BUDDY 3
「お、おい、無茶をするな、落ちたら――」
「平気だって」
するすると窓から出て庇を足がかりにし、完全に士郎は姿を消した。
「おい……」
止める間もなく外へ出て行ってしまった士郎に、止めようと途中まで上げた手の行き場を失ってしまう。
「アーチャー、早く来いよ」
窓から入ってくる士郎の声にため息をこぼし、アーチャーも士郎に続いて窓から上半身を出す。土蔵の中にいるときはあまり聞こえてこなかった花火の音が、外に出ただけで腹に響くほどよく聞こえる。
窓の庇から土蔵の屋根の上へと辿り着けば、士郎は瓦屋根の天辺に座っていた。
「あそこ、小さいし、歪んでるんだけどさ」
士郎の指さす先へ目を向けると、本来、円形である花火が楕円形になって見えている。おそらく、この位置は花火の打ち上げ場から見れば側面にあたるのだろう、夜空に上がった花火は細長く歪な形になっていた。
「音も後から遅れて聞こえるし、形も不格好だけどさ、打ち上げ花火、タダで見放題だろ?」
見上げてくる士郎は自然に笑っている。楽しんでいるかどうかはわからないが、楽しげにしているように見える。
(少し……、いや、ずいぶん、表情が増えたようだ……)
士郎と契約をして、すでに半年。日に日に己の過去であった姿とは違う士郎を見ることが増えていた。
(これは、ひょっとすると、ひょっとするかもしれない……)
アーチャーがそうあってほしいと思う衛宮士郎の行く末へ向かうことができるかもしれない、と少なからず期待をしてしまう。
終の住処で呑気に笑うなど、衛宮士郎では絶対にやりそうにないことだ。だが、今、己のマスターである士郎ならそれを目指せるかもしれないと思わせてくれる。
隣に腰を下ろせば、少し不思議そうにしていた士郎が、小さな笑みを浮かべた。よく見えるだろう、と自慢するわけではなく、士郎はただうれしそうに微笑を浮かべている。
「特等席だな」
ぼそり、とこぼせば、
「来年から、席料取ろうかな」
「ケチケチするな」
「はは。じゃあ、アーチャーの特別観覧席ってことで、サービスにしておくよ」
「ありがたい」
ようやくか、とアーチャーは思う。
士郎はアーチャーとの契約をやめた方がいいのではないか、という考えを捨てたようだ。何気ない会話の中に、“来年”という未来を示す単語が出てきた。であれば、この先もアーチャーがいる前提で話しているということだ。
(少しは、理解したようだな……)
アーチャーがこれからも士郎を鍛えていく、ということを士郎はようやく信じるようになったのだとわかった。
初めから信頼はされていた。だが、士郎はどこか、アーチャーとの契約に自信が持てないようだった。マスターとして未熟であることが原因であるのだろうが、どこか負い目を感じているような言い方をするときがある。
アーチャーが何度も遠慮をする必要はないと言っても、士郎はやはり変に気を回すことがあった。
(未来《まえ》だけ見ていればいい……)
余所見などしている暇はないぞ、と教えてやらなければならない。お前が見るのは、己一人の先行きではなく、私をも導く未来なのだから、と。
遠く、夜空に咲く花の色を瞳に映した横顔は、鼻歌でも歌っているようだった。
***
「それはそうと、お誘いはなかったのか?」
背後から腕を回すアーチャーが話すと、首の後ろや耳のあたりに息がかかってくすぐったい。
熱帯夜の盛りはエアコンの設置されている離れの洋間で寝ることにした士郎だったが、この部屋にあるのはシングルベッドだけである。床に布団を敷くスペースもなく、居間に布団を敷く気はさらさらない。
狭いベッドに男が二人寝そべるのは窮屈だ。
今さらそんなことに気づいてため息をつきかけた士郎は慌てて飲み込み、アーチャーの質問にでき得る限り首を傾げる。
「お誘いって? なんのだよ?」
狭苦しく思う中、嫌でも感じられる筋肉の弾力に、アーチャーの身体と密着しているという事実を思い知らされる。
(男同士でこれって……)
腑に落ちない、ありえない、どういうことだ、と喚きたいところだが、士郎は文句を絶対に言わないでおこうと決めている。不自由さであればアーチャーの方が如実に感じているのだ、文句を言う権利はアーチャーにあり、己にはない。
なぜ、自分がこんな目に遭わなければならないのか、と毎度毎度、アーチャーが思っていることは鈍い士郎にもわかる。何も言わないアーチャーが、黙って現状に甘んじていることを、士郎は痛いほど理解しているつもりだ。
したがって、供給のための同衾は、なんでもないふうを装い、感情を捨て去ることに努めている。だというのに、アーチャーは珍しく話しかけてきた。滅多にないことを急にされると困るのだ、妙な緊張感に晒されてしまうから……。
「今日の花火大会だ。凛やセイバーが誘いに来たのではないのか?」
「…………来たよ」
今さら何を訊きたいのか、と疑問を浮かべながら士郎は正直に答える。
「ならば、どうして、ともに行かなかった?」
「べつに理由なんてない。土蔵の片づけもあったし、花火ならテレビでも見られるし。なんなら、テレビで見る方が綺麗で、よく見えるし」
「いや……、そういうことではないだろう……」
ともに出かけようと彼女たちが誘っているというのに、なぜ断るのかとアーチャーは言いたげだ。
「アンタは、誘われたら行くか?」
「……彼女たちが私を誘う道理などない。私はお前のサーヴァントというだけで――」
「人が多いの、苦手なんだ」
士郎は答えをはぐらかすアーチャーの言葉を遮って、かたく目を瞑る。これ以上話すことはない、とばかりに瞼も唇も力を籠めて閉ざした。
「だとしても…………、はぁ……、そうか、苦手ならば、仕方がない」
アーチャーはそれ以上は何も言わず、咎めもしなかった。
申し訳ない気持ちがモヤモヤと士郎の胸を埋め尽くす。アーチャーが何か話そうとしてくれていることはわかっていたが、これ以上、根掘り葉掘りつっこまれると、ボロを出してしまいそうだ。
士郎はほっとしながら、マットレスの縁を握りしめる。
急に押し黙って変な奴だ、と誤解されるより、本心を探り当てられることの方が厄介だと士郎は思っている。これからもアーチャーと過ごすためには、慎重にならざるを得ない。
(だって、アンタは、独りで家に残ろうとするだろ……)
同情したわけではない。かわいそうだとか、そういうことをアーチャーに思ったのではない。
ただ、凛たちに誘われて士郎が出かけ、アーチャーを一人この広い屋敷に残して行くのがためらわれた。
小さい子供でもないし、まして人間でもないサーヴァント。万が一など、万に一つもない。
だというのに、士郎だけが友人たちと楽しんで、アーチャーは独り家に残る。それは、士郎には選べない選択肢だった。
(一緒に行こうって言っても、アーチャーは絶対断る。だから……)
士郎は行かないという選択をした。せっかく花火を見る機会があるのなら一緒に見ればいいと思う。
(ん? あれ……?)
ここに至って、ふと疑問が浮かんだ。
(どうしてだろう……? 俺は、アーチャーと花火を見たかったのか……?)