BUDDY 5
「冷たくなっている」
そっと耳に触れたアーチャーの手に身を縮こめて、士郎は恐る恐るアーチャーを見上げてきた。
そのまま抱き込めば、冷たい身体が硬直して、まるで氷の彫像のようだ。
「あ、あの、アーチャー?」
「供給だ」
「え? あ……、そ……っ、そっか……」
かちこちに固まっていた士郎の身体が次第に強張りを溶かしていく。それこそ、氷が解けるようにアーチャーの腕の中で身を預けてくる士郎に、魔力供給と言いながらもアーチャーは、少し後ろめたい気がした。
(ただの、供給だ……)
わざわざ心中で言い聞かせなければ、おかしな勘違いを起こしてしまいそうで、アーチャーは心を無にして忘れることにする。
これは供給だと念じ、どうにか平静になってきて、士郎の魔力について考えを巡らせた。
士郎はアーチャーと契約をしているような状態にあるようだが、座にいるときと同様、アーチャーから自然に魔力が流れているわけではない。アーチャーは凛の魔力を受け取り、現界しているが、凛の魔力は、士郎から感じ取ることができない。
ということは、凛の魔力が流れていないことになる。
士郎は、サーヴァント契約のような繋がりとは切り離されている。したがって、自力で魔力を摂取しなければならないはずだ。
だが、魔力を自力でどうにかすることは難しい。魔術師を見つけて魔力を分けてもらう、などという方法しかない。その上、聖杯戦争中にはなおさら難しい話になる。ならば、生前とは逆の立場となって、アーチャーが士郎に魔力を与えればいい。
体液や血液を与えると即効性があり、効果も絶大だが、座で行っていた経口摂取のようなマネを士郎の意識があるときにはできない。であれば、アーチャーには士郎との接触を増やして魔力供給を行う方法しかないだろう。
強力な戦力にはならないとしても、手札は多い方がいい。何が起こるかわからないのが聖杯戦争だ。勝敗はサーヴァントの強さにも左右されるが、情報に長けた者や戦略に富んだ者が勝つ可能性も否定できない。
使えるか使えないかは別として、士郎が敵を翻弄する術になるのなら、アーチャーが士郎を一つのコマとして使わない手はない。
(まあ、面倒になれば、先に座に還して……)
はたと思い至る。
士郎は単独で座に還ることができるのだろうか、という疑問が湧いた。
(あそこは、英霊エミヤの座だ。士郎は英霊ではない。であれば、士郎はどこに還るのか……?)
アーチャーにくっついていたから召喚されてしまった士郎が、この世界で魔力切れなどを起こして消えると、どうなるのか。
(どうなる? ここで消えれば、士郎は……?)
ぞくり、と悪寒が走る。
何に対して懼れを抱いているのかがわからない。だが、なんとなく、この世界で士郎を消してはならないということだけは感じられた。
生前、少し線は細かったが、己とさほど変わらない体格であった士郎は、今、すっぽりとアーチャーの腕の中におさまっている。おそらく、この世界でのセイバーのマスターである衛宮士郎と変わらない身体つきだろう。
(ただ匿っておくだけというのは面倒だ。だが……)
戦わせるのは忌避した方がいい。サーヴァントではないが、それに近いモノであるという自覚など、士郎にはほとんどないだろう。したがって、生前と同じように、自らアーチャーとともに戦う可能性がある。
生前は無茶をするような戦い方はしなくなっていたが、“サーヴァントのようなモノになった”というおかしな自信を持ち、腕や脚の一本くらいどうとでもなる、などと考えていたら大変なことになる。
(魔力を補えない上に身体を欠損させていては、即、退場ということになってしまうはずだ)
離れられるギリギリの距離を取って、極力気配を消していろと士郎には命じるしかない。
(納得しないだろうが……、士郎に対するデメリットを考えると、仕方がない……)
冷たかった身体が温もりを帯びてきたことに少し安堵したアーチャーは、知らず赤銅色の髪を撫でる。
「この世界での聖杯戦争は、どうなるかはわからない。おそらく、我々の知る結果ではないだろう。今から心配などしても仕方がないが、お前はできるだけ身を隠し、参戦するな」
「なんでだ? 俺も戦う。二人でやった方が、」
「だめだ」
予想通り不満げに言い返す士郎の言をぴしゃりと止め、アーチャーはすっぽりと士郎を覆っていた腕を片方離して己の腰に当て、少し腰をかがめて目線を合わせる。
「お前は魔力を蓄えてしか動けない。凛との契約が成っているわけではないからな。常に魔力を補える私と違い、お前は一定量の魔力で行動しなければならないのだ。言うなれば、私は有線機器、お前はバッテリー駆動。安定して動けるのはどちらかなど、考えなくてもわかるな?」
「……そう、だけど、俺は、」
「お前は切り札に取っておく。最後の最後まで我慢しろ。そうして、私とマスターがあと一歩のところでしくじったら、お前が大どんでん返しを決めろ」
「大……どん、でん…………」
不満げだった士郎はその言葉に誘惑されたように、瞳をきらりと輝かせて呟く。
「お前がいいところを持っていけばいい」
とどめとばかりに、オイシイ役回りだと言ってやる。こんな詭弁に士郎が乗ってくるか、アーチャーとしても半信半疑だったが、存外すんなり士郎はそちらに気を取られてしまっている。
「う、うん、わかった。じゃあ、我慢する」
(チョロすぎるぞ、士郎……)
思わず頭痛を覚えてしまい、額を押さえたくなったのを堪え、アーチャーはにこやかに、期待している、と白々しい言葉を吐いた。
自分も役に立てると意気込んでいる様子の士郎は、アーチャーの胡散臭い笑みに気づいていない。
(本当に、こいつは……)
人を疑うことが苦手なところは、死んでも治らなかったようだ、と、アーチャーはあらぬ方へため息をこぼし、後ろめたさを誤魔化すために、再び士郎を抱き込んだ。
(無事に終わればいいのだが……)
不安要素は少なくない。だが、今回は思う存分に戦うことができる。宝具も問題なく展開できそうだ。それでも士郎の付随というイレギュラーが起こっており、やはり一筋縄で終わることはないだろう。
「あの、アーチャー」
くぐもった声で呼ばれ、腕を緩める。
「あの、外に出ないと、」
監視役をさぼるわけにはいかないのだと士郎は訴えている。
「……そうだな」
手を離したアーチャーは、するり、と抜け出ていった士郎を行かせたくない、と思う。
なぜ、行かせたくないと思うのか、…………腕の中の温もりと、疑問だけが残った。
***
聖杯戦争は恙なく進んでいく。アーチャーによると、彼の知る聖杯戦争と似てはいるが、微妙に違うらしい。
士郎にとっては二度目の聖杯戦争だが、アーチャーから流れてくる夢で見ていた光景に近い。あの夢をリアルに感じている、と極力顔には出さないが、内心、常に興奮気味だった。
凛がセイバーのマスターである衛宮士郎と共闘することを決め、衛宮邸に居候することになり、屋敷内はセイバーが常駐して守ることになったので、アーチャーは付近を警戒がてら探索している。もちろん、少し離れて士郎もついていくことになっている。