BUDDY 3
酢の物や出汁の効いたお吸い物、あっさりとした主菜など、のどごしが良くて食べやすい。そういう献立を選んでくれたのだとわかる。
座卓の角を挟んだ隣で静かに箸を進めているアーチャーを垣間見れば、士郎の視線に気づいたのか、アーチャーがこちらを見る。
また、どきり、とした。
「なんだ?」
「う、あ、う、うん。美味しいなって……」
「そうか。それはよかった」
たいした抑揚もない返答だったが、こんなことで嘘を言うようなアーチャーでないことは知っている。表情も口調も愛想がないことが多いが、よかった、と言うのならば、アーチャーはそう思っている。
「ありがとう」
「なんだ、急に」
訝しそうに眉をしかめるアーチャーに、士郎は思わず出てしまった謝意が何に対してだろうと、自分自身疑問に思う。
「いろいろ、ありがとうってことで」
「ひとつにまとめられると、ありがたみがないな」
「……そこは、素直に受け取ってください」
いつもと変わらない厭味に苦笑いしながら、士郎は夕食を美味しくいただいた。
***
「アーチャー、アーチャー!」
何度か呼ばれて、縁側に出れば、
「ちょっと、手を貸してくれないかー?」
土蔵の戸口から顔を出した士郎が手招きしている。たたんだ洗濯物を収納に向かう途中であったアーチャーは肩を竦め、一つため息をこぼして庭へ下りた。
「まったく……」
我がマスターは、最近、人遣い、いや、サーヴァント遣いが激しいな、と思いつつ、土蔵の戸口を入る。
「む……」
薄暗い蔵の中はごっちゃりと散らかっていた。いったい何をすればこうなるのか、と問い詰めたいのをどうにか抑える。
「……これを、片づけろと?」
己がサーヴァントをなんと心得ているのか、と説教モードに入ろうとすれば、
「違う違う。あれ、あいつ。持ち上げるの手伝ってほしいんだ」
士郎は蔵の奥に置かれている古い和箪笥を指さしている。
「あれ、腐ってきててさ」
士郎は箪笥に歩み寄って下の方を見ながら説明し、処分しようと思う、と付け加えた。
「処分……。いいのか?」
「うん。中身は空で使ってもいない。切嗣のものでもなかったはずだし、誰が持ち込んだのかも知れないんだ。いわく付きだったのかもしれないけど、今まで何かが起こったことはないから平気だと思う」
「そう……なのかも、しれないが……」
それなりに思い出や思い入れがあるのでは、とアーチャーが気を回そうとすれば、
「いいんだ」
と、あっさり士郎は言い切る。
(無理をしているようではないな……)
見かけだけの笑みを浮かべた士郎が心の中で何を思っているか、アーチャーには推し量れないことがある。聖杯戦争中はそんなことに気づく余裕はなかったが、季節が進むほどの時間を士郎と過ごすうち、いろいろと観察し、それなりに理解することもできている。それでも、士郎が何を考えているのか、稀にわからないことがあるのだ。
(まあ、こいつがそれでいいと思うのなら、反対することもないか……。この屋敷を一人で管理するのは骨が折れるだろうしな)
換気や虫干しなど、士郎はそれなりに屋敷と家財道具の維持には努めていたが、手の回らないところがいくつもある。何しろ一人で住むには大きすぎる武家屋敷だ。頻繁に来客があるとはいえ、掃除や片づけを任せるわけにもいかず、手のつけられていない箇所は次第に経年劣化が顕著になってきている。
「いい機会だと思って。春にはロンドンだろ。夏休みだし、今のうちにやっておいた方が後々気が楽だからさ」
もう一人の魔術の師匠である凛に誘われ、士郎は時計塔に入学することを決めた。たいした功績もないが、聖杯戦争の生き残りという肩書きがずいぶん効果を発揮しているらしい。凛のように純粋に魔術を学ぶという目的ではなく、アーチャーと契約を続けるための力と知識を得られるかもしれない、という単純な理由から士郎はロンドン行きを決めたらしい。
そこまで言われてはアーチャーも止めることができず、その上それが、士郎の意思ならば、むしろ良いことだと思うことにして、アーチャーは何も言わなかった。
そういうわけで、しばらく家を空けることになるので、厄介なものはそれまでにどうにかしておかなければならない。
(断捨離ということか……)
何やら身辺整理をしているような気がして、アーチャーはまじまじと士郎を眺める。
「えっと……、なんか、忙しかったか?」
返答のないアーチャーを見上げ、何かやりかけていることがあるのかと士郎は訊ねてくる。
「いや、特には」
「…………あー、……ああ、じゃあ、……えっと、ま、まあ、一人でも、なんとかなると思うし、大丈夫だ。悪かったな、呼び止めて、わざわざこっちまで来てもらって」
士郎はアーチャーに背を向け、箪笥を一人で動かしはじめた。ずり、と右手側が前にずれ、士郎が反対側に回って、また、ずり、と引きずれば、左手側が前にずれた。
「おい?」
どう見ても一人で動かすのは無理だ。何時間かけて外へ出す気だ、とつっこみたいのを呑み込み、アーチャーは士郎の腕を掴む。
「何をしている」
「こんなこと、やりたくないよな。俺からの頼みごとなんてさ。呼び止めて悪かったよ」
そんなことは言っていない。やりかけは特にないと言ったつもりだ。だというのに、士郎はなぜかアーチャーが手伝いを断ったのだと決めてかかっている。
「何を勘違いしている」
言いながらアーチャーは、士郎とは反対側に陣取った。
「アーチャー?」
「夜が明けてしまうぞ、たわけ」
「で、でも、アンタ、何も言わないから…………。乗り気じゃないんだろ? 無理しなくてもいいぞ?」
「はあ」
「む。なんでため息吐かれてるんだ、俺」
「ため息しか出ん。とりあえず、庭まで出せばいいのか?」
「そ、そうだけど、」
「門の近くまで出した方がいいのではないか? どのみち藤村家に何かしらの運搬を頼んでいるのだろう?」
「ああ、うん。明日の朝に軽トラで迎えに来てくれるって」
粗大ゴミを出すために、すでに車を借りているようだ。
「ならば、門の側までだな」
「いいのか?」
「断ったつもりはないが?」
「…………じゃ、じゃあ、えっと、」
「上げるぞ」
「え? あ、頼む、せーの!」
タイミングを合わせて二人で持ち上げた和箪笥はなかなかに重量級で、アーチャーが大半を担ってはいるものの、士郎がヨタつくくらいに重いようだ。
「おい、そんな状態でよく一人で動かそうとしたな……」
呆れながらアーチャーが言えば、
「う、い、今、話しかけんな!」
箪笥を持ち上げることで精一杯の士郎だが、アーチャーに反応するくらいはできるようだ。が、声を荒げたのはそれだけで、あとは息を詰めていないと力が込められない。ヨタヨタしている士郎を先導し、どうにか土蔵を出て庭を突っ切れば、衛宮邸の門が見えてきた。
「マスター、この辺りでいいな?」
返事もままならない士郎の許可を待つことなく、アーチャーは足を止める。ごとん、と重そうな音を立てて和箪笥は地に置かれた。
ひぃ、ふぅ、と膝に手をつき、中腰で息を整えている士郎に肩を竦め、今しがた置いた箪笥に目を向ける。
(カビか……)