BUDDY 5
(どうしたものか……)
アーチャーは、これから士郎をどう扱うべきか、と思案をはじめた。
まず、凛が在宅中は、眠るまで屋根や庭木の陰に身を潜めていればいい。当然、不在時は、どこにいてもかまわないだろう。もし急に凛が帰宅するようなことがあれば、一旦、遠坂邸の空き部屋に潜み、それから屋根や庭に出る。
(いや、それも危険か……)
遠坂邸には魔術道具や魔術書が数多くあるため、無闇に触れては何が起こるかわからないものもある。故意ではなくても、潜むのに焦って手を触れてしまった、などという事態になりかねない。したがって、できる限り士郎は家屋の外で身を隠すのがいいだろう。
(それはそうと、別行動はできるのだろうか?)
アーチャーが凛とともに出る場合、士郎がこの邸に残ることができるかは疑問だ。霊体で凛に従っていくのであれば見えないのでかまわないが、実体でとなると、常に士郎が二人についていかなければならない。
(確かめておいて、損はない)
アーチャーは雑巾を置いて、士郎に歩み寄る。
「士郎、少し付き合え」
「え?」
ちりとりと箒を士郎の手から奪って床に起き、ぽかん、としている士郎の腕を掴んだ。
「あの、アーチャー?」
不安げにこちらを見上げる士郎が、ゆらり、と揺らめき、すぅ、と透明になる。霊体となったアーチャーは士郎を連れてそのままガラス窓を通り抜けた。
『ひえぇ!』
物質を通り抜ける経験などしたことのない士郎は怯えた声を上げる。士郎の声は霊体になると、アーチャーの頭に直に響いた。
『情けない声を出すな』
迷惑ぶったアーチャーが笑い含みで注意しつつ、士郎を小脇に抱えて遠坂邸の屋根に跳び上がる。
『ここにいろ』
『で、でも、』
『試してみる』
『へっ?』
士郎が止めようとするのを無視し、アーチャーは遠坂邸の隣家の屋根へと跳び移った。
『ア、アーチャー?』
不安げな声が聞こえたが、それは空気を震わせる音ではなく、アーチャーの頭に直接響く念話だ。
(教えてもいないというのに念話……。いや、普段と変わらず士郎は単に話しているつもりなのだろう。意図したわけではなく、霊体化しているために、念話のようになっているだけか……)
三軒、四軒と家の屋根を跳び、アーチャーは遠坂邸から離れていく。次の家の屋根へと跳び移ろうとしたとき、
『うわあぁぁぁっ!』
士郎の叫びがアーチャーの頭の中に響いた。
『っづ…………、なんだ、いったい』
こめかみを押さえて、キンキンとした頭痛を宥め、改めて隣の家屋へ跳び移る――――、いや、実際には移れなかった。がくん、と脚が何かに拘束されたように動かず、アーチャーは屋根から真っ逆さまに家の間の生垣に落ちた。
『は?』
今までにこんな経験をしたことがない。
少々助走が足りないときでも、“落ちる”などという、鈍臭いことにはなったことがない。
プライドというほどのものがあったわけではないが、サーヴァントとして何やらとても恥ずかしいことになっているのではないか、と額に手を当てた。
『どういうこ――』
『アーチャー、アーチャー! アーチャ…………』
現状を把握しようとしていると、士郎の声が近づいてきて、ばっちり目が合った、……ような気がした。互いに霊体であるために、姿など見えない。
家と家の間の生垣の上に仰向けで道路側を仰け反って見ているアーチャーと、その道路を駆けてきていた士郎は、その場でしばし沈黙した。姿が見えてはいないのに、互いにそこに居るとわかる。少なくともアーチャーには士郎の気配が感じられた。
『限界距離がある、と……』
沈黙を破り、先に口を開いたのはアーチャーだった。やっとのことで、こうなっている原因に辿り着き、
『距離にして五百メートルほど』
そう呟いて、生垣から抜け出る。
『アーチャー?』
確実に見えないが、絶対にそこにいると士郎にもわかっているのだろう、明後日の方向ではなく、アーチャーのいる方へと声をかけてきている。
『あの、アーチャー、怪我、してないのか?』
『問題ない。お前は?』
『うん、平気だ』
『その割には、大声だったが?』
『う……。そ、そりゃ、いきなり屋根から引き摺り落とされれば、叫ぶだろ』
『…………そうか、すまん』
『べつに、霊体だからいろいろ通り抜けるし、怪我もしてない。でも、先に説明してくれればいいじゃないか』
少し拗ねたような口調に、アーチャーは肩を竦める。
『そうだな』
『そうだよ』
別行動ができるかどうかの検証が終わり、遠坂邸のリビングに再び戻ったアーチャーは霊体を解く。
「今後のプランを立てておこう」
「ん。わかった。あ、これ、先に片づけてくる」
床に置いたままだった、ちりとりと箒を手に廊下へ出て行った士郎は、アーチャーが実体化するのと同時に実体となっていた。
「ふむ……。吉と出るか、凶と出るか」
単純に戦力が増えたと考えていいものかどうか、アーチャーは考えてみる。距離は限られているものの、意思疎通が常にできる味方がいれば、挟み撃ちという策も考えることができ、このまま士郎の存在を隠し通すことができるなら不意打ちもできるだろう。
有利に事が運びそうではある。
だが、聖杯戦争は、一筋縄ではいかないものだ。リビングに戻った士郎とは、今後の注意点を夜通し話し合うことになった。
『士郎』
念話で呼びかけると、屋根の上から下りてきた士郎が窓から入ってくる。マスターとサーヴァントが契約によって繋がり、念話が可能になるように、アーチャーと士郎は、霊体になっていない状態であっても念話で意思の疎通ができる。
物理的な距離は五百メートル以上離れることはできないが、その範囲内であれば単独行動もできている。
この世界の衛宮士郎がセイバーを召喚し、聖杯戦争が開始されてから、士郎は監視を兼ねて、一日の大半を外で過ごしていた。霊体でいるときは屋根の上、実体であるときは常緑の庭木に身を潜めて監視と警戒をしている。また、アーチャーが凛とともに出かけるときは霊体でも実体でも、ギリギリのところまで離れ、凛に悟られないように潜んでいた。さいわい、実体になるのは夜間であるために、凛に気づかれることはなかったが。
「どうかしたか?」
少し様子がおかしいように思え、アーチャーは問う。
「あいつが……、近くまで来ていた」
士郎が少し緊張した感じで言う“あいつ”という呼び方と不機嫌な表情だけでわかる。士郎も経験した聖杯戦争に参戦していた英雄王・ギルガメッシュだ。
「やはり、あいつがジョーカーか」
「たぶん……」
警戒するように窓へと向き直り、生成りの外套を揺らして窓辺に立つ士郎に目を向ければ、微かに震えているように見える。気のせいか、と思いつつ近づけば、見間違いではなく、本当に指先が震えていた。
ギルガメッシュとは確かに力量差があった。だが、士郎は尊大な英雄王を、ムカつく、と評したのだ。そんな士郎が、ギルガメッシュを見て恐れを抱くはずがない。怯えているのでも武者震いでもないはず。であれば、これは、おそらく――――、
「寒かったのか?」
「え?」
何を言われたのかわからないのか、士郎はアーチャーを振り仰ぎ、首を傾げている。