恋を召しませ、召しませ愛を
炭治郎の唇から、炭治郎の恋の味も義勇に飲み込まれていく。義勇が飲むのはそれだけでいい。義勇の心も身体も、炭治郎の愛が染み渡って混ざりあって、全部全部炭治郎のものになる。二人の恋の味はいつまでも同じ味。その為だったら炭治郎はなんだって出来る。義勇が望むように、我慢をしないなんていう炭治郎のアイデンティティを揺るがすことですら。まぁ、多少時間はかかるかもしれないが。
毎年、バレンタインの夕飯はチョコフォンデュにしよう。来年も、再来年も、その次もずっとと、義勇はなんでもないことのように言う。いつまでもと。
だからきっと、バレンタインにするキスは、いつまでだってビタースウィート。
恋の味をいつまでも、義勇と二人で味わうのだ。
台所に立つ義勇の背を頬杖をついて眺めながら、錆兎は少し呆れて言った。
「差が激しい……」
「なにが?」
なにがもなにも……いよいよ呆れて、錆兎は自分の前に置かれたインスタントコーヒーの瓶とマグカップに溜息を吐いた。ご丁寧に電気ポットまでテーブルにドンと置いて、義勇は「今忙しい」と言ったきりすぐに流しに立ってココアを練っている。
思い立って連絡も入れずに遊びに来たのは自分だけれど、せめてコーヒーぐらい淹れたものを出してくれても罰は当たらないと思う。粉を入れてお湯を注ぐだけなんだし。
「別にそのココアでもいいんだぞ? 絶対にコーヒーがいいってわけじゃない」
「これは駄目だ」
即座に断る義勇の声は断固として揺るがない。うん、知ってた。
「炭治郎が来るのか?」
それなら仕方がない。来てから淹れればいいのにとは思うが。
義勇お気に入りのベーカリーの、看板息子である竈門炭治郎くん7歳は、もしかしたらベーカリーのパンよりも義勇のお気に入りだ。親友としてはちょっとばかり心配になってしまうぐらいには、大層可愛がっている。
炭治郎も義勇のことが大好きで、錆兎や今日はいない真菰にも懐いてくれているけれど、義勇への懐き具合とは比べ物にならない。
3歳の頃から義勇のことを、可愛がってくれるお兄ちゃんとして慕っているようなので、付き合いの長さの差はもちろんあるけれど、それだけでなく義勇は炭治郎にとって特別らしい。それは別に構わないのだが、なんとはなし炭治郎の義勇を見る瞳には、憧憬や親愛だけでは説明しきれないときめきが見えるような……。
いやまぁ、それも問題ないと言えなくはない。口にするのは不味いだろうとは思うけれども。
「来ない」
端的すぎる義勇の言葉はいつものことながら、その内容に錆兎は目を丸くして、ついでにぽかんと口も開いた。
「は? お前、来ない炭治郎の為にココア作ってるのか?」
「練習だ」
いつでも炭治郎に飲ませてやれるように、完璧なココアを淹れられるようにならないと。そんな言葉がきっとその一言には含まれている。
これだ。これが問題。そして心配。
高2男子が7歳の男の子の為に、真剣にココアを淹れる練習をする。なんだそれ。
俺の親友が小さな男の子を好きすぎる。心配しないでどうする。いや、相手は限定されているけれど。義勇がこんなにも関心や好意を寄せるのは、もしかしなくても世界中でたった一人、炭治郎だけであるだろうけれども。
あれ? それならいいのか? いやいやいや、惑わされるな俺。年齢だとか性別だとか、問題はあるし心配なのに変わりはないだろうが。
出来上がったココアを味見して小さく首を捻っている義勇の背を、まじまじと眺めた錆兎は、思わず深い溜息を吐いた。
思えば炭治郎のこととなると義勇は最初からこうだった。
