BUDDY 4
振り返れば、少し離れてトボトボとついてくる士郎が、ずるずると黒い帯を引きずっている。
(何やら、“あれ”のようだな……)
三度目の聖杯戦争のときに遭遇した、サーヴァントを飲み込んでいた、おぞましい姿のモノ。今、士郎が引きずっている帯はあの黒いもののようにも見える。あんなに禍々しくはないが、それを彷彿とさせて、あまり見ていたくはない。
「とりあえず、先ほどの金具を触ってみればいいのではないのか?」
「え?」
何を言われたのか理解していない顔で、アーチャーを見上げた士郎は瞬いている。
「もう一度、金具を触ってみたらどうだ。裸足ではさすがに痛いだろうが」
「ぁ……、う、うん」
自身の足を見下ろした士郎は、外套の中で手を動かし、いろいろと試しているようだ。待つこともないだろうと、アーチャーは先に歩き出す。
「あ…………」
士郎の声が聞こえたが、振り向くこともない。元に戻ったのであれば、報告などもいらず、どうにか直視に耐える程度にはなるだろう、と思うだけだ。
一足先に台座のような岩の前に戻ってきたアーチャーは、これからどうするか、と腕を組んで考えはじめた。
何をするわけでもなく、ここで召喚を待つだけの存在である。生前のように飯を食わなければならないわけでもない。
「ならば、何をすれば……?」
考えたところで何も浮かばない。
「おい、これからどうす…………、士郎?」
すぐ後ろにいた士郎を振り向いたが、そこには誰もいない。視野を広げれば、先ほどとたいして変わらない場所にいることに首を捻った。
「何をしているのか、アレは……」
呆れながら、アーチャーは士郎の方へとまた歩く。足音が聞こえたのか、顔を上げた士郎は少し驚いた顔をしていた。その足元を見れば、黒い帯が足を覆っており、垂れ下がってはいない。
「戻ったのか」
「うん、戻った」
「仕組みはわかったか?」
「ああ、うん。単純に、あの金具、押したり引いたりで、着脱するみたいだ」
覇気のない声でそう答えた士郎は、視線を落とす。
「ならば、なぜ突っ立ったままでいる」
「…………この辺なら、いいかなって」
「何がだ?」
「アーチャーが、あそこにいるんなら、俺はこの辺で――」
「意味がわからんが?」
「邪魔しちゃ、悪いし」
「なんのだ」
「なんのって……、そりゃ、ココ、アンタの座だろ? ってことは、アンタの家っていうか、アンタのテリトリーだろ。そんなところにノコノコやってきた俺は、邪魔でしかないじゃないか」
淡々と吐き出されるその理由のようなものを聞き、アーチャーの眉間には深い深いシワが刻まれていく。
「ああ、えっと、姿が見えない方がいいっていうなら、もっと――」
「誰が邪魔だと言った!」
「へ?」
士郎が羽織っている外套の胸元を鷲掴み、ぐいぐい引っ張るアーチャーは、ズンズン歩く。
「あ、あの、アーチャー?」
「まったく、お前は……、いったい何をごちゃごちゃと」
苛立たしげに独り言ち、アーチャーは台座のあたりに士郎を放り投げた。当然、士郎は投げ飛ばされたと同じ状態で、乾いた土の上に倒れ込む。
「ってぇ…………」
「何をしおらしくしている!」
「だ、だって、」
「言い訳するな!」
「い、言い訳じゃなくて、」
「お前が私の座に来たから、なんだというのだ! お前とて衛宮士郎だろうが! エミヤの座にお前が来たことの、何が問題だ!」
「え? い、いや、問題だらけで――」
「やかましい! こうなってしまったのならば、仕方がないと腹を括れ!」
「は?」
「私とて、お前を導いたというのに、結局、英霊の座に来てしまうような結末を迎えさせ、反省することしきりだ! だが、英霊エミヤが二体になったということは、守護者が増えたということになるのだろう! 契約主の世界にとっては万々歳。少々苛立ちを覚えるがな!」
「う、えっと……」
「したがって、お前はここで、守護者の胸糞悪さを味わえばいい」
ニタリ、と口角を上げたアーチャーを、士郎は青くなって見上げていた。
***
「なんで、こんなことに……」
突き立つ剣を指先でつつき、士郎はため息をこぼす。
こんなはずではなかった。
こんなことを望んだわけではなかった。
「はあ……」
しゃがみこんだ膝に頬杖をつき、己を映す剣を眺める。
(俺が最期に願ったから、なのか…………?)
――――もう少し一緒にいたかった。
命が消える瞬間に、そんなことを思っていたと覚えている。
「俺が願ったところで……」
こんなことが叶えられても仕方がない。アーチャーの座にいきなり放り出されるなど、そんな予定はなかった。
(いや、予定とかそんな、死後のことなんか、わかりっこないんだけど……)
はあ……、と、また大きなため息をこぼす。
「確かにさぁ、喧嘩したままみたいになったから、ちゃんと謝りたかったし、いきなり契約を終わりにしようとか言ったことも反省してるって言わないとダメだと思ったし……」
だからといって、だ。
「こんなの、無茶苦茶だろう……」
本当に神様というものがいるのなら、自分の願いは真っ当に叶えられていない、と文句を言いたい。
「あのときだってさぁ……」
聖杯戦争のはじまった夜、赤い槍で胸を貫いた男に、二度殺されかけたのだ。あれだって文句を言ってもいいはずだ、と士郎はむかっ腹が立つ。その上に、こんな仕打ち……、と、さらに頭に血がのぼりそうになってしまう。
「おい」
じゃり、という足音とともに、背後に立った者を振り仰ぐ。
「いつまでそうしているつもりだ」
腕を組んだアーチャーがこちらを見下ろしている。眉間に深いシワが刻まれていて、どう見ても不機嫌そうだ。
「…………べつに、やることもないんだし、いいじゃ――」
「来い」
「へ?」
腕を掴まれたと思えば引っ張られ、そのまま引っ立てられるようにアーチャーに連れて行かれる。
この座――――英霊エミヤの座には地面に突き立つ剣しかない。何かしらの建物があるわけでもなく、吹きっ晒しの荒野には、風に砂塵が舞っているだけだ。
アーチャーと二人、何をするでもないというのに近くにいるのがいたたまれなくて、アーチャーが常にいる台座のような岩のある場所に連れて行かれたものの、その後は、剣を眺めたりしながら少しずつ距離をとって、所在なくウロウロしていた。
「ど、どこに、」
何をしていたわけでもないため、連行されても断る理由もなく、文句も言えず、アーチャーには従うしかない。
「話をしようじゃないか、マスター」
「い、いや、俺はもう、マスターとかじゃ、」
「いきなり解雇通告をされ、私は納得したわけではないぞ」
「解雇って、そんなんじゃ、」
「では、どういうことだ?」
くるり、と振り返ったアーチャーは鋭い視線を士郎に向けている。怒鳴りはしないが、明らかに腹を立てている様子である。
「どういうって……」
答えることなどできない。それは、墓場まで持っていくと決めたことだ。アーチャーには、絶対に話さないと決めて生きてきたのだ。苦しくても、哀しくても。