彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~
アニタとロッテニーナに連れられ、ジーナも話の輪に加わり、いつの間にかいつもの笑顔を取り戻している。
――今朝、何も話してくれなかったのは
――『邪気』のせいだったのかね……
――それとも
――あたし達には話したくなかったのか……
――アゴルは何か
――気付いているみたいだったけれど……
変わらぬ愛らしい笑顔に眼を細めながら、ふと、そう思う。
でなければ、
『必ず、エイジュを連れて戻ってくる』
あのような言葉を言い置き、娘を託して、一人――行ってしまったりはしないだろう。
開かれた幌幕の向こうに広がる砂の大地……
風に乗って微かに聞こえる、刃のかち合う音。
深い藍色に染まる空には、いつもと同じく広がる、満天の星――
ここで、皆を待つ。
その決断に後悔はない。
皆の意に沿う形になっただけで、自身の本心でもあるのだから……
――みんな……
――必ず無事に、戻って来るんだよ
そっと、胸に手を当てる。
瞳を伏せれば鮮明に、皆の一番の笑顔が瞼に浮かんでくる。
ゼーナは浮かぶ笑顔に口元を綻ばせながら、絶えることのない笑い声に、耳を傾けていた。
*************
「離せっ!! このアマッ!!!」
胸座を掴まれ、宙吊りの状態で、睨みつけてくる賞金稼ぎの男――
足をバタつかせ、逃れようと剣を振り回し、渾身の力で手を引き剥がそうとしている。
――こいつが……
――『風』の能力と『毒』を使い
――イザークを捕らえた男……
――……カイダール
近づく地面を見やり、身を捩り暴れ、体の自由を取り戻そうとするカイダール。
その身に、『嫌な気配』を持つ黒い霞が、寄り集まって来ているのが、視える。
カイダールの『能力』が、増幅されてゆくのが分かる。
増幅された『力』に呼応するかのように――
自身の『力』も、漲ってくるのが分かる……
剣を振り回す手を、空いた左手で掴む。
胸座を掴む手に更に力を籠め、もう一度、地を蹴り中空に身を躍らせる。
漲る『力』に抑え込まれるかのように『感情』が、どこか片隅へと追いやられてゆく。
凍り付く湖面のような『無情』が……満ちてくる――
吹き荒ぶ風が土煙を巻き上げ、通り抜けてゆく。
眼下に広がる、草木一つない荒れ地に叩き付けるように、エイジュはカイダールを投げ落としていた。
「クソがっ!!」
身を翻し、苦も無く地に足を着け、睨みつけながら悪態を吐く、カイダール。
その眼前に、音もなくふわりと降り立つエイジュの脳裏には何故か……昼間の出来事が、想いが――蘇っていた。
***
ただ只管に真っ直ぐな地平線が、果てもなく続いている……
遥か頭上から放たれる、強い陽の光が、皆の影を荒れた大地に落とし込んでゆく。
地面の僅かな凹凸に車輪を取られ、左右に揺れる馬車。
幼い『気』が、自分へと向けられているのが分かる。
迷い、躊躇い、疑問…………
それらの感情が交じり合っているせいだろう、彼女の『気』は、さざめく波のように落ち着きがない。
……同時に、北の地に集まる気配が――
じっとりと纏わり付くような『嫌な気配』が、濃く、強くなっているのも分かる。
――拙いわね……
襲撃が近い……そう感じる。
『あちら側』から何の伝えもないが、恐らく今日、夕刻――襲撃者たちはやって来るに違いない。
『嫌な気配』……『邪気』と共に――
今の『気』の状態のまま、ジーナが『邪気』と接したら、どうなるだろうか……
占者とは言え彼女はまだ幼く、その『占者』としての経験値も、ゼーナと比べれば遥かに少ない。
『邪気』を躱すことや撥ね退けることが、上手く、出来るのだろうか……
それが出来なかった時――どのような影響が彼女に……今のジーナに、現れるのだろうか。
……不安は尽きない、だが、避けることも出来ない。
馬車の中へ探りを入れる。
ゼーナの大きく柔らかな気が、ジーナを包み込むようにしているのが分かる。
ジーナの様子の変化に、彼女も気付いていたのだろう。
アニタとロッテニーナも、ジーナを案じてくれている……
――これで
――解決出来れば、良いのだけれど
心から、そう願う。
彼らを護り抜く為ならば、この身など、どうなろうと構いはしない。
だが、どれだけ覚悟を決めようとも、戦いの最中に措いては些細なことが――不確定な要素が、『命取り』になりかねない……
ジーナは……
同じ年の頃の子供と比べれば、聡明であり、とても、賢い。
分を弁えてもいる……
皆の戦闘中、余計な真似などしないだろうと思えるが――予断を許さない。
……もしも……
もしも襲撃者が、『邪気』を取り込んでいたとしたら――
その『力』を、使い熟せていたとしたら――
どれだけ『能力』が強化されているのか、分かりはしない。
万が一にも、己が敗けることなど有りはしないが、不測の事態は起こりうる。
誰かの命が危険に晒された時、直ぐに救いに行けるのか、どうか……
それが、戦いに参加しないジーナの身に、起こらないとは言えない――――
「あそこの岩場で、少し休憩を取る!」
先頭を行くアゴルの声が、荒れ地の風に乗り流れてゆく。
強い陽光を弾き、白く光る大きな岩が、視界に映る。
移動の間、常となっていた一行の気の張りが、僅かに緩んでいくのが分かる。
皆に、促さなければならない……戦闘の、気構えを。
もう一度、話し合わなければならない……襲撃者への対策を――
切に願う……
事が起きるまでに、いつものジーナを取り戻してくれることを……
もしも、それが叶わなかった時――
ジーナを気遣ってやれる余裕が、あれば良いが……
――あたしに……
ふっと、自嘲の笑みが浮かぶ。
――いけないわね……
ジーナの不安定な『気』に釣られるように、己の『気』まで、安定を欠いているではないか。
徐々に近づく岩場を見やり、今、自身に課せられている『役割』に措いて、『優先』すべきものは何であるのか――
改めて胸に刻み込むように、指先をそっと、宛がってゆく。
『優先すべきは皆の命』
そう、それこそが、今自分がここに在る、『理由』……
「あれ? 姉さん?」
ガーヤの声に、馬車を見やる。
幌幕から顔を覗かせるゼーナと、眼が合う。
その表情の硬さに、彼女も『気付いた』のだと分かる。
軽く頷き、中へと戻ってゆくゼーナ……
二人のやり取りを見て、ガーヤも気付いたのだろう。
「……いよいよだね」
呟くその表情は厳しく、引き締まってゆく。
旋風が遠く……
砂を巻き上げながら流れてゆく。
自身に向けられた幼気な『気』を感じながら、エイジュは旋風の動きを、視界の端で追っていた。
***
ゆっくりと……
暗く沈んだ瞳を、カイダールへと向ける。
視線が交わった刹那――
警戒し、後退るその瞳に、少し……怯えの色が見える。
解せぬのだろう。
作品名:彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~ 作家名:自分らしく