約束はいらない
在学中は、義勇さんと過ごす時間がほしくて、本当は剣道部に入りたかった。だけど、店の手伝いをすることを考えたら、練習に出られる時間は限られる。キメ学はのんびりとした自由な校風が売りとはいえ、自分勝手なのは駄目だ。みんなが必死に練習しているなかで、下手をしたら幽霊部員になりかねないことを思えば、入部は諦めた。
本音を言えば、剣道部員や顧問の煉獄先生が羨ましかった。見ていることしかできないのなら、せめて少しでも長い時間、近くにいたかった。あのころ、毎朝ピアスを外せと追いかけられるのを、俺がどれだけ楽しみにしていたか、きっと義勇さんは今も知らないだろう。
好きだなぁと、また思う。毎日だって、思っている。ふとした瞬間に、義勇さんが好きだと実感する毎日だ。恋心を自覚したときから、本当に毎日。
ずっと片想いをつづけた中高時代。卒業式後に告白して、恋人になれたときは幸せ過ぎて死ぬかと思った。だというのに、生徒でいる間のほうが、よっぽど顔をあわせている時間は長いなんて、思ってもみなかった。しかもそれを思い知らされたのは、恋人になった翌日だっていうのがもう、泣きたいやら笑うしかないやら。春休みだって先生には休日なんてないって言うんだから、重ねて言うけど、教職、怖い。
初めてデートができたのは、なんとゴールデンウィークあけだ。ゴールデンウィーク? 合宿で潰れましたとも。二十四時間一緒の毎日を過ごせたなんて、煉獄先生ズルい、羨ましい。いや、煉獄先生だってとってもいい先生だけれども。
一年目はひたすら我慢した。デートなんて月一でもできればいいほうだったけど、忙しい義勇さんを煩わせたくなかったから。このアパートにせっせと通って、ほんの数十分、ときに数時間を過ごすだけのおつきあい。泊りは何回あっただろう。多分片手で足りる。
恋人なんだか家政夫なんだかわからない状況が、変化したのは大学二年にあがる四月。一緒に暮らすかと聞いてくれた義勇さんに、一も二もなくうなずいたのは言うまでもない。
エイプリルフールの嘘じゃないですよね!?と、涙目で散々つめ寄った俺に、義勇さんは「違う」「嘘じゃない」を繰り返して、最後には「いい加減信じろ」とキスで俺の口をふさいだ。
大学進学のときにもひとり暮らしなんて選択肢になかった俺が、急遽家を出ることにしたものだから、竹雄たちはずいぶんとむくれていた。母さんと禰豆子だけがうれしそうに笑っていたっけ。
禰豆子はともかく、なんで母さんが反対しなかったのか、理由はまだ教えてくれない。禰豆子が言った「お兄ちゃんだって自分のために生きなくちゃ!」ってのも、俺にはいまだによくわからない。
我慢することは多いけど、嫌なことをしてるわけじゃないし、そんなのは長男なんだから当たり前だ。ちゃんと自分らしく好きなように生きてるつもり。でもそう言うと禰豆子は、決まって泣きだしそうな目で怒るのだ。
その顔は、ときどき義勇さんが見せる表情に似てる。
恋人になっても義勇さんの鉄仮面っぷりは相変わらずだ。だけど少しづつ、なにも言わなくてもわかることが増えてきた。それでも物言いたげなあの表情の理由は、まだわからない。
あまり苦もなく始まった同棲生活。義勇さんの忙しさは変わらないから、すれ違いも多い。それでも一緒に暮らしていなければ、逢うことすらままならないと思えば、一緒に暮らせる今は幸せだ。
恋人になって最初の一年は、せめぎ合う幸せと寂しさに、必死に慣れようとするだけで過ぎた。同棲を始めた二年目と三年目は、短い時間だろうと毎日顔をあわせられるし、抱きあって眠れる。穏やかで幸せが積もるばかりの毎日だった。
四年目の今年、幸せなのは変わらないけど、顔をあわせる時間が極端に減った。
夏休みを終えるころから、とにかく俺が忙しい。義勇さんの忙しさとどっこいどっこいの多忙さで、家事も手抜きばかりだ。
俺は不器用なほうなのだと思う。ひとつのことに夢中になると、どうしてもほかがおろそかになる。呑み込みが早いタイプじゃないから、コツコツと努力しなくちゃならない。いろんなことに才能というやつがいるのなら、俺の才能はきっと、どれも平均よりちょっと少ないんだろう。
明るさと元気さが取り柄です。それしか持っていません。自己紹介するならそんな感じ。
知り合いや家族はみんな、俺のことをやさしいと口をそろえて言うけれど、当たり前のことをしているだけだから、なんとなくそういうもんかなと思うだけだ。
本当にやさしい人は、きっと義勇さんみたいな人なんだ。
コタツに頬杖をついて、顔を上げてくれない義勇さんを、じっと見つめる。
こんなふうにふたりで過ごせる時間は久しぶり。どこかに出かけましょうかと笑った俺に、義勇さんは首を振った。
今日は家で過ごそう。ポンポンと俺の頭を軽く叩いて、義勇さんは薄く笑って言った。
大学四年の冬、卒論でてんやわんやだったのはあるけれど、今の俺の忙しさはそればかりじゃない。夏のうちからコツコツ準備してたから、卒論自体はそこまで大変じゃなかったんだ。卒業は難なく決まった。
『就職しなさい。パン屋以外でね。ちゃんと外の世界を知りなさい。家を継ぐかどうか決めるのは、それからにしましょう』
突然母さんが言い出したそんな言葉が、てんやわんやな多忙さのきっかけで、目下のところ俺を悩ませている大問題だ。大学四年の秋にもなってから、なんでそんな無茶を言い出すのさと呆然としたし、今もため息ばかりが落ちる。
長男なんだから家を継ぐのが当たり前だと思っていた俺にとっては、まさしく青天の霹靂としか言いようがない。
なんで今更!?と聞いても、卒業したからって家で働けばいいやなんて駄目と、母さんは頑として譲らなかった。おかげで、みんながとっくに内定を決めた今ごろになって、就職活動する羽目になってる。卒業直前の今になっても、就職先は決まっていない。
いつも穏やかで笑顔を絶やさない母さんが、笑みさえ消して有無を言わさず厳命するなんて、滅多にない。正しくは二度目だ。
思い返せば、進学先の相談をしたときもそうだった。高等部を卒業したらそのまま家で働くのが第一希望。第二希望はパン作りを学べる専門学校。なのに母さんは、大学へ行けと言って譲らなかった。
専門学校なら二年で卒業できるとはいえ、どうせその先は家を継ぐのだ。学費の無駄じゃないか。ましてや大学なんて、四年もお金だけが飛んでく生活になりかねない。そんなもの選べるわけがなかった。
俺の下には禰豆子たちだっている。俺の学費にお金を使うぐらいなら、禰豆子たちのためにとっておいてほしいと何度も話し合ったけれど、母さんは首を振らなかった。
おまけに禰豆子と竹雄、花子まで母さんの味方についたもんだから、はっきり言って孤立無援。茂と六太も意味がわからないなりに、それがお兄ちゃんのためなんだよと禰豆子に言われれば、俺の味方なんてしてくれない。
そりゃまぁ、茂たちじゃ母さんを説得する役には立たないけども。誰も味方がいないなんて、兄ちゃん寂しかったんだからな。
なんとなく思い出した数年前の出来事に、ちょっぴり唇を尖らせてみる。