BUDDY 3
誰に見咎められるともしれない。凛やセイバーとはルームシェアをするのだ、言動にも顔にも出さないようにしなければ、と士郎は改めて気を引き締める。
アーチャーと契約をしてから丸一年が過ぎていた。
少しずつ魔術師として成長しているものの、魔力量はそれほど増えてはおらず、二日に一度になったとはいえ、いまだにアーチャーと共寝をしなければならない。が、それでも、一年前に比べれば、ずいぶん増量されてはいるのだ。アーチャーがそう言うのだから、間違いはない。
今も変わらずアーチャーの経験譚を夢で見せられ、その度に自分の技量とのギャップを見せつけられ、自身の不甲斐なさにため息をつく日々である。時折、モヤモヤとしたものを感じ、凛とセイバーに微かな嫉妬心を芽生えさせることもある。その度に自己嫌悪に陥り、これではだめだ、と鍛錬に精を出していた。
そんな士郎も、今夜の便でロンドンに発つ。
時計塔で魔術を学び、アーチャーの現界を難なくこなすために。そして、アーチャーに別の結末を見せるために。
(まだ、何も決められてはいないけど……)
確かなビジョンがあるわけではないが、士郎はアーチャーとともに生きることで何かを掴めるのではないかと確信に近いものを感じている。
「よし!」
ボストンバッグのファスナーを閉じて立ち上がる。居間の照明を消し、家屋のブレーカーを落とすために遠回りして玄関に着けば、コートを片手に持つアーチャーが待っている。
「お待たせ」
「ブレーカーは落としたか?」
「うん。全部」
「忘れ物はないな?」
頷けば、アーチャーが玄関戸を開ける。さほど冷たくはないが、風が入ってきた。真冬の刺すような冷たさではなく、春を呼ぶ少し穏やかな風だ。
午後の日射しは暖かく、この分であれば桜の開花も早まるかもしれないと、そんなことを思う。
「あ、俺のコートも……」
アーチャーが士郎のコートを持っていたことに気づいて手を出せば、
「さすがに気づいたか。その薄着のままで行こうとしたら、どうしてやろうかと思ったのだが……」
「いや、普通に渡してくれれば、いいんじゃないですかね?」
軽口を叩きつつ、手渡されたダッフルコートを羽織り、ボストンバッグを肩に掛けた。先ほど厭味を言ったアーチャーも薄着ではないか、と指摘しようとすれば、アーチャーは自身のコートを羽織っている。
黒い立襟のトレンチコートはアーチャーにとても似合っていた。
(上背があるからなぁ……)
自分にはないもの持つアーチャーを、やや恨めしく思いながら見上げる。
(やっぱ、似合うな)
少々、自画自賛気味だなと思いつつ、士郎はそのコートを選んだことにだけは胸を張りたい。
昨年末、冬が本番となっているというのに、いつまででも、どこに行くにも黒のシャツとスラックスという服装でいるアーチャーに、見ていて寒くなるからと、士郎はそのコートを贈った。まさか着てくれるとは思っていなかったが、今となっては渡して良かったと思う。
本当は、クリスマスプレゼントにしようと思って購入していたのだが、クリスマス当日になって、はたと我に返り、浮かれた世間に流されて、何をクリスマスプレゼントなど用意しているのかと自己嫌悪に陥り……、返品することにした。
だが、クリスマスが過ぎ、大掃除を終え、年が変わるまでには返品に行こうと思っていたが、なかなか購入した店に行けず、そのコートを着たアーチャーの姿を想像するに、絶対似合う、と諦めがつかない。
結局、大晦日にリボンを外し、包装だけにしてアーチャーに渡した。
これはなんだ、と訊かれる前に逃げたので、その包みをアーチャーがどうしたのか、その時に知ることはできなかった。
開けられもせず、どこかに放置されているだろうという予想がつき、高校生にとっては、そこそこ高価な買い物だったので、勿体ない、返品すればよかった、と士郎は後悔を滲ませていた。が、年が明け、皆で初詣に出かけるという話になり、そのときにアーチャーはそのコートを着て現れた。
驚いたのは言うまでもなく、着てくれたのか、と思いはすれど言い出せず、けれども、実際、コートに袖を通したアーチャーは、士郎の想像以上に似合っていて格好が良かった。その日の士郎は、始終ぼーっとして呆けたままだった。
数日後、アーチャーに、このコートはどうしたのか、と問い質され、寒そうだったからと士郎は無難な答えを返した。
しかし、アーチャーは納得せず、高校生に出せる限度を超えた金額ではないかと問い詰められても、本当に寒そうで、見ているこっちが風邪をひきそうだったから、と答えている。
本当のことなど言えず、言ったところで気色が悪いと言われるかもしれないし、見返りはなんだ、と問われるかもしれない。
見返りなど求めてはいない。それに、気色が悪いなどと思われるのもいい気はしない。アーチャーは納得したのか諦めたのか、それ以上、士郎を問い詰めず、遠慮なく使わせてもらうと言っていた。
アーチャーの詰問から解放されてほっとしたものの、士郎は胸苦しさに息が詰まってしまった。やはり、返品すればよかったと後悔したが、アーチャーが出かけるときに必ずそのコートを身に着けるのを見ていれば、少しずつ、その後悔は和らいでいった。
(気を遣わせたな……)
そのコートをアーチャーが着るのは、気に入ったというわけではなく、単なる気遣いであることはわかっている。したがって、どうしようもなく後悔だけが士郎の頭から消えてはくれない。
どんなに、似合うなぁ、とうれしく思っても、アーチャーが好んで着用していないのならば、士郎の後悔は根を張って頑強に胸の内に根付くばかりだ。
「士郎?」
「あ、うん、行こう」
名を呼ばれることにも慣れた。はじめのうちは驚きとむず痒さで、すぐに顔を逸らしていたが、今は、顔を見て返答するくらいはできている。
「名残惜しいか?」
「そういうんじゃないけど……」
並んで歩き出せば、いまだに見上げなければならない表情の薄い横顔が、微かに笑っているように見える。
「不安か?」
「まあ、それなりに」
他愛のない会話ができるようになったのはいつ頃だったろう、と士郎は首を捻る。
(夏休みが終わる前くらい、からかな……)
聖杯戦争が終わり、アーチャーとは、鍛錬や魔術のこと以外で話すことがなくなっていた。家事をするにも無言であれば、何かと不具合が出そうだというのに、エミヤシロウ同士であれば、そこがうまくいってしまう。
言葉などなくても、何もかもが済んでしまうのが、士郎とアーチャーだった。そういう関係性に変化が訪れたのは、夏休みの頃からだろう。
アーチャーを師として鍛錬を積んでいた士郎だが、魔術に関しては凛にも師事していたために、凛とセイバーは頻繁に衛宮邸を訪れていた。四人で過ごす日が多く、そこに大河や後輩の桜が時折加わることもある。
アーチャーは彼女たちをもてなし、彼女たちもアーチャーのもてなしを楽しみ……、それを少し離れて眺めているのが、士郎は好きだった。