プレゼントは一生ものの逸品です
冷凍しておいた卵白は半分くらい溶けている。これぐらいだったらもう大丈夫。乾燥卵白を混ぜておいたグラニュー糖を入れて、そこで初めてハンドミキサーを出してないことに気が付いた。
「……棚のなか」
呟いてよろよろとシンク上の棚を探ったら、青い包みが落ちてきた。あっ! と声を上げる間すらなく、銀色のリボンをかけた箱は床に落ちて、受け止めようと咄嗟に踏み出していた足の下敷きになった。
慌てて足をどけても、もう遅い。箱は無情にも潰れて、綺麗に整えられていた銀色のリボンもよれてしまっている。
「……もう、やだ……っ」
なんでこうなっちゃうんだろう。なにが悪かった? 茂が咳をしていたのに、マスクをせずにケーキを作っていたから? 寒いのに薄着で外に出た上にマフラーすらしなかったから? 痛いと思ったときにすぐ薬を飲まなかったから? それとも、それとも……原因を思い浮かべても、今となっては手遅れだ。
感情の起伏が抑えられない。ただもう哀しくて、やりきれなくて。嫌われないかと不安で、怖くて。頭はガンガンと痛むし、吐く息すら熱くて苦しい。
受験生に移したら一大事と、この時期の義勇が体調管理に気を遣っているのを知っているのに、こんな状態の自分が作ったケーキや料理なんて、そもそも義勇に食べさせたらいけないんじゃないのか? 思うけれど、どうしても作りたいのだ。自分ができる精一杯のことをして、義勇に生まれてきてくれてありがとうと告げたい。
本音を言えば、誕生日に限らず今の義勇を動かし生かす食べ物は、一切合切自分の手で作れたらいいと思う。義勇を形作る細胞の一つひとつまで、自分の手によるもので作られてしまえばいいのにとすら、本当は思っている。
義勇の骨に名を刻めるものなら、一本残らず炭治郎と、自分の名を刻むのに。義勇の髪の毛の一本一本にだって、すべての細胞にだって、炭治郎のものだと刻印できたらどんなにいいだろう。義勇の細胞が全部入れ替わるまで、義勇が口にするものすべてを作ることができたら、もしかしたら義勇のなにもかもは自分が作ったことになるんじゃないかなんて、馬鹿なことを考えるのだ。わりと本気で。
だって炭治郎の骨の一本一本、細胞の一つひとつには、きっと見えない文字がもう刻まれていると思うのだ。義勇という二文字が、炭治郎を形作るすべてに刻み込まれている。そう思っただけで、背筋が震えるほどの歓喜に包まれる。
そんな自分でも空恐ろしくなる独占欲と執着を、義勇に知られたらと思うと怖くて怖くてどうしようもないから、弁当を作るのは今のところ我慢しているし、細胞の一つ残らずまで俺のものになってなんて戯言は、決して口にはしないけれど。
グズグズと泣きながら、どうにかマスクだけはつけてメレンゲを作る。ハンドミキサー任せだから少し気楽だけれども、涙はまた少し落ちてしまった。涙が隠し味だなんて、まるで呪いのアイテムみたいだ。吐いた溜息は酷く熱かった。
角がお辞儀するぐらいの固さになったら、あとは生地と混ぜて焼くだけ。メレンゲを三回に分けて入れながら混ぜ合わせたら、レーズンを底に入れた型に生地を流し込む。何度も練習したから手順はちゃんと覚えている。
焼くときは湯せん焼き。型ごと深めの容器に入れて湯を張ったら、オーブンに入れて焼いて出来上がり。
時計を見れば時間はもう三時半。義勇は五時までには帰ると約束してくれたから、そろそろ夕飯の調理も始めなければ。
