BUDDY 5
「アー…………チャー……」
呼んだところでアーチャーが帰還するわけではないが、心細さに耐えきれず、士郎は一心にアーチャーを呼んだ。
話さなければならないことがあるのだと、誤魔化さずに伝えなければならない、と。
(それまで、もつかな、俺……)
アーチャーの帰還がまだ遅くなるのならば、士郎は自身の存在を保っていられるかわからない。
この座は英霊エミヤのもので、異物である士郎はこの座にいるから魔力が補えるということではない。士郎はアーチャーから魔力を供給してもらわなければ、存在すら保てない。
このまま消えるか、真実を話して消されるか。
(ああ、どっちも消える運命か……)
何やらおかしくなってきて、くつくつと笑う。
「もう、……どうしようもないな」
***
アーチャーが座に戻ると、士郎は岩の上に横たわっていた。
アーチャーが守護者として召喚される前にいたこの場所に士郎はいつもいる。
動いた様子はない。
最初のときはあちこちアーチャーを探し回ったらしいが、守護者としてアーチャーが召喚されているということがわかった士郎は、この台座のような岩の上から離れなくなったようだ。
「まあ、なんの変哲もない荒野だからな……」
見渡す限り剣が突き立つ荒野には、何があるわけでもない。歩き回るのも魔力を消費するだけだと気づいたのか、士郎はここから動かなくなった。
「いや、私が傍にいて魔力を補給しろと言ったからか……」
士郎をこの岩に縫いとめているのは、アーチャーの言葉だ。それに気づいて、何やらバツが悪い。
「どのくらい、なのだろうか?」
アーチャーが守護者として不在にする期間は、どの程度だと感じているのかを、一度士郎に確認しようと思っているが、いつも聞きそびれていた。
時間的にどうなのかはわからないが、娯楽施設があるわけでもなく、ただここに座っているだけというのは、いくら気の長い者だとしても苦痛なのではないかと思える。
士郎はここで、いつも何をしているのだろうか、と疑問を浮かべつつ、頬に触れる。確認を取るようにしばらく頬を撫で、髪に触れ、何をしても目を開けないことがわかると、士郎を抱えて岩に腰を下ろす。
魔力が相当少ない状態のようだ。
目盛りやゲージがアーチャーの目に見えるわけではないが、士郎の肌が色を失っていることで、そう判断した。
通常、黄白色で張りのある士郎の肌は、魔力が減ると少し青味が増し、蝋かセルロイド製の人形ように無機質に見えてくるのだ。岩の上に転がって、ぴくり、とも動かない姿はマネキンと大差がない。
顎を取り、口を開けさせ、本物の人形のようにされるがままの士郎の口に指を差し込み、舌を抓んで引き出す。それを己の舌で舐り、唾液が喉の奥に届くまで執拗に士郎の口腔内を犯し続ける。
当初、若干の罪悪感があったが、それも回を重ねるごとに薄れていった。今となっては少々アブナイ方向に昂奮していることをアーチャーは自覚している。
だが、それがどうした、これは魔力供給だ、とアーチャーは憚ることもなく言えるだろう。
アーチャーが特殊なのではなく、これは魔術師としての心得だ。
魔術師というものは、接吻や性交が感情抜きで行える特殊な考えの集団である。士郎自身も己がそれに属していることを理解している。したがって、責められることはないという自信がある。
「んぅ……」
士郎に反応が見られ、抓んでいた舌を離した。半覚醒の士郎は意識こそないが、身体が魔力を求めているようで、アーチャーの舌を吸いはじめる。そのうちにアーチャーの首に腕を回し、項を撫で上げ、後ろへ撫でつけたアーチャーの髪を乱しながら、士郎はアーチャーの頭を引き寄せる。
これが無意識なのだから、生前はいったいどういう男女関係を築いていたのやら、とアーチャーは少々心配になってしまった。が、なんにしても、もう生前のことなど関係ない。魔力を補うには好都合だ。
懸命に魔力を得ようとしている士郎に応えつつ、あらぬ方へ甘いため息をこぼすアーチャーは、士郎の背に回した手でさらに腰を引き寄せ、その身体を隙間なく抱き込む。
もう、何度繰り返しただろうか。
まるで、久しぶりの逢瀬を愉しむ恋人同士のような抱擁と口づけ。
魔力供給を言い訳にしたような行為。
誰に見咎められるわけでもないというのに、どうにも後ろめたい。
背徳感を覚えるのは、士郎の姿が出会った頃のものだからなのか……。
薄っすら開いた瞼の隙間から琥珀色が覗いている。アーチャーを見ているのかどうかは定かではない。
潮時か、とアーチャーはいったん口を離した。ついてこようとする士郎の肩を押さえて様子を窺う。
濃厚な口づけをしていたせいか、士郎の唇は赤みを増し、ぽってりとして濡れている。目元も頬も首筋も、それに、黒い帯状の衣服の隙間から見える肌もが色づいていた。
(昂奮しているのか……?)
もしや、と半信半疑で下腹部を確認すると、そこに膨らみは見られない。
ほっとしつつも、何やら残念な気がしてしまい、何を考えているのかと自分自身を叱責する。
少しバツが悪く、士郎を窺えば、いまだ意識がはっきりしておらず、アーチャーに縋りついて、魔力を得ようと手当たり次第に吸い付いている。首筋や喉をちゅうちゅうと吸う士郎に苦笑し、
「そこではない。ほら、ここだ」
アーチャーは、士郎の顎の位置を調整してやり、そのまま顔を近づけると、かぷ、と噛みつくように口を塞いできた。
「クク……」
士郎の必死さが、餌をもらおうとする雛鳥に似ていて、アーチャーは思わず喉の奥で笑ってしまう。
(士郎、お前はどうしてここに来たのだ……?)
まだ鍛錬が足りなかったとか、謝ることができなくて心残りだったとか、本当はそういうことではないだろう、とアーチャーにはなんとなくわかっていた。
(お前はいつも、何を見ていたのか……)
この座に来てからのことではない。生前、士郎は何を思い、何を考え、何に苦しんでいたのか。訊く機会もなく士郎は死を迎えてしまった。
だが、今、士郎はアーチャーの座にいる。訊こうと思えばいつでも訊くことができる。しかし、アーチャーはいまだ訊けずにいるのだ。
どうしても問い詰めるような言い方をしてしまいそうで、まだその時ではない、と適当な理由をつけて先延ばしにしている。
生前も、時々理解に苦しむ言動をすることがあったが、士郎が隠居でもして年老いてからそのときのことを訊けばいいと思っていた。昔話としてなら話しやすいだろうと。だから、いつか士郎を丸ごと理解できるだろう、と……。
そういうつもりでアーチャーは士郎と契約をしていた。三十歳を前にして命を終えるなど、予定外だった。
長い時間を士郎と過ごし、あのときはどうだったのか、あの頃は楽しかったのか、などという思い出話を衛宮邸の縁側ででもできればいいと、アーチャーは淡い夢を見ていた。
それは叶わなくなったが、今、士郎がこの座にいるのだから、いつだって過去であった日々のことを思い出話として語ることができるはずだ。
(だが、そういう雰囲気ではない……)