義勇が3歳の炭治郎と出逢ったのは、中1の秋頃だったという。錆兎が真菰と共に炭治郎に紹介してもらったのは、中3になったばかりの春。およそ1年半もの間、義勇は炭治郎の存在をひた隠しにしてきたというわけだ。親友と幼馴染だっていうのに。
義勇が時折弁当として持ってくるパンがやたらと美味くて──強請ればお裾分けしてもらえるものの、一瞬躊躇った後でちょっとだけだったけれども──どこで買ったと聞いてもだんまりを決め込むものだから、真菰と二人で相談して義勇を尾行したのは記憶に新しい。
馬鹿だ。自分でも思う。でもその時はかなりノリノリだった。義勇がパンを持ってくるのは月曜であることが多いから、きっと買ってくるのは日曜日だ。剣道の練習が終わってから買いに行くのだろうと踏んで、練習後に帰る義勇の後を真菰と二人、隠れて追った。
義勇に見つからないようにとコソコソと後をつけながら、なんか楽しいねと笑った真菰にちょっぴりドキドキしたのは内緒だ。その甘い胸の鼓動が、今も時折錆兎の胸で繰り返されることも含めて。
……少しだけ嘘を吐いた。時折じゃない、割としょっちゅう。あと、ちょっぴりじゃなくて、かなり。
まぁ、それはいい。自分の恋心は今は関係ない。問題は義勇だ。
辿り着いたベーカリーで、小さな男の子の前にしゃがみ込んだ義勇は、ニコニコとお日様のような笑顔で嬉しそうに義勇に話しかける幼児を相手に、随分と幸せそうだった。顔はいつもの無表情だったけれど。
それでも、6歳の頃から共に同じ道場に通う親友で幼馴染の錆兎たちには、義勇がとんでもなくご機嫌であることはしっかりと分かった。
大層珍しい物を見たと驚きつつ、美味しそうなパンの香りにも惹きこまれ、興奮を隠してベーカリーに足を踏み入れた錆兎と真菰の姿を見た瞬間の義勇の顔は、いっそ見物だった。仰天顔の義勇は何度も見たことはあったけれど、そこにバツの悪さやちょっとした疚しさというか不本意さを滲ませた顔なんて、未だにあの時しか見たことはない。
それが分かるぐらいには親しい仲である自分達にすら、義勇が隠しておきたかった炭治郎という小さな男の子。
諦めを湛えて錆兎と真菰を紹介してくれた義勇に、きょとんとした後で
「ぎゆしゃんのおともらち? たんじろもおともらち?」
と舌っ足らずに言って笑う炭治郎の可愛さは、確かに錆兎や真菰の胸も撃ち抜く威力はあった。
けれどもだ、帰り道なんで黙ってたんだよと問い詰めた二人に返ってきた義勇の答えが
「とられると思ったから」
なのは、いただけない。自分よりも子供の扱いが上手い錆兎と真菰に逢わせたら、炭治郎は義勇よりも二人と仲良くなってしまうと思った。炭治郎は俺の弟なのにと、無表情のままがっくりとした雰囲気を漂わせる義勇に呆れ返り、ついでにちょっと憤慨し、だいぶ苦笑した。
しょんぼりと肩を落とす可愛げのある義勇は、多分、錆兎たちや師の鱗滝、姉の蔦子といったごく親しい者だけが見られる特権だ。そして義勇はそれら周囲の人々の中では末っ子扱いで、甘やかされて過ごしている。勿論、躾や諭しと言った厳しさも与えられてはいるが。錆兎だって義勇と立場は対等であるけれど、叱る時にはきっちり叱る。
そんな義勇にしてみれば、自分が兄として可愛がれる炭治郎は、特別可愛い相手なのだろう。独占欲を抱いてしまうぐらいには。
だからまぁ、隠しておきたかったという義勇の心情は、分からなくもない。
しかし、その独占欲が年々増して、強固に大きく育っているのは何事か。
作品名:恋を召しませ、召しませ愛を 作家名:オバ/OBA