八百屋さんで一番いい大根を選んでもらったし、鮭の切り身も魚屋さんの太鼓判付き。商店街の皆さんからの心尽くしでいっぱいの食卓にするのだ。義勇が美味しいと言ってくれたものばかりで、テーブルを埋める。ご馳走ではないかもしれないけれど、まとまりのないメニューかもしれないけれども、大好きばかりが溢れた食卓にしたいから。
でも、体は限界で、横にならせてくれと悲鳴を上げている。だからほんの少しだけ。崩れ落ちるようにどかりと椅子に腰を下ろした炭治郎は、時計を見ながら荒い息を吐いた。
薬を飲んで三十分だけ横になろう。ちょっと横になれば、具合も少しは良くなるかもしれない。アラームをセットして、三十分だけ眠って。ケーキと違って作り慣れたものばかりだから、一時間もあれば、どうにか義勇が帰るまでには支度を済ませられるはず。考えていた献立よりは、いくらか品数は減るけれど、それぐらいは許してもらおう。
義勇さんが帰る前にお風呂も用意して、それから……それから……。
熱を上げた体は、もう目を開けていることすらつらくて、炭治郎は、薬を飲まなきゃと思いながら目を閉じた。意識はすぐに落ちていった。
「……ろう、起きられるか? 炭治郎」
肩を揺すぶられてぼんやりと目を開ければ、目の前に義勇の心配そうな顔があった。
「ぎゆ、さ……っ」
掠れる声で答えた途端に咳き込んで、苦しさに身を丸める。大丈夫かと背をさすってくれる掌の感触が遠い。
「起き上がれそうか? お粥作ったから、食べられるようなら食え。薬を飲まないといけないだろう?」
気遣う声に、ハッと目を見開いた炭治郎はようやく自分がベッドにいることに気づいた。なんで? 自分は台所でケーキを焼いていて、それから……椅子に座って……。
「ケーキ! ご、ご飯も……っ」
「無理するな。つらいだろう?」
起き上がって声を出した途端にまた咳の発作に襲われて、涙がポロポロと零れた。
「ぎゆ、さ……俺っ、ごめん、なさ……っ」
大切な、初めての、特別な日。恋人になって初めて迎える、義勇の誕生日。
なのに、なんで自分は一人でベッドにいるんだろう。義勇は休日だというのに寒いなか朝から働いて、炭治郎に祝われることを楽しみにしながら帰ってきてくれたんだろうに。
お粥を作ったと言っていた。料理なんてまったくしない人なのに。疲れて帰ってきて、誕生日だっていうのに料理させられて。あぁ、調理器具だって片付けてなかった。固まった生地は落としにくいのに、義勇が洗ってくれたんだろうか。ハンドミキサーなんて義勇は使ったことないだろうから、洗い方なんて知らないだろう。きっと困っただろうな。
意識は椅子に座ったところまでで途切れている。ベッドまで義勇が運んでくれたに違いない。椅子に座り込んだまま意識を失っていた炭治郎を見て、義勇は心配しただろうか。不安だったろうか。
それとも、迷惑だと、腹を立てただろうか。
「ケーキ、作ったんです。ご、ご飯も、義勇さんが好きな物、いっぱい、作ろうと思って……洗濯物っ。洗濯、したのに……ちゃんと、シーツ、も、洗ったのに、俺、取り込んでない」
泣きながら慌ててベッドから降りようとしたのは、当然義勇に止められた。少し怖い顔で。
お祝いするどころか、普段の家事だって満足にできてない。こんなんじゃ駄目だ。こんなことじゃ迷惑がられる。義勇に嫌われる。
「迷惑かけて、ごめ…なさいっ、きらっ、嫌わ、ないで……っ」
エグエグと泣きながらようよう言えば、義勇の眉間にはますます深い皺が刻まれて、炭治郎の肝が冷える。深い溜息なんてつかれたら、もう、このまま死んでしまいたい。
けれど次いで義勇の口から零れたのは、優しい声だった。
「馬鹿」
作品名:プレゼントは一生ものの逸品です 作家名:オバ/OBA