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その関係に名前はまだない

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 きっとお説教されるに違いない。いや、お説教だけですめばいっそラッキーだ。ピアスとは問題の度合いが違う。もしかしたら停学にぐらいはなるのかもしれない。退学だけは勘弁してほしい。母さんたちになんて言って謝ればいいんだろう。
 後悔だけに占められて、連行される囚人気分で着いていったのに、車に乗せられて向かったのは山のなかだった。通る道すがらに見かける建物は、いわゆるラブホテルばっかり。そういえば、この山は夜景がきれいだとかでデートスポットになってるんだと、聞いたことがある。ラブホテルが多いのはそのせいかも。
 だけど、なんでこんなところに? ゲイ専用とは言え、出会い系サイトには違いないし、俺の行動は援交だとかパパ活だとかだと誤解されても、しょうのないところだ。説教されるにしても、人目が気になる話になるのは間違いない。だから、知り合いの目が絶対に届きそうもない場所を選ぼうとしてるんだろうか。
 それにしたって、この状況でデートスポットになんて連れて行かれるのは、針のむしろを通り越して、剣山のベッドに横になるようなもんなんですけど。
 車のなかで、義勇さんは一言も口を利かなかった。もちろんのこと、俺もなにも言えなくて、沈黙がつらい。
 展望台まで行くのかと思われた車は、不意にハンドルが切られて、絶句しているうちに建物のひとつに吸い込まれていった。
 シンプルな外装で、ほかの建物と比べて派手な看板もない。だけど疑う余地なんてなかった。ここも、ラブホテルだ。
 なんで? そりゃ、人目を気にすることはないだろうけど、なにもラブホテルじゃなくたっていいだろうに。
 疑問を口にすることもできずに、呆然としていた俺を、さっさと車を降りた義勇さんは視線で促してきた。瞳が冷たい。怖い。こんな目で義勇さんが俺を見たことなんて、一度もなかったのに。
 このまま座っていることができればよかったのだけれど、そんな選択肢は許されていない。ドアを開ける手も、うなだれて降り立った足も、みっともないぐらいに震えていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 駐車スペースから直接部屋に入れるタイプのホテルの部屋は、照明が薄暗い。入ったとたんに目に入った、鎮座する大きなベッドに、心臓が破裂しそうに騒いだ。
 ドアの前から動けなくなってた俺の腕を掴んで、義勇さんは初めて見る乱暴さで、俺の体をベッドに放り投げた。

「……いつも、こんなことをしてるのか?」

 こんな冷たい声で話す義勇さんなんて、俺は知らない。一度も聞いたことのない声だった。目もギラギラと射抜くようで、どうしようもなく怖い。竹刀を手に追いかけまわす鬼教師の顔だって、この義勇さんに比べれば、天使みたいに優しいと思えるぐらいに。
 声にならないまま必死に首を振ったら、ぐっと眉間の皺が深くなった。
「なら、なぜこんなことをしようと思った?」
「……す、好きな人を……忘れようと、思って……」
 そう掲示板にも書いた。だからメッセージをくれた人は、みんな慰めてくれる言葉ばかりで……そうだ。思い出した。俺と同じだったから、Tさんの書き込みが気になったんだ。
 好きな人がいるって。叶わなくても好きなんだって。
 なんだ。結局駄目なんじゃないか。義勇さんがもしゲイだったとしても、もう好きな人がいるんだ。俺の恋はやっぱり叶わない。
 ぽろりと、勝手に涙が落ちた。

「わ、忘れさせて、ください……」

 体だけでもいい。この人に触れてもらえるなら。恋じゃなくたってかまわない。
 一度零れてしまったら、涙はどんどん溢れて、泣きじゃくりながらお願いと縋った。
 ぐぅっと、一度小さく唸り声をあげて、義勇さんの唇が近づいた。噛みつくように奪われたファーストキス。涙の味がする、しょっぱくて、苦いキスだった。


 それからずっと、体だけの関係を続けてる。
 ベッドに放り投げた時の乱暴さなんて嘘みたいに、義勇さんは優しかった。俺が初めてだって言ったからだろう。すごく丁寧に、時間をかけて抱いてくれた。
 基本的に優しい人なんだ。あんなときでさえ。
 でも、俺は優しさなんて欲しくない。もっと乱暴でいいんだ。身代わりでしかないと思い知らされるぐらいなら、優しさなんていらない。
 互いに変装して待ち合わせて、ホテルに入ったら慌ただしく抱き合って終り。名前も呼ばない。夜の俺たちは冨岡先生と生徒の竈門じゃないし、常連の義勇さんと看板息子の炭治郎でもないから。
 好きな人の代わりに欲をぶつけ合うだけの関係に、優しさを持ち込まないでくれと言いたい。
 俺を好きになってなんかくれないくせに、優しくするのはマナー違反じゃないのかな。そんな不満がそろそろ破裂しそうになってきていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 初秋に始まった関係は、せいぜい月一、多くて月に二度ぐらいの頻度で続いている。義勇さんの見合いの話は、いつのまにやら立ち消えたらしく、噂にも上らない。
 今はもう夏。夏休みが近い。今年は俺も受験生だから、こんな関係もそろそろ終わりになるのかなと感じている。いくらなんでも俺が受験生だと知ってる義勇さんが、それまで知らぬふりで関係を続けるとは思えない。
 もしかしたら、一年経ったらおしまいなのかな。初めて抱かれたのと同じ秋に、この関係も終わるんだろうか。
 そう思い至ったら、こんな関係ですらなくなるのが惜しくなった。本当に俺は浅ましい。
 優しくしないでと願いながら、いつかは俺のことを好きになってくれやしないかと、心のどこかで願ってる。体すら求められなくなったなら、俺に与えられるチャンスはいよいよ消える。
 哀しくて苦しくて、でも告白なんて今さらできやしなくって。心が沈んで最近あまり眠れない。
 だからだろうか。猛暑日を記録したギラギラした太陽の下での体育に、いつもだったら余裕でこなせるはずのグラウンド周回中に、突然足がもつれた。
 転ぶ!と思った瞬間に、よろけた体はたくましい腕に抱き留められた。

「大丈夫か?」

 耳元に落ちた声に、力が抜けてへたり込む。ひたいの汗をぬぐった俺の手を、義勇さんは壊れ物を触るみたいにそっと握った。
「木陰に行って休んでろ。水分摂取を忘れるなよ」
 気遣わしい声は、冨岡先生のもの。義勇さんだからでも、Tさんだからでもない。それがどうしても哀しくて。

 恋じゃないなら、そんなに優しく触れないで。

 見上げた先生の顔は逆光でよく見えない。慌ててるような匂いが少しして、ぐっと引き上げられた体を横抱きに持ち上げられてようやく、自分が泣いているのに気づいた。
 保健室に行くと告げて俺を抱えたまま歩き出す義勇さんに、きゃあきゃあと黄色い声が上がる。
 この体勢、姫抱っことか言うんだっけ。女の子は好きだもんな。禰豆子や花子が持ってる少女漫画で見たことある。俺じゃどう見たってお姫さまには見えないだろうけど。
 ぼんやりとそんなことを思いながら、大人しくしていられたのは、義勇さんが校舎に足を踏み入れたときまで。
「寝てないのか?」
 小さな問いかけに、ぎりぎりだった不満がいきなり爆発した。
「誰のせいだと思ってるんですか!」
 ギョッとしつつも俺を落としたりしないのはさすがだ。