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自分らしく
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彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~

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 口の中で、罵りの言葉を噛み潰す。
 静かに迫る女に合わせ、後退る……
 視界の端に、己の手が映る。
 嵌められている指輪の蓋が、『全て開いている』のが見える――
 ……女は確かに、『毒』を食らっていた。
 放った『毒』に依る症状を、引き起こしていた。
 あの男、『イザーク』にも、この『毒』は確かに効いていたのだ……
 ……なのに――
 ……なのに何故――
 
 この女は今、『平然』と、立っていられるのか――――!?

「――ッ!?」

 踏み締められた砂の音に、ハッとする。
 剣を振り被り、躍り掛かってくる女に辛うじて反応し、斬撃を受け止める。
 ぶつかり合う金属音――
 弾け、舞い散る火花――
 畳み掛けてくる攻撃を受け流し、弾きながら……脳裏に蘇る光景に繰り返し、答えを求めた。
 『これは、何かの間違いだ』と……
 『こんなはずはない』――と…… 

          ***

 数時前……
 陽が中天に懸かる頃だった……北の空に翼竜が現れたのは――
 頭上をゆっくりと旋回しながら、降りてくる六羽の翼竜。
 地上近くで大きく羽搏き、土埃を巻き上げて地面へと足を着ける一羽の翼竜に倣って、残りの五羽も地上へとその足を着けてゆく。
 ドニヤとの国境近く、森を抜けた先に在る開けた地に……
 グゼナの兵隊長と交わした、『取り引き』の場に――

「……約束通り、翼竜を連れて来た」
 最初に降り立った翼竜の背に跨ったまま、氷の槍で足止めを食らっていたあのグゼナ軍の兵隊長が、居丈高にものを言ってくる。
 物珍しそうに、翼竜の周りを見回る手下どもを見下ろし、
「翼竜は稀なる珍種――その上臆病で戦いには不向きな生き物だ……それを貸し与えるんだ、約束、違えるなよ?」
 威圧するように指先を向ける。
「…………へっ」
 その言葉と表情から透けて見える。
 『賞金稼ぎ』ごときに『舐められたくない』――そんな、くだらない自尊心が……
 虚勢を張り、当たり前のように上から物を言う軍の男が、滑稽でならない。
 たった一人の女の能力者に、してやられたというのに――
 思わず、鼻先で笑い捨てた。
「分かっているさ、約束は守る。翼竜も、無事に返してやるよ」
 おれが『負ける』ことなど、有り得ないのだから……
 ……とは言え――
 翼竜を借り受けることが出来なければ、いくらおれでも、どうにもならんことは確かだ。
 どう頑張ったところで、今から奴らに追いつくことなど出来ない。
 ザーゴ国の左大公、ジェイダを筆頭とした『一行』に……
 ……ナーダの城での御前試合――あの屈辱……決して、忘れない。
 必ず、借りは返す。
 その為にも、あいつらを今ここで、逃すわけにはいかない。
 『聖地エンナマルナ』へ、逃れさせるわけにはいかない――
 ドニヤ国に帰属してはいるが、エンナマルナは古くから自治権を許され、国の内外からも『聖地』として崇められている。
 その、誇り高きエンナマルナの住人は、たとえ帰属している『国』からの命であろうと、族長が首を縦に振らなければ、誰一人としてその命に従うことはないという話だ。
 結果、たとえ争うことになろうとも……だ。
 それに、エンナマルナの族長は若く、正義感も強いと聞いている。
 穏健派で知られる重臣たちが救けを求めれば、当然のように匿うだろう。
 そうなれば、簡単に手出しなど出来なくなる。
 一介の賞金稼ぎに過ぎない今の立場では、手に余る相手だ……

「……その、約束の内容は、覚えているだろうな」
 
 相も変わらぬ上からの物言いが鼻につくが、
「ゼーナとかいう占者の女だけ、生かしておけばいいんだろう?」
 素直に応えておく。
 こいつを煽るような言葉を返したところで、こちらには何の得もない。
「そうだ。大臣達の首も、忘れるなよ?」
 無駄に一言付け加え、念でも押しているつもりなのか……
 漸く、兵隊長は翼竜の手綱を取った。
「二日後、同じ刻にまた来る。その時に望み通りの金をやろう。占者ゼーナと、大臣の首二つと引き換えにな」
 翼を大きく広げ、離陸の姿勢に入る翼竜……
「……安心しな、あんたの面子はおれが守ってやるからよ」
 腰高な態度につい――冷笑を浴びせてしまう。
 一瞬、眉間に皺を寄せるのが見えたが、兵隊長はそのまま何も言わず、翼竜を飛び立たせた。

「ふん……あれだけの数の兵士がいながら、たった一人の能力者に手も足も出なかったくせに、高慢な態度を取りやがって……」
 北の空、小さな一つの点となった翼竜に悪態を吐き捨てる。
「ホントですね、頭」
「あれで軍の兵隊長だってんだから、情けねぇ」
「ま、だから、頭に頼るしかないんでしょうがね」
 何かにつけ高飛車な軍の兵士が、たかが賞金稼ぎと蔑んでいる相手に頼るしかない様に、胸のすく思いがするのだろう。
 口々に、姿の見えなくなった者を罵り、嘲り……地に残った翼竜の手綱を取りながら、まるで天下でも取ったかのように喜び、騒ぎ立てている。
 翼竜を見上げ、笑い合う様に、自然と頬が緩む。

 ――まぁ……そうしていられるのも
 ――今の内だ……

 嘲りの籠った笑みが浮かぶのが、自分でも分かる。
 
 ――おれにとって
 ――これは返り咲く為の布石に過ぎん
 ――おまえらはその為の手駒……
 
 ――精々頑張ってくれよ?
 ――このおれ様の為に……な

 手を伸ばせば届く距離に、ようやく訪れた『チャンス』――
 湧き上がる『欲』が、己の身の内に漲る『力』を、更に高めてくれているような気がする。

 ――これだ
 ――この『力』だ……
 ――この『力』さえあれば、おれは何だってやれる

 確かめるように、両の拳を握る。
 蒼く澄んだ空を仰げば、黒い、『眼』を持つ霞のようなモノが、こちらを窺うように頭上を漂っているのが視える。
 いつから――その霞が視えるようになったのか、覚えていない。
 だが、『その頃』から明らかに、己の『能力(ちから)』が増した。
 求めれば求めただけ身の内に宿り、宿った分、際限など無いように『能力(ちから)』は増していった。

 ――あの氷の槍でさえ……
 ――溶けるのを待つしかなかった氷の槍でさえ
 ――この『力』の前では呆気なく消え去った……

 グゼナの兵に『何とかしてやる』とは言ったが、出来るかどうかは半信半疑だった。
 だが、あの霞から齎される『力』は、十分に期待に応えてくれた。
 翳した手から、己の物とは思えぬほどの『気』が放たれ、即座に氷槍を砕いていた。
 グゼナの兵の驚きに満ちた表情が脳裏に浮かぶ、得体の知れぬ『力』に対する恐れを、畏怖の眼差しを向けられ、何とも言えぬ高揚感が身体を駆け巡った。
 この『力』さえあれば……と――

          ***

      キィンッ――……

「――ッ!!」
 弾き飛ばされた剣が、宙を舞う。
 手が、痛みに痺れる。
 女の蹴りが、鳩尾を狙っている……
 反射的に身構え、咄嗟に『バリア』を張った――
 だが直ぐに、そんなものは何の役にも立たないと悟った。

「ぐ、はっ……!」

 深々と、己の腹に減り込む女の脚が、嫌でも眼に入る。
 あの『力』が、抜けてゆく……