BUDDY 4
一度あの台座に戻って休憩を挟もうと思い立ち、士郎はなだらかな丘の頂を見上げる。
遠く感じた。
これからあそこまで歩くのか、しかも登り坂を……。
「アーチャーが、いるかもしれないし……」
確率の低い予想を口にして、士郎は足を踏み出した。
やっとのことで戻ってきた台座の岩に倒れ込み、目に見える範囲を探してみる。
やはり、アーチャーの姿はない。
(どこに……? いや、もしかして!)
横になっていた身体をがばっと起こし、士郎は青くなった。
「まさか、消えたのか? 俺がここに来たから……? 俺の代わりに、アーチャーが、消えてしまったって、ことなのか?」
英霊の座に二人は要らない。ここは英霊エミヤの座だが、士郎とて衛宮だ。この座に相応しいかどうかは別として、ここに居座る権利を持っている。
「い、いや、でも、俺は守護者になんて……」
なれるはずがない。それだけはわかる。守護者は、やはりアーチャーだ。理想を追い続けたアーチャーでなければならないのだ。
だというのに、士郎がここに来てしまったために、アーチャーがこの座から弾き出されてしまったのかもしれない。
「そんな…………っ」
岩についた手を握りしめる。
そんな理不尽な話はおかしい。今までアーチャーが必死に全うしてきた守護者という存在を、そんなにあっさりとすげ替えるなど許されない。
「そんなのって、……ないだろっ!」
アーチャーがどんな想いで守護者を続けていたかを士郎は知っている。夢で見るアーチャーは、いつも苦しんでいた。
殺したくもない人間を殺し、救いたいと願う人々を救えず、契約主である世界に血反吐を吐き捨てながら、長い時間続けてきた宿命。
「それを、こんなっ……」
ポタポタと岩に染みがついた。士郎がこぼした涙は、すぐに風に吹かれて乾いていく。
「ぅ、っ、アーチャー……」
しゃくり上げながら、何度も呼んだ。ただ返事が欲しくて。
いつもみたいに厭味をこぼしてほしい。
未熟者だと呆れかえってほしい。
そして“士郎”と呼んでほしい。
何も応えてくれなくていい。
ただ“士郎”と呼んでくれるなら。
己の気持ちになど目もくれなくていい。
いつも“士郎”と呼んでくれるから……。
「アーチャー……」
声が虚しく風にかき消されていく。
風がこぼれ落ちた雫を攫っていった。
***
久方ぶりの守護者の仕事は、相変わらず胸糞の悪いものでしかない。意味も理由も知ることなく殺し尽くして、私は座に戻る。
なんら痛みはない。傷を負ったところで魔力が勝手に傷を治していく。たいして労力も要らないが、疲弊感は酷いものだ。
疲弊するのは身体ではなく心。
あるかないかも不確かな心だ。
そういえば、アレは何をしているだろう。独り荒野で、今も剣を眺めているのだろうか。
不意に重力を感じ、地に足がつく。途端、どっ、と胸元に衝撃を受け、後ろへ倒れた。
「っつ…………」
座に戻ることなく次の召喚かと思ったが、視界にあるのは血気に咽ぶ空と巨大な歯車。間違いなく私の座だ。
であれば、私は何に“ぶつかられ”たのか。
しこたま打ち付けた後頭部をさすりながら頭を起こし、胸元に圧し掛かる物体を見る。
赤銅色の塊。
(これは……)
言わずと知れた、少し前に私の座で居候することになった……、アレだ。
「アーチャー! ど、どこ行ってっ、きゅ、急に、い、いなくなって、き、消えたのかと思っ……っ…………」
あとは言葉にならない。えぐ、えぐっ、と私の身の上で座り込んで小学生のように泣く者を見上げ、大きくため息をこぼす。
「仕事だ、たわけ」
「しご、と?」
ひくひく、としゃくり上げ、そいつは身体を起こした私を見上げている。
「守護者として召喚されていた。……声をかけ損ねた」
時間が足りなかったのもあるが、べつにいいか、と思って声はかけなかったのだが、過失だったと言っておく。
「で、でもっ、ど、どこにも、ず、っと、みあたら……っ、なくて、」
混乱気味に士郎は私がいなかった状況を説明している。
「当たり前だ。召喚されているのだ、ここにいるわけがない」
「…………そ……っか…………」
ようやく納得したのか、士郎は口ごもった。
「いい加減、退いてもらえないものかな、マスター」
「え?」
揶揄を含めて“マスター”と呼んだが、ぽかん、と私を見上げた士郎は何を言われているのか分からない様子だ。
「重いというわけではないが、身動きが取れないのだが?」
私が指し示せば、
「うわっ! ご、ごめん!」
士郎は私の脚の上から飛び退く。立ち上がれば、もう一度、士郎は頭を下げて謝り、私から離れていく。
「おい?」
振り返りもしない士郎は、なぜだか酷く傷ついているように見える。いや、傷つけたような気がするのだ。
「士郎?」
今度は名を呼んだが、足を止める様子がない。何やら腹立たしくなり、大股で追いつき、肩を掴んで振り返らせる。
「私が守護者であることなど知っているだろう! 私は私のやるべきことをしたまでだ! お前にとやかく……」
「う、うん、ごめん、びっくり、したんだ……、姿が、見えなくて……」
「おい……、様子がおかしい。どうした? 何かあったのか?」
座にいるだけだというのに、何者かが襲ってくるはずもない。だが、訊かずにはいられない。どうにも憔悴しきっているように見えるのだ。
「え……? うん、そ、そうか、な……?」
私を見上げているはずだというのに焦点が合っていない。声にハリがなく、身体もフラフラと揺れている。
「おい、何が、いや、今の状況を話せ」
「い……ま?」
答える間に士郎の脚は力を失い、膝をついてしまった。
「いったい、なんだ!」
膝をつき、ぐったりとしてしまった士郎の頬を叩く。
「めまい……する…………」
貧血のような症状かと思われる。それに、身体に力が入っていない。サーヴァントのような存在が体調不良などに陥るはずはない。身体が動かなくなる理由で、一つ考えられるとすれば、魔力不足。
何か原因があるのかと、士郎の身体を確認して、露出した足の裏に滲む血を発見した。おそらく、乾いた地面を歩き回ったためだと思われる。しかも、長い間……。
「探した……というのか? 私を……」
この、剣が立ち並ぶだけの荒野を、私の姿が見えなくなったからと探し回っていたというのだろうか。
「馬鹿な…………、少し考えれば、わかり、そうな……」
わかるわけがない。士郎は訳もわからず私の座に転がり込んできただけだ。どんな理由かも、何か意味があるのかも判然としないまま独りになっては、不安で仕方がなかっただろう。だから、私の姿を発見して飛びついてきたのだ。
「しかし、魔力不足というのは、いったい……?」
どういうことなのだろうか。
英霊の座にあるのならば、魔力が必要になることもない。この座も私自身を含めて英霊エミヤという存在であるのだ。守護者でもあり、魔力が不足する事態などありえない。
「もしや、異物、だからか……?」
士郎は、私ではない。同じ派生ではあったが別の道を歩んだ。であれば、突然ここに放り込まれた、異物そのもの。