BUDDY 4
アーチャーには抱き寄せることしかできない。何も言葉が浮かばない。
士郎は笑う。
琥珀色の瞳に己を映して。
「ア……チャー……、あ…………ぃ………………………………ぁり、が、っと……ぅ…………」
強く抱きしめて、その温もりと存在を、アーチャーはずっと感じていたかった。
***
ああ、なんてこった……。
こんなところで、終わるだなんて。
痛みは感じられないけれど、身体中が痺れて動かない。
アーチャーが抱き留めてくれたことだけが救いだ。
「ぁ、…………ちゃ……」
どうにか声を絞った。
「士郎、士郎っ!」
必死に俺を呼んでくれる。こんなことになって悪かったよ。
どうにか、ごめん、って謝ることはできた。
「あ…………ぃ……………………」
愛してるよって、伝えたい。
最期なんだから、言っておきたい。
アーチャーはどう思うだろう?
気持ち悪い奴だと思うだろうな。
俺を思い出すのに嫌悪感が伴うのか……。
それはそれで、いいかも。
すんなり忘れられるんじゃなくて、アーチャーの心に嫌悪感として俺が残る。そういう感情をずっと俺に向けていてくれる。
それなら…………、うれしい。
少しくらい、アーチャーの心に引っ掻き傷を残してもいいんじゃないかな?
いや、だけど……。
必死に俺の名を呼んでくれるアーチャーの顔に、後悔が滲んでいる。
(ああ、ダメだなぁ……)
俺がアーチャーに傷を残すなんて、絶対にやったらダメだ。
「ぁ、りが、…………と……………………ぅ……」
愛の告白はやめた。
やっぱり気持ち悪いだろうし。
だから、感謝にすり替える。
感謝はしてもしきれないから、たくさん言っておきたい。
今まで俺を導いてくれて、今まで俺を守ってくれて、今まで俺と居てくれて……、数え出したらきりがないんだ。だから、感謝の言葉だけは、きちんと伝えておこうと思う。
それで、この想いだけど…………。
これは、渡さないままで持っていくよ。
どうしようもないもんな。
アーチャーだって困るだろう。死に際に告白なんかされてもさ。
このまま……、アーチャーに気づかせないまま、気持ちにそっと蓋をして、俺と一緒に消すんだ。
「士郎!」
笑えただろうか……?
もう、アーチャーの顔が見えない。俺を呼んでくれるアーチャーの声が遠くなっていく。
できることなら、もっと…………、一緒に、いたかったな…………。
***
「はっ!」
目を開いた。
(夢、だったのか?)
どこからが現実で、どこまでが夢で……? と思いつつ、夢というのはおかしな話だと気づく。アーチャーはすでに人ではなく、英霊という存在。そして、ここは、その座と呼ばれる場所。
士郎とともに聖杯戦争をどうにか凌ぎ切り、その後は士郎を真っ当な道へと導くべく、二人で過ごして、二人で生きて……。
「ああ……」
ついさっきまでこの腕の中にいた存在が失くなっていることに、何やらわからないものが押し寄せてきた。
(これは、虚無感というものだろうか?)
失ってはいけない命をとりこぼした、そう思う。
「……守れなかった…………のか…………」
自身への怒りと憤りがふつふつとこみ上げてくる。
士郎を守れなかった。
士郎と生きる日々を、失ってしまった……。たった数刻、傍を離れたために。
「守りたかった、のに……」
苦しくて息が詰まる。
「これからオレは、また、」
拳を握りしめ、どうしようもなく震えてしまうのを抑えようとした。
これからの永遠を、その真っ暗な行き先を、アーチャーはまた独りで歩み続けるしかない。
「士郎……」
呼び声は、荒んだ風がかき消していく。
まだ耳に残っている。
最期に聞こえた声が。
士郎の言葉が。
“ありがとう”と……。
片手で目元を覆い、項垂れる。
謝罪の後の感謝の言葉。
必死に言葉を紡ぐ士郎に、アーチャーは何も応えられなかった。
士郎が絞り出した最期の言葉に、アーチャーは、ただ、その命が消えていくことに動揺して、どうすることもできない自分自身に絶望して、結局、士郎を見送ることしかできなかった。
手を下ろして息を吐く。掌が濡れていた。
水滴が落ちてくる。いくつも、いくつも、雨のように、掌に。
ここに雨など降らない。ならば、これは――――。
「どうして……」
涸れてしまった涙。
こんな苦い水滴をどうして今さら流すのか……。
アーチャーは笑い出す。
ただ、愚かな自分がおかしくて、涙を落として嗤っていた。
どのくらいそうしていたのか、アーチャーには判然としない。
英霊の座で時間の経過を考えるのは無駄でしかない。
長かったのか短かったのか、わかりはしないが、とりあえずは、流した涙が止まっている。そのくらいの時は経ったのだろう。
ふと、耳が音を拾ったような気がした。項垂れていた頭を上げる。
(空耳か……)
耳にまで支障を来たしたのだろうか、とアーチャーは苦笑いをこぼす。
「――――、――――ャー――」
「!」
呼び声だ。今度は、はっきりと何かの声だとわかる。
周囲に目を配りながら立ち上がった。
(この、声は……)
やけに鼓動が速くなる。
なぜか緊張している。
辺りを見渡し、砂埃に目を凝らす。
また声が聞こえる。
やっとその方向を捉え、目を向けると影が見えた。
「士…………ろ……う……?」
驚きが隠せず、半信半疑のまま呼んでみた。
これはどうしようもない己の夢なのかもしれないと、アーチャーは子供のように頬を抓ろうとしたが、英霊の座で夢などありえない。
小さな影であったものが、次第に人の形をとっていく。
なぜか、うれしさなどというものがこみ上げた。
アーチャーの足が勝手に動く。アーチャーを呼ぶ、その影に向かって駆け出していた。
「士郎っ!」
なだらかな丘を駆け下りるアーチャーに気づいたのか、人影もこちらへ真っ直ぐに駆けてくる。
近くなる影。
赤銅色の髪が揺れている。
琥珀色の瞳がアーチャーを映している。
翳りのない、理想を追い続けた、あの瞳が……。
「アーチャー!」
伸ばした手が届くところまで駆けてきた士郎を、有無を言わさず抱きしめた。
「わ! ちょっ……、なにす、っ、ぅ、ま、待てって、こ、こら、苦し、」
もがく士郎などおかましなしで、アーチャーは思いきり力を籠めてしまっている。なんならこのまま絞め殺してしまうほどに。
「お、おい! アーチャー、苦しい!」
背中を叩かれ、はっとしたアーチャーは、自分が何をしているのかをようやく認識したようで、抱きしめていた士郎を思い切り突き飛ばした。
「おわぁ!」
当然、反動で後ろへ倒れ、士郎は尻もちをついている。
「いってぇ……」
むす、として睨み上げてくる士郎に、さすがにバツが悪く、アーチャーは手を差し伸べた。
「すまない」
「なんなんだよ、もう……」
踏んだり蹴ったりだ、と不貞腐れている士郎は、アーチャーの手を素直に取って立ち上がる。高校生の頃は差し出された手を弾き返していた士郎だが、いつの頃からか、アーチャーの手を素直に取るようになっていた。