BUDDY 3
このところ、自分の行動や思考が、よくわからないときがある。
なぜ、アーチャーを一人で残したくないと思ったのか。
なぜ、アーチャーも誘おうと思うのか。
だが、アーチャーが行くとなると……。
はっとして瞼を開けた。
暗い洋間には空調の音だけが響いている。
「士郎?」
ぎくり、として、自分が何かおかしなことを口走ったのではないかと焦り、冷たい汗が噴き出る。
「あ、え? な、なんだ?」
冷静さを取り繕って、振り返ることなく訊けば、
「痙攣を起こしたようだったが?」
「け、痙攣? あ、な、なんだろうな? 半分夢見てたって感じかな……、お、俺、何か、変なこと、言ったか?」
「いや、何も」
少し身体を起こしていたらしいアーチャーは、こちらを覗き込んで、士郎の身を案じてくれている様子だ。やがて、再びベッドに身を横たえたのがわかる。
(遠坂たちと一緒に行くと、アーチャーは……)
彼女たちを優先することがわかりきっている。マスターである士郎ではなく、アーチャーは凛とセイバーを最上位に持ってきて、士郎のことは後回しだ。
(それが、俺は……)
嫌だったのか、とシーツを握りしめ、強張っていきそうな身体を、深呼吸を繰り返して、どうにか宥める。
(どうして、こんなことに気づいたんだろう……?)
気づかなければよかった、と、おかしな鋭さを発揮してしまった己に嫌気がさす。
(それに……)
適度に冷えた室温の中、背中から包まれるような温もりの安心感になど、気づきたくはなかった。
(ただ、人肌が珍しいってだけだ……)
今まで一人でやってきたのだ、寂しいなんて気持ちは感じなかった。だが、半年前から一人ではなくなり、ほぼ毎夜、魔力供給を目的に同衾することで、アーチャーの温もりを知ってしまった。
人と同じ体温、人と同じ息遣い。
鼓動や脈もあり、寝息すら立てるこの稀有な存在。
自分でも気づかなかった胸中の穴に気づかされ、さらにはそれを埋め立てられていくことの心地好さ……。
(気のせいだ……!)
士郎には、安易に受け入れ、認めるわけにはいかない温もり。
(こんなの、慣れれば、すぐに気にならなくなる……、……きっと、絶対!)
何度も自分に言い聞かせるように、否定の言葉を頭の中で繰り返していた。
***
少し、変わったように思う。
士郎はどう考えているのかはわからないが、大人になったということだろうか?
私のアドバイスを軒並み吸収し、口答えではなく的を得た質問をぶつけてくる。
そのおかげだろうか、格段に魔術師としての成長が見られる。一方の魔力の方は相変わらずで、基本的な鍛錬を繰り返し、少しづつ魔力が増えていくのを見守るしかない。
(焦れているな)
思うように魔力量が増えないことが、今、士郎を苛む唯一の悩みだ。
「私もそうだった。だが、士郎の場合、技術的に向上していることが余計に焦りを生むのだろう……」
焦ることはないのだと私や凛が言ったところでどうなるものでもない。
「仕方がないことだ。魔力の量は、生まれながらの素質にも影響される。凛のように正当な魔術師の家系でもない士郎では、仕方が…………」
はたと、座卓を拭く手が止まった。
「私は……、いつから…………?」
自分自身が信じられず、空いた手で口元を覆う。
夏休みは終わり、マスターたちは新学期がはじまった。
平日、誰もいない衛宮邸で、私はアレのやり残した家事を終わらせ、アレの帰りを主夫のように待っている。
いや、私が何をしているかなど、どうでもいい。
それよりも、私はいつの間に、アレを平然と名前で呼ぶようになったのか?
契約した当初はマスターと呼んでいたはずだ。だが、他に誰もいないときはその名を呼んでいた……。
「アレが、どうにも……」
私のアドバイスを真剣に聞き、必死に魔術を飲み込もうとしていた姿は、百歩譲っても好感が持てるものだった。だから、というわけではないが、私も気が緩んで、アレを“士郎”と……。
「いや、気が緩んだなどと、ただの言い訳だ。私は、気分が良かったのだ、全幅の信頼を置いて私を師と仰ぐアレに……」
誰しもから忌み嫌われようとも、何も感じなかった。
誰かから好意を寄せられても、何も思わなかった。
誰かの視線も、誰かの嘲笑も、私の心には、なんら引っかかることはなかった。
ようするに、私は私の道を歩むのみで、他の誰かの気持ちや想いなど、一切関係がなく、どうでもいいことだったのだ。
「だから、こんな……、守護者などという、おかしなモノに成り果てたのだろう……」
そんな私に理想を見て、アレは――――士郎は、私が培った魔術を習い、その技術を会得し、私を師として、一心に鍛錬に励んでいる。
それを無下にできるほど、私は強くないのだ。
「恐しいな、若いというのは……」
無垢で純粋。その真っ直ぐな想いは、紆余曲折を経た私のようなモノには、ただただ眩しいだけだ。
私は老齢まで人として生きたわけではないので、まだ若い、と言われる年齢で生を終えた。だが、守護者として在る長い間に、感情も記憶も情熱も、何より一等最初に抱いた想いも、何もかもが擦り切れ、摩耗し、薄っすらと残りカスのような燻りが残るのみとなってしまった。
取り戻すつもりなどなかった。いや、取り戻せるものではないと諦めていた。胸に宿した熱すら忘れてしまった私には、もう熾火ではなく消し炭しか残っていないと……。
士郎のひたむきさが、それらを思い出させてくれた、ということではない。
ただ、士郎が歩み続ける先行きが、私の胸に風を起こした。微かに残った熾火に再び熱を灯し、曇天のように燻んだ瞳に光を与え、泥濘に嵌り込んだ歩みに新たな一歩を進ませる。
士郎は必ず私を導くだろう。
その行き着く先が、正しいか間違っているかは関係がない。ただ、士郎が私を導いた未来《さき》が、我々の答えになるのだ。
「ふ……」
ひとり、笑みをこぼす。
楽しみで仕方がなくなって、誰もいないのをいいことに、くつくつと笑いが漏れる。
「さあ、私をどこへ導いてくれるのだろうな、士郎は」
私はお前を信じて待つだけだ。
お前が真っ直ぐな想いで私を信じ切っているように、私もその信頼に応え、そして、信頼で返そう。
「楽しみだ」
止まっていた手を動かして座卓を拭き終え、洗濯物を持って庭に出れば、見事な秋晴れの空が広がっている。
日差しも気温も、まだまだ夏の様相をおさめていないが、蒸し暑さがおさまった風は爽やかに頬を撫でていく。
気候や天気に左右されて単純だと笑われそうだが、晴々とした気分はどうしようとも誤魔化しようがなかった。
***
「これで全部か?」
「ああ、うん。もう最後」
それほど大きくないトランクを閉めれば、アーチャーがそれを軽々と持ち、玄関まで運んでくれるようだ。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
居間を出ていくアーチャーはどことなく機嫌がいいように見えた。
(ロンドンで遠坂たちと共同生活、だしな……)
アーチャーにとってはうれしいことなのだろう、と士郎は苦笑いをこぼしている。
「これ、やめないとな……」