで節電に拘ることはないだろう。確かに節約や節電は大切だが、私はお前の身体の方が心配だ。せめて供給しなければならない日だけでも、エアコンを使用してはどうだ?」
譲歩に譲歩を重ねたアーチャーの言い様に、士郎は何も言えなくなる。意固地になっていたわけではないが、毎年暑い夜も扇風機だけでどうにかなっている、ということに拘っていたのかもしれない。
暑苦しいからと言うのではなく、アーチャーは士郎の身体のことを考え、さらに士郎の意思を尊重しようとしてくれているとわかり、その提案を拒否することなどできなくなった。このところアーチャーは暑くなってきたからと何度か同じことを勧めてきてくれていたというのに、士郎はハナから聞く気がなかった。
毎日のように、しつこく同じことを言ってくる、と少し辟易していたのだが、体調を崩して初めてアーチャーが自分の身体を心配してくれていることに気づいた。
「うん、そうだな……、そうする」
頷けば、荒く頭を撫でてアーチャーは立ち上がる。
「食欲はどうだ?」
「普通に食べれそうだ」
腹をさすれば、くう、と鳴った。結局あのまま寝てしまっていた士郎は、昼食を食べ損ねている。
「腹が減るのなら、問題ないな」
台所へ入ったアーチャーはすでに夕食の用意をしていたようで、あまり待つこともなく配膳されていく。