舞え舞え桜、咲け咲け想い
これ以上、嫌われたくなんかない。
ふぅっとかすかにため息の音がして、炭治郎はびくりと肩を揺らせた。
「……もう、俺と話するのも嫌か?」
違う。言葉よりも先に、体は動いた。
とっさに顔をあげてしまったら、至近距離にいる義勇と目があった。炭治郎よりも上背がある義勇が入ったせいで、さっきまでよりも視界は暗い。影になった義勇の顔が、なにかを耐えているようにつらそうに見える。
学校の女の子たちが、こぞってカッコイイと騒ぐ、きれいな顔。テレビ局のアナウンサーだって、錆兎と二人並ぶ義勇に、浮足立っていた。それに。
「あの人は、ただの先輩だ」
誰のことなのか、考えるまでもない。すぐに頭に浮かんだきれいな年上の女の人に、また炭治郎の胸はギュッと押しつぶされそうになる。
国際強化選手にえらばれるぐらい強い、女子大生。昨日放映された番組で、義勇と一緒に映っているのを見た。とてもきれいな人だった。仲がいいんですねと言うアナウンサーの声が、やっかんでいるように聞こえたのは、気のせいばかりじゃないと思う。
つきあってるのかな。そんな言葉を、今日一日で何度も聞いた。家でも、テレビを見ながら家族が同じことを言ってた。学校の女の子たちと違って、はしゃいだ声だった。
誰が見たってお似合いな、義勇ときれいな女子大生。昨夜、炭治郎はよく眠れなかった。画面に映った二人の姿が頭から消えてくれなかったから。
だからずっと、話題を避けた。テレビ絶対に観るからと、あんなに言っていたくせに、朝から不自然に話題を避けて、いつものように朝ご飯を道場に持っていくことすらしなかった。一日中逃げ回って、話をしなかった。そんな炭治郎の行動を、義勇が不審に思うのは当然だろう。
どうしたんだと問い詰められたのは、炭治郎の自業自得だ。もしも義勇がそんな態度をとったのなら、自分だってなにがなんでも話をしようと思うだろう。
「……ごめん、違ったか」
どこか焦ったような声で義勇が言う。恥ずかしがっているようにも見えた。
「学校でみんなが、やたらあの人とつきあってるのかって聞くから……炭治郎も、誤解して怒ってるのかと」
「なんで、俺が怒るんだよ」
怒ってなんかいない。義勇には。悲しくって、寂しかっただけ。でも、たしかに怒ってもいた。あの人と義勇が恋人同士だと決めつけて騒ぐ人たちに、義勇の隣で楽しそうに笑っていたあの人に、浮かれた様子で義勇に媚を売って見えたアナウンサーに。
義勇のことを世界で一番好きなのは俺なのにって、怒っていた。見苦しく嫉妬していた。
そんな資格、あるわけないのに。
「……そうだな。炭治郎が、怒るわけなかった。ヤキモチなんて妬いてくれるはずないな……」
小さくうつむいた義勇の、最後にポツリと落とされた言葉は、今度こそ幻聴だろうか。
「ヤキモチ……」
呟いたとたんに、義勇はまたうろたえだした。心なし落ち込んでいるようにも見える。
「すまないっ。そんなわけないって、わかってるのに……」
「なにがわかってるんだよっ! なぁ、どうして? どうして俺がヤキモチ妬かなかったら義勇が落ち込むのさ。言ってくれなきゃわからない。教えてよっ」
ドキドキと胸が鳴る。答えを聞くのは怖い。でも、どこかで期待している自分もいる。
ここは義勇といつも二人きり遊んだ場所で、義勇が炭治郎に約束してくれた場所。
義勇は、ずっと一緒って言ったから。
それでも、この胸に少しずつ育っていった恋心が、実るなんて思っちゃいない。思わないようにしてきた。花開くことを許されぬ想いだと、咲かせることなく枯れていくはずの恋だと信じていた。
