彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~
彼女の問いに、ハッキリと頷きを返しながら……
「あなた方姉妹とアゴルに諭され、昼間は、我々だけがエンナマルナに向かうことを一応、承諾はしましたが――」
「本当は嫌だったのですよ」
「これまで、皆と苦楽を共にしてきたのだ……最後まで、共に在りたいと――な」
三人の重臣たちは己の胸の内を素直に、吐き出していた。
「あたしも、待っていたい……」
「……え?」
まだ少し泣き癖を残しながら、胸元で聞こえたジーナの呟きに、ゼーナは思わず眼を向ける。
「ゼーナ様、あたしも――」
「あたしも、待っていたいです!」
その呟きに堰を切ったように、アニタとロッテニーナも言葉を被せてくる。
「………………」
少し、口を開くのを躊躇う。
本当なら、先刻の話し合いの通りに事を進めることを、進言しなければならない立場に自身があることも、分かっている――
本当なら……
だが――――
注がれた瞳に宿る光に、ゼーナは一つ深く、息を吐くと、
「……では、みんなでエイジュに叱られることにしましょうか」
ガーヤそっくりの大らかな笑みを浮かべ、そう、応えていた。
「ゼーナ!」
「ゼーナ様っ!」
「では、良いのか?」
「いいんですか? ゼーナ様っ!」
「ありがとう、ゼーナ!」
「済まない、心労を掛ける」
嬉しそうに大きく顔を綻ばせ、同時に、口々に……
感謝の言葉を並べる皆の、少し子供っぽくも思えるその笑顔に、す――っと……
胸の痞えが下りてゆくのが、分かる。
隠し、眼を背け、見ないようにしていた己の『本心』に、ゼーナは苦笑を浮かべていた。
ふと――
「……あ――」
何かを思い出したかのように、小さく声を漏らすジーナ。
「どうかしたのかい? ジーナ」
優しく問い掛けてくれるゼーナに瞳を向け、
「あのね……」
少し躊躇いながら、
「みんな、エイジュにお耳を摘ままれちゃうのかな……って思って――」
ジーナはポツリと、応えていた。
「……え?」
ジーナの言葉の意味が分からず、
「エイジュに?」
「どうして?」
ジェイダ以外の皆が、きょとんと眼を丸くし首を傾げる……
不意に訪れた沈黙の中、
「……くっ、くっくっくっ――」
聞こえてきたのは必死に抑えた笑い声……
「……ど、どうしたのですか? ジェイダ――」
皆に背を向け体を丸め……
「何がそんなに可笑しかったのかね」
堪え切れぬとでも言うように震えている肩。
「……いや、済まない」
盟友二人の声掛けに、瞳に涙を浮かべたまま振り返り、
「ちょっと、思い出したことがあってね……」
思わず、釣られてしまうほどの満面の笑みを浮かべ、
「そう言えば、まだ、話していなかったのだが……実は――」
ジェイダは笑いを抑えるのに苦労しながら、あの日の朝の出来事を……
イザークとバーナダムに起こった『悲(喜)劇』を、語り始めた。
語るにつれ、明るく和やかな空気と笑い声が、馬車の中に満ちてゆく。
あの日のことを知る限り、思い出せ得る限りのことを、ジェイダは皆に笑みを交え話し聞かせてゆく。
膝の上で、泣き癖も収まりクスクスと笑い声を漏らすジーナを、温かく見守りながら……
ゼーナは今朝のことを、思い返していた。
***
『済まないが、少し、ジーナを気に掛けてやってくれまいか……』
今朝……
馬車に乗り込む時に掛けられた、アゴルの言葉が思い浮かぶ。
アニタとロッテニーナに誘われ、馬車の中へと娘が入ったのを見計らったように、そう、耳打ちされたことを――
理由は、直ぐに分かった。
ジーナの様子がいつもと違うことに、皆、口には出さないが気付いていたのだから……
行儀が良く、人が困るようなことなど、決してしないジーナ……
『眼が見えない』というのも理由の一つではあるだろうが、それを差し引いたとしても、同じ年頃の子と比べて、ジーナは落ち着きのある子供だ。
それでいて物怖じせず、屈託もなく……明るく可愛らしい笑みを見せてくれる。
いつも……
自分の母にジーナを預け、傭兵の仕事をしていたと聞いた。
彼の妻……ジーナの母親は、早くに亡くなってしまったそうだから……
預かっていた祖母も、アゴル自身も――深い愛情を注いで来たのに違いない。
ジーナの様子を見ていれば、容易に想像がつく。
過ぎることなく……不足することもなく――
親として、『二人分』の愛情を注いで来たことが……
ジーナのことを、『良く見て』来たことが分かる。
そして、その『祖母』も……
数ヶ月前に亡くなったと聞いた――
薄暗い馬車の中、幌幕が風にはためく音に釣られるように、後方を見やるジーナ……
アニタとロッテニーナも、彼女のいつもと違う様子に、心配そうな眼差しをこちらに向けてくる。
ゼーナは二人に軽く頷き、微笑みを返すと、
「どうかしたのかい? 元気がないね……ジーナ」
優しく背中に手を宛がいながら、訊ねていた。
彼女の問い掛けに合わせるように、
「具合でも悪いの?」
「エイジュに診てもらう?」
二人も一緒になって、ジーナに訊ね掛ける……
いつもなら、直ぐに愛らしい笑顔が返ってくるのだが……
「ううんっ」
ジーナは焦ったように思い切り首を横に振り、
「大丈夫、何でもないのっ」
無理に作ったようなぎこちない笑顔を、見せていた。
どう見ても、『何か隠している』としか思えないその笑みに、戸惑いが沈黙になって、三人の間に流れる。
一息の間を置き、
「そ……そう?」
怪訝そうにロッテニーナが、
「本当に? 無理したり我慢したり、してない?」
優しく重ねて、アニタが問い掛けている。
「本当、本当なの、だから、エイジュに診てもらわなくても、いいから――」
眼が見えなくとも、三人の視線が自分に向けられていることぐらい、分かるのだろう。
懇願するように言葉を並べ、焦ったように首を振りながら、傍に居てくれるゼーナの服を無意識に、掴んでいる。
「ジーナ?」
訝し気に、名を呼ぶ……
困り果てたように眉を顰め、
「本当に、大丈夫なの……」
消え入るように呟き――
皆の視線から逃げるように、ジーナは顔を俯かせてしまった。
御者台に並び、座り……
何やら話し込んでいる三人の重臣たちの声を耳の端に捉えながら、口を噤んでしまったジーナを囲み、困惑の色を浮かべ――アニタとロッテニーナは『どうしたんでしょう?』と問い掛けるように、瞳を向けてくる。
俯き――背中を小さく丸めてしまった幼き占者の名を、
「ジーナ……」
ゼーナは穏やかに呼び掛け、
「元気なら、別にいいんだよ」
ゆっくりとその背を撫で、
「でも……何か、気になっていることがあるんだろう?」
包み込むようにジーナの顔を覗き込む。
訊ね掛けられ、一度は顔を上げてくれたが……
「…………」
結局――
何も話してはくれなかった。
無言で、困ったように眉を顰めて、ジーナは見えない瞳をただ、向けるだけだった。
***
談笑が、場に満ちている。
作品名:彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~ 作家名:自分らしく