彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~
だが、今、『そんなこと』に気を取られている余裕はない。
アゴルは咄嗟に立ち上がると、ジーナを抱え馬車へと駆け寄り、
「ジーナを頼むっ!!」
まだ、涙に濡れる娘を、ゼーナに託していた。
「――お父さん……」
「アゴルッ!?」
ジーナを受け取り、抱き抱えながら、驚きに瞳を見開き問い質すように名を呼ぶゼーナ。
アゴルは、戸惑いの色を瞳に浮かべる娘とゼーナの顔を、瞬時に見やった後、
「――エイジュを、追う」
そう、応えていた。
耳に飛び込んできた予期せぬ名前に……
場が一瞬、動きを止める。
戸惑いに眉を顰め、問い掛けを口にしようとするゼーナの瞳を強く、見据え――
アゴルは踵を返していた。
「――っ! アゴルッ!」
「待ちなさいっ! アゴルッ!!」
向けた背に、ゼーナとジェイダの声が投げ掛けられる。
出し掛けた足を止め、半身を捩ると、
「ジーナ!」
アゴルは娘の名を呼んだ。
向けられた、涙で潤んだままの瞳を見詰め……
自身を落ち着かせるかのように、アゴルは一つ、息を吐くと、
「必ず、エイジュを連れて戻ってくる」
低く、力強い声音で……
「だから、みんなと一緒に待っていられるな?」
『言い聞かせる』のではなく、ただ『確認』をするかのように、娘に――
ジーナハースに問うていた。
見詰め合う、親子の間に流れる『信頼』という名の沈黙に、誰も……口を挟むことなど出来ない。
状況を把握出来ぬまま、二人は――
ジェイダとゼーナは、ただ、親子のやり取りを見守るしかない。
しゃくり上げながらも返してくれる、ジーナの確かな頷きを見止めると、
「必ず戻りますっ! 後を……頼みますっ!!」
微笑み、そう言い置き、アゴルはエイジュがカイダールを掴み飛び去った方へと、走り出していた。
「アゴル……」
「一体、どうしたというのだ」
もう、見えなくなってしまったアゴルの影を追うように、先を見やるジェイダ……
託されたジーナを抱きながら、ゼーナも、困惑の表情を浮かべている。
「…………エイジュが――」
ジーナの、か細く消え入るような声が、二人の耳朶に届く。
ゼーナに抱かれ、守り石を握り締め、震える声音で……
「あたし……あたしと――お父さんを護って……くれたの――」
そう、口にしていた。
「……エイジュ、が?」
聞き直してくるゼーナに、俯いたまま頷きを返すジーナの、
「石さんが……『占せて』くれた、の――」
体の震えが大きくなってゆく。
「エイジュ……ック、の……髪の毛……ック、が――風に、飛ばされたの……」
言葉の合間に、しゃくり上げる音が聞こえてくる。
「エイジュ……ック、が……き、斬られ……ック、斬られちゃった……の…………」
やがて……
「うぅ……あぁ……あたし、あたし……ック、あた――しのせいで……うぅぅ、あたしの、せいでっ――」
ジーナは堪え切れなくなったのか……
「ごめん、なさい……ック、ごめんな、さいっ――!! 勝手なこと……したから――あたしが……ック、勝手なこと、したからっ!! お父さん、も……ック、エイジュ、も――――うぅ、うぅぅ……わあぁぁっっー……」
胸に溜めた『想い』の全てを絞り出すかのように、苦し気な泣き声を上げていた――――
***
ジーナの昂った感情が収まるまで、どのくらいの時を必要としただろうか……
夜風が、冷えた夜気を運んでくる。
地平線に浮かぶエンナマルナの影。
どれだけ馬を走らせても、一向に近付く気配のなかった『聖地』が、今は手を伸ばせば届く距離に在るかのように、近くに思える。
灯明が、馬車の中を仄明るく照らし出している。
漸く泣き止みはしたが、泣き癖が付き、未だにしゃくり上げているジーナに釣られたかのように、アニタとロッテニーナの二人までもが瞳を涙で潤ませ、幾度も幾度も……皆に謝り続けている。
ジーナの身に纏わり付いた『邪気』に驚き、怯え、彼女を止められなかったことを……
そのせいで、親子の身が危険に晒されてしまったことを……
そして……
エイジュに傷を負わせてしまったことを、深く悔い――重く、責を感じているのだろう。
ジーナに、そしてゼーナに――
ここにはいないアゴル、そしてエイジュに……
重臣方にも、二人は許し請うていた。
ここに居る者の中で一体誰が……
二人を責めることが出来るというのだろうか――
彼女らに全く、責が無いとは言わない。
だが、初めて眼にする薄気味の悪い『存在』に、嫌悪を覚えるなと言うのは、無理な話である。
『邪気』を忌み嫌い避けるのは、『あちら側』に属する者である以上、当然の反応でもあるのだから……
……ジーナも同じだ。
その行為を、責めることなど出来ない。
『邪気』の気配を、それに因る影響を、懸念していたにも拘らず――
何の対策も手も、打てなかった……
この中で、誰よりも『邪気の気配』に気付いていたはずの己に、最も責があると、ゼーナは思っていた。
「……ごめんよ――」
泣き癖がついてしまった、ジーナの小さな体を優しく抱き締め、苦しく、悲しげな瞳を向ける二人に、謝るゼーナ……
その言葉にハッとし、二人は一心に首を横に振り続ける。
『違う』と、言葉に出来ず、首を振る二人に……
「邪気の気配に気付いていたのに、何も出来なかったあたしに一番、責があるんだよ」
済まなそうに笑みを向け、
「だからもう、それ以上……自分を責めるのは止めておくれよ……ね?」
ゼーナはそう、頼んでいた。
「――ゼーナ様……」
「ゼーナ、様……」
恩あるゼーナの言葉に――
零れる涙を拭い、漸くその頬に、微かな笑みを浮かべる二人……
憂いに満ちていた車内が少し、和む。
自責の念に硬くなっていた二人の身が、僅かに解れる。
それを待っていたかのように、
「ゼーナ……提案があるのだが――」
ジェイダがそう、声を掛けてきた。
「何でしょう」
ゼーナの応じに、ジェイダは確認を取るかのようにエンリ、カイノワと頷き合い、
「昼間の話し合いで、我々は何があっても、構わずエンナマルナへと向かうことと……そう決めたのだが――」
少し躊躇いがちに、口を開く。
「ええ、そうですが……」
怪訝そうな面持ちで、言葉を返すゼーナに、
「皆で決めた事を、反故にするようで大変心苦しいのだが…………」
ジェイダは断りを入れると、
「――ここで、皆が来るのを待とうと思う」
少し語気を強め、ハッキリとそう、言い切っていた。
「…………ここで、ですか?」
驚きに少し瞳を見開き、問い返すゼーナの眼を真っ直ぐに見詰め返し、
「翼竜はもういない、追手たちは必ず皆が止めてくれると信じている。ならば、急いでエンナマルナへと向かう理由は、今は無い……それよりも――」
反論されるのを拒むかのように、
「それよりも、ここで皆を――待っていたいのだ……」
言葉を連ねていた。
「……左大公――」
ジェイダの勢いに気圧され、思わず息を呑み……
「お二方も、ですか?」
ゼーナはジェイダと共に並び座る、エンリとカイノワの意思も確かめるように訊ねる。
作品名:彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~ 作家名:自分らしく