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自分らしく
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彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~

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 眼前に立ち、微笑む彼の顔からずっと……
「――どうして、言う通りにしてくれなかったの……?」
 ずっと、眼が離せなかった。

「間に合って良かった――」

 大きく深く……
 深呼吸を繰り返し、息を整えながら彼が口にした言葉に……
 思わず、口元が綻ぶ。
 あれほど心に満ちていた『無情』が、影を潜めてゆくのが分かる。
 額に浮かぶ汗を――
 頬を伝い流れ落ちる汗を、手の甲で拭う所作を眼で追い、
「まさか……」
 眉を顰め、
「あたしの後を、追って来たと言うの?」
 エイジュは何処か、嬉しそうに――
「この男を、殺させない為に……」
 いつもの、小首を傾げた笑みを、見せていた。

          ***

「ああ……」

 安堵の、深い溜め息と共に頷く……
 カイダールに突き付けた剣を鞘に納めながら、『いつもの』――
 小首を傾げた『いつもの』笑みを見せてくれたことが、嬉しく思える。 
 地に横たわり、痛みに顔を歪め、力の無い瞳を向けるカイダールを一瞥し、
「これだけ痛めつければ、もう十分だろう?」
 まるで言い聞かせるように、エイジュにそう、問う。
 ふっ……と、微笑みながら頷く彼女の瞳の色も、『いつもの』……
 見慣れた『いつもの』、美しい漆黒に戻っている。

 ――良かった……

 それだけだった。
 本当に……心の底から本当に――
 そう、思えた。

「…………殺せ」

 浅く速い呼吸音と共に聞こえた力の無い呟きに、アゴルはもう一度、カイダールを見やる。
 その瞳を見返し、
「な……情けなど、いらん――」
 カイダールは唇を引き結んでいた。
「違う」
 悔し気な響きの籠った声音に、アゴルは即座に首を横に振り、
「単に、無益な殺生はしないと言うだけだ」
 静かに、けれども意志の籠った言葉を返す。
 強い光に満ちた双眸に、カイダールは一瞬、返す言葉を失い……
 悔し紛れに嘲りの笑みを口元に浮かべ、
「……甘いな」
 鼻先で嗤いながら、
「そんな考えじゃ、いつか……命を、落とすぞ――」
 忠告とも取れる言葉を吐き捨てていた。
 
 元『闘士』であるという……
 それとも、王族の近衛だったという自尊心からだろうか――
 苦痛を隠し虚勢を張るカイダールに、
「そうかもしれんな」
 アゴルはあっさりと、同意を示していた。
 訝し気に眉根を寄せるカイダールに、
「だが、考えを変えるつもりはない」
 口元を緩め、
「簡単に死ぬつもりもない」
 言葉を続ける――
「おれ達は一人じゃない」
 言葉を続けながらエイジュを見やり、
「今の世に抗い、共感し、共に進む仲間がいる」
 息を一つ吐き、
「自分の為に――そして、他人の為に……」
 満面の笑みを見せる。
「自分の中の『想い』に準じ、その想いのままに行動することの出来る仲間がな……」
 無言で自分の言葉に耳を傾けている、二人に――――

 『信念』と――
 そう思えるような強く、揺ぎ無い『想い』。
 アゴルの言葉に、カイダールはバラゴの言葉とその瞳を思い返していた。
「は……はは――」
 力の無い笑いが、口から零れてゆく。
 『自分の為に』……それは誰でもそうだろう。
 『他人の為に』動くなど、考えたこともない。
 そんな『甘い』ことを言っていては、直ぐにその『他人』に蹴落とされ、痛い目を見るだけだ。
 ……そう思っていた。
 だが、今の己の様はどうだ。
 己の為に『力』を求め、己の為だけに『力』を使った。
 その結果がこれだ。
 こんな甘い考えの奴らに、完膚なきまでに叩きのめされた――
 これが、『現実』だ。
 
 ほんの数ヶ月前のことの筈なのに……
 あの御前試合の日が、何年も前の遠い出来事のように思える。
 ……静かに瞳を閉じる。
 瞼に浮かぶ、華やかな記憶-――

 カイダールはその記憶を押し込めるように、手の平をそっと、額へと宛がっていた。

          *************

 背を丸めて座り込み、見上げてくるその瞳に、恨めしそうな光が宿っている。
 衣服は乱れ、汚れており、顔や腕に残る生傷や痣が、表情と相まってやけに痛々しく見える……
「これだけあれば、近場の街まで行けるだろう」
「エイジュの話しじゃ、東の方にもオアシスはあるそうだし、きっと十分だよ」
 馬車の中……
 叩きのめされ戦意を失い、不貞腐れたように身を寄せ合っている賞金稼ぎたち――
 彼等と共に積まれた水と食料を見やりながら、アゴルとガーヤは互いにそう言い、頷き合っていた。
「どこまでも……甘い連中だな……」
 蔑みの籠った呟きに、眼を向ける。
 折れた腕に添え木をされ、横たわるカイダールの姿が視界に入る。
 その身の内に宿っていた『邪気』が、全て抜けてしまった為だろうか……
 ほんの数時前の彼と同一人物とは思えぬほどに、『気』が鎮まっている。
 他の連中も同じだ。
 敗北した口惜しさが顔に滲み出てはいるが、嫌悪を覚えるほどの気配はもう、感じられない。
 ガーヤはフッ……と笑みを浮かべると、
「甘くて結構だよ」
 訝し気な表情を向けるカイダールに……
「あたしらは、あたしらの信じる通りの道を進む。それだけのことなんだからね」
 そう、言葉を返していた。

          ***

「エイジュ……」
 ガラガラと……
 鈍く乾いた音を立て、賞金稼ぎたちを乗せた馬車が、東へと向かう――
 車体を左右に揺らしながら、次第に離れて行く様を皆と並んで見送り……
「あんた――ほんとに大丈夫なのかい?」
 ガーヤは彼女の様子を窺いながら、訊ね掛けていた。

 エイジュの体をあちこち見回し、確認するように触れながら……
「あいつの毒、食らっちまったんだろ?」
 心配そうに、顔を覗き込んでくる。
 鼻先まで寄せられた顔に思わず苦笑を浮かべ、
「――大丈夫、本当に大丈夫よ……」
 肩に掛けた男物の上着の襟を持ち直し、 
「自分で、治せるから……」
 エイジュは仄かに青く光る右手を、いつもの笑みと共に、ガーヤに差し出して見せていた。
 『心配しないで』と……言葉にする代わりに、軽く右手を振るエイジュ。
「けどよ……」
 そんな彼女を、
「背中も斬られたって、聞いたぞ?」
 案じるようにバラゴが……
「その髪の毛も」
 バラゴの言葉に乗るように、
「そん時に切られたって、アゴルから――」
 バーナダムが……
「休んでいなくて、大丈夫ですか?」
 ロンタルナと、
「もう、警戒しなくてもいいんだから、座っていた方がいいんじゃないかな」
 コーリキも歩み寄って来る。
 心配してくれながらも、その『気遣い』が重くならぬよう、笑みを絶やさず、声を掛けてくれる面々……
 どこまでも優しく明るい、『光』に満ちた心根に、自然とこちらも笑顔になってしまう。
 『無情』に満たされかけ、冷たく冷えていた心を……彼らの『温もり』がやんわりと、包んでくれる。
 肩に掛けられた、彼の――――アゴルの上着のように…………

 柔らかな笑みを湛えた面を、ゆっくりと横に振りながら、
「あたしよりも……あなた達の方は、どうなの?」
 そう、訊ね返し……