BUDDY 5
だが、夜毎の魔力供給で同じ布団に入り、身体を触れ合わせて眠るうち、士郎は夢を見るようになった。
アーチャーの記録である夢を。
アーチャーの歩んだ険しい道、士郎の理想を具現化していくアーチャーの姿、英霊となって経験した三度の聖杯戦争。
同じエミヤシロウというモノでありながら、あまりにもアーチャーが、士郎とはかけ離れた存在であるということを思い知らされる夢だった。
何もできない己の不甲斐なさ、現界に足る魔力すら満足に与えられない悔しさ、アーチャーに思う存分戦わせてやれない悩ましさ。
理想と現実のギャップに苦しむ士郎にアーチャーは根気強く付き合い、導いてくれていた。
その誠実さが、意外であった。
アーチャーに嫌悪されているとわかっている。絶対に士郎は受け入れられないと思っていた。
しかし、アーチャーは、鍛錬に励む士郎に対し、“お前ならば必ずできる”と全幅の信頼を向けてくれる。思ってもいなかった事態に士郎は戸惑いながら、嫌悪感を押しやり、自身も信頼と努力で返そうと決めたのだ。
日々鍛錬に明け暮れるうち、アーチャーの投影魔術、努力を積み重ねた体術、理想の果てにまで到達した強い意志、どれもこれも、アーチャーのすべてが士郎の胸を揺さぶった。
“こんな存在《ヤツ》がいるのか”と羨望し、士郎が憧れを抱かないわけがない。
時々誤作動を起こしたように速くなる鼓動は、士郎を困惑させ、一時は本気で心臓病を疑ったりした。
今となっては苦笑いしか出ないが、当時は真剣そのものだった。ようやく病気ではないと気づき、“ならば、これは、なんだ?”と士郎は内面へ目を向けることになる。
人が誰かに憧れることは、決して珍しいことではない。
アーチャーを見て動悸がおかしくなるのは、ただ単にアーチャーが士郎の理想であるからだと思うようになった。
しかし、また新たな感情が士郎を襲うことになる。
今度は嫌な感情だった。いわゆる負の感情というやつだ。アーチャーが気遣う女性陣へのくだらない嫉妬。
そんなものが胸の内に燻った。
嫉妬という感情は、一度芽生えてしまうと、精神が蝕まれるように感じるものなのだと知った。
ここまできて士郎は、ようやくアーチャーに対する好意に気づきはじめた。
もしかしたら……、いやまさか……、そんなはずはない……。
何度も否定し、絶対に違うと無理やりに思い、士郎は結論を出すことから逃げていた。
ロンドンでの凛とセイバーとアーチャーとの生活は、確かに充実していたし、楽しくもあった。が、士郎の心中は穏やかではない。ちょうどそういう状態だった。
情緒不安定とまではいかないものの、時折、ふらり、と一人で出かけ、ロンドンの街を当てもなく歩き回った。夜通し歩き続け、朝方に帰宅した士郎を、デートだったのかと揶揄する凛に、曖昧に笑って返していたのもその頃。士郎の人生の中で最も内面的に不安定な時期だったのは言うまでもない。そして、身体面と魔術面で成長したことが、さらに追い討ちをかけた。
精神的に覚束なくても魔術は反比例するように上達し、また魔力は増量していく。二日置き程度であった接触供給の必要がなくなったことが士郎を追い込んだのも事実だろう。
当時、表情を失うことが多くなった士郎を、アーチャーは大人になったからだ、と称している。いろいろと将来のことを考えているのだ、と。
そんなふうに取ってくれるならいい、とアーチャーの誤解をそのままにして、士郎は敢えて何も言うことはなかった。
どうして理想を理想のままにしておけなかったのか。
単純な憧れを抱くだけでは、どうしていけなかったのか。
士郎は何度も自問自答していたが、答えはいつも藪の中。
認めるわけにはいかない感情に苛まれ、なぜだ、どうしてだ、と自身を責めても、なんの解決にもならなかった。
やがて、ロンドンを離れ、紛争地を目指しはじめた士郎は、やっとその気持ちを認めることにした。ずっとどん詰まりであった重い胸の内が、す、と軽くなり、晴れ渡る青い空を見上げれば、久しぶりに清々しい気持ちになった。
(好きなんだな、俺、アーチャーが……)
認めれば、驚くほど涙がこぼれた。
アーチャーに見咎められないよう、一人で泣いた。
そうして、涙が枯れて、諦めた。
何を望むこともできない不毛な想いだ。どこへ進むこともない。何かに発展するわけでもない。
ああ、簡単だったな、と士郎は大きく息を吐いて、アーチャーへの想いに蓋をした。
ロンドンを出てからは、ほとんど日本に帰らず、アーチャーと紛争地を歩いていた。アーチャーに助けられ、時にはアーチャーを助けて……。
そうやってアーチャーと過ごす日々を積み重ねていき、いくつになった頃のことだったろうか、士郎がアーチャーの言葉に絶句したのは。
「また、助けられたな」
そう言ってアーチャーは不機嫌そうな横顔を見せる。
パチパチと木片の爆ぜる音がして、火の粉がフワリと舞っていた。
紛争地から少し外れた荒野の只中での野宿。そんなことが日常になっていた二人きりの夜。
その夜は静かで月がなく、星の瞬きが映える、美しい夜だった。
「俺の方が、数えきれないくらい助けられてる」
携帯カップに入れた熱いコーヒーに、フーフーと息を吹きかけていた士郎は、少し離れて座るアーチャーに、ちらり、と目を向けた。
「まあ、そうなのだが」
不服なのか、とオレンジに染まる横顔を見ていると、ふ、と目尻が下がった。
どきり、と士郎の心臓が大きく跳ねる。
「ようやくか、と思ってな」
「ようやく? 何がだ?」
首を傾げて士郎が訊けば、アーチャーは自身の膝に頬杖をつき、こちらへ顔を向けた。
「相棒《バディ》になったな、と」
「…………」
「持ちつ持たれつ。時には助け、時には助けられ。そういう関係を、相棒《バディ》と呼ぶのだろう? 我々が到達する、あるべき姿だと思うが、お前はどう思う?」
師であったアーチャーに相棒《バディ》だと呼ばれ、うれしいはずだというのに、士郎はまったく喜びを感じていなかった。
「士郎?」
「あ、うん! そ、そうだな」
怪訝そうに呼ばれて、士郎は相槌を打って手に持つカップに視線を落とした。
天空の星が瞬く美しい夜。士郎はアーチャーの相棒《バディ》になった。
望んでいないその称号は、アーチャーによる士郎を冠する言葉となり、生涯士郎に貼り付けられるレッテルとなった。
「そんなの嫌だって、言えなかった……」
何かしらの関係を望んでいたわけではない。アーチャーとどうこうなるなどありえないのだから、アーチャーとの関係の名称など思いつきもしなかった。
だが、アーチャーは士郎を相棒《バディ》という檻に嵌め込んでしまった。そう決まってしまうと、もう他の名称にはなれない。それ以外など認めないと宣言されているのと同じ気がして、士郎はあの夜の衝撃と胸の痛みを、いまだに忘れることがない。
眩暈がして、岩の上に片手をついた。
「アーチャー……、まだかなぁ……」
魔力が少なくなってきているようで、士郎は座っていることもできなくなってきている。
岩の台座に身体を横たえ、霞む視界を見つめてみる。