BUDDY 3
その輪に入れなくても、アーチャーが誰かを殺しているのではなく、誰かをもてなして喜ばせていることが、士郎にとってはうれしいことだ。夢で見るアーチャーの守護者としてのあり方を思えば、ずっとここでそうしていてもらいたいと思ってしまう。
そうして士郎は、アーチャーを含めた居間の和やかな輪から離れる。アーチャーには楽しんでいてもらいたい。そう思うのであれば、士郎がそこに居るわけにはいかないのだ。アーチャーが己に対して嫌悪感を抱いていることを知っている。鍛錬で面突き合わせなければならないというのに、それ以外の場では極力関わりたくないだろう。
したがって、士郎はアーチャーとの間に一線を引いた。供給と鍛錬中は別として、アーチャーには極力近づかず、必要最低限の会話で済ませると決めたのだ。
はじめはうまくいっていたと、今でも士郎は思っている。だが、日を追うごとに勘づかれ、夏休みに入る頃には、アーチャーに問い質されることにもなった。
“どうして、私を無視しているのか?”
そう訊かれたときには、なんと答えればいいか、言葉に窮した。
無視などしていない。鍛錬の間は話をしている。訊かれたことには答えているし、疑問に思うことも訊ねている。
ただ、居間での団欒では、自分が居ては楽しめないだろう、とアーチャーから離れていただけだ。だが、日々のその積み重ねが、アーチャーには無視されていると思える状態だったのだろう。
何がどうなってアーチャーがそんな考えに至ったのかはわからない。アーチャーと無駄な会話はしていないが、鍛錬や食事の準備のときは、それなりに話すこともあった。無視しているなど、思いもよらない話だ。
そんなことはしていない、と返したものの、アーチャーは納得した様子ではない。打開策を見つけられないままで夏休みに入り、そのすぐ後に、士郎は無理をして軽い熱中症になり、アーチャーの意見や忠告を、ようやく素直に聞くことにした。
それから少しずつではあるが、アーチャーと向き合うことをいつも念頭に置いて過ごした。そうすれば、モヤモヤすることも胸苦しいと思うことも軽減されて、存外アーチャーとの距離も縮まった気がするものだから、ずいぶんと自分自身が単純な奴だと、おかしく思った。
アーチャーが自分に歩み寄ろうとしていると気づいたのもその頃だ。ならば、自分も歩み寄ろうと決め、アーチャーがエミヤシロウであることも、サーヴァントであることも念頭から外し、師であり、親類や友人と同じだと士郎は思うことにしたのだ。
急に態度を変えることはできなかったが、少しずつ、士郎は自分の思うことを口にし、アーチャーの意見を求め、互いに理解し合うことに努めた。
今、ロンドンへ向かう士郎には、前だけしか見えてはいない。アーチャーを導くために、その小さな一歩を踏み出したばかりだ。
(アーチャーを導く……、今度は俺が)
橙に染まりはじめた春の空は霞んでいて、いまだはっきりとしたビジョンの見えない士郎の行く末のようで、どうしようもなく苦笑いが漏れてしまった。
***
ロンドン行きの旅客機内は消灯され、ほとんどの乗客は眠っている。アーチャーにとって、エコノミークラスの座席は少々窮屈ではあったが、眠る必要もないために、少し背もたれを倒す程度でも我慢がきく。
「アーチャー?」
もぞり、と蠢く毛布は、隣の座席で眠る士郎だ。毛布を下げてこちらを見上げている。
最後方の座席は後ろを気にすることなく背もたれを倒せるが、思い切り背もたれを倒していても、士郎は寝心地悪そうに寝返りを繰り返していた。
「眠れないのか?」
「んー、まあ……。アーチャーもだろ?」
「私は眠らなくてもいいが、お前はそういうわけにはいかない。無理にでも寝ておけ」
「わかってるけどさ……」
「まあ、どのみち時差ボケで使い物にならないだろうがな」
「一言多いっての……」
士郎は毛布を鼻先まで引き上げ、アーチャーに背を向けるように寝返った。毛布がずれて背中が見えてしまっている。それを直してやれば、ありがとう、と小さな声が聞こえた。
少し前にもアーチャーは同じ言葉を聞いている。搭乗直後、手荷物とコートを頭上の荷物棚に収納するときに士郎が言った言葉。
“そのコート、着てくれてるんだな。ありがとう”
アーチャーの頭の中には疑問符がいくつも浮かんでいた。今頃になって、なんだ? と首を捻る。コートを貰ったのは昨年末だ。三か月近く経った今になって、どうして感謝などするのか、と。
(いや、そもそも……)
士郎がコートを渡してきたことからして疑問だった。きちんと包装されていたことから、購入したことは間違いない。いくらバイトをしていても、高校生には少々値が張りそうなものだった。そんなものをサーヴァントに与えるという士郎の考えがよくわからない。
(まったく……)
問い詰めはしたが、似合いそうだったから、などというあやふやな答えが返ってきただけで、士郎が何を思ってあのコートをアーチャーに買い与えたのかという疑問ばかりが残っている。
「…………」
荷物棚をじっと眺めたところで答えがわかるわけではない。
(訊いたところで、正直に話しはしなかった……)
ちらり、と隣を見遣れば、眠れないと言っていた士郎は寝息を立てていた。
少し成長したかと思えば、鼻で笑いたくなるような幼さを見せる。この先をこいつに託してよかったものか、と時折アーチャーは疑問に思う。
(だが、まあ……、見てみたいという好奇心はくすぐられる……)
士郎に言えば、興味本位なのかと拗ねそうだが、守護者としての責務を秤にかけても重きを置いている。それはアーチャーにとっては、考えられないことなのだ。士郎には理解できないかもしれないが、守護者であることは、自ら嵌めた枷のようなもの。それをかなぐり捨てるという選択をさせた士郎は、何を置いても唯一の存在といえる。
かつて、座へと還る間際に、凛からもう一度契約を、と誘われたことがある。それをアーチャーは理由がないから、とあっさり断った。凛はアーチャーにとってかけがえのない存在であることは自分でも認めている。その彼女の誘いすら断ったというのに、士郎の提案に乗り、聖杯戦争が終わった今、ここに残る真っ当な理由がない状況で現界しているのだ。
(理由は、あるにはある)
言い訳がましく思いながら、アーチャーはここに在る意味を、士郎と契約を続ける意義を、士郎に任せている。
士郎がいいと言うまで、もう満足だと言うまで、アーチャーから契約を破棄するつもりはなかった。
***
あれから何年経っただろう……。
聖杯戦争を生き延び、ロンドンに留学し、アーチャーとともに旅に出て……。
あと数年で三十路だなぁと、それなりに熟練した魔術と下降気味の体力に苦笑いを浮かべている。
「あれから、十年くらいになるのか」
長い付き合いだ。アーチャーとも、この想いとも。
アーチャーを師と仰ぎ、ともに過ごすうちに、ある感情が芽生えていることには薄々勘づいていた。
その感情を認めるのにはずいぶん時間がかかったのに、諦めるのにはそれほど時はかからない。
俺は、好きになってしまったんだ。