いつかは二人とも大人になる。義勇の隣に立つのは俺じゃなくて、誰の目にもお似合いな女の人になるんだ。強くなるとの約束は果たされても、ずっと一緒の約束は、きっといつかは破られる。大人になるって、きっとそういうことだ。
わかっているのに、胸の高鳴りは治まりそうにない。
馬鹿みたいに期待している。小さい子どものころの約束にすがって、今も義勇のいちばんは自分なのだと、信じてしまいそうになる。
だって義勇の言葉は、炭治郎にヤキモチを妬いて欲しかったように聞こえた。それじゃまるで、義勇も俺のことが好きだって言われてるみたいじゃないか。
深く考えるよりも先に、手が伸びた。たじろぐ義勇を逃さないように、袖を掴みとめれば、小さく息を飲む気配。
「泣くなよ……」
頬に触れた温もりは、義勇の手のひら。竹刀ダコができてて固い。ここでギュッと炭治郎の手をにぎった小さな手は、とてもやわらかかったのに。義勇の努力がこの手のひらに現れている。
「泣いてないっ」
「嘘が下手だ」
ぐっと唇を引き結んで上目遣いに睨みつければ、義勇は少しおかしそうに笑う。昔から炭治郎は嘘が下手だと、やさしく目をたわめて。炭治郎の頬をなでる手は温かい。
「涙を流してなくても、炭治郎が泣いてるのぐらい、わかる」
だってずっと、炭治郎が泣かないように頑張ってきたんだから。ずっと、ずっと、炭治郎だけ見てきたんだから。
そんな言葉が小さくトンネルのなかに響いて、義勇の顔がぼやけて見えた。
「……みんな、義勇とあの人がお似合いだって」
「関係ない。ただの先輩だ。俺が好きなのは……」
その先を言いよどむから、義勇の袖を掴む手に力を込めた。炭治郎の頬に触れたままの手のひらが、少し汗ばんだ気がする。さっきまでよりも、少しだけ冷たく感じる手の温度が、義勇の緊張を伝えてくる。
「俺が好きなのは、ずっと、炭治郎だけだ。友達だからじゃない。つきあいたいのは、炭治郎だけだ」
義勇の声はどこか固い。だけどやさしい。じっと見つめてくる瞳の青は、いつもと同じ海のような色なのに、ひどく熱く感じた。
「義勇……モテるのに、俺でいいの?」
「おまえ以外に好かれても困るだけだ。だいたい、なんでよく知りもしない俺がいいのか、さっぱりわからん」
少しムッとしたように言う様は、なんとなく子どもっぽい。
「そんなの、義勇が格好いいからだろ」
「錆兎のほうがよっぽど格好いいだろ? それに格好いいなんて、顔しか見てないってことじゃないのか?」
「顔だけじゃなくてさ、剣道だって強いし」
「炭治郎を守れるように頑張ったんだ」
「成績だって、いいし」
「炭治郎に教えてやれるように頑張ったからだ」
ますます憮然としていく顔は、やっぱりきれいで格好いい。顔しか見てないなんてことはないけれど、世界で一番きれいで格好いいと思う。おまけに、少し拗ねて聞こえる声は、やたらとかわいくて庇護欲までかきたてられる。
女の人たちの見る目は確かだ。こんなに強くて、かしこくて、きれいで格好いいうえにかわいい人。好きにならないわけがない。
だけど、モテまくる義勇のモテ要素は、全部俺のために頑張った結果。つきあいたいのは俺なんだって。俺だけ、なんだって。
誰彼となく言って回りたい。世界中に宣言したくなる。
義勇がずっと一緒にいたいのは、いちばん仲良しでいたいのは、きれいな女の人でも、可愛い女の子たちでもなく、俺なんだよ!と。
「義勇、赤ずきんの狼みたいだ」
作品名:舞え舞え桜、咲け咲け想い 作家名:オバ/OBA