彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~
エイジュは集まってくれた皆を見回し、擦り傷や痣が残る顔を、包帯が巻かれている足や腕に少し、眉を顰める。
彼女の問い掛けに、無言で互いの体の様を見合い……
傷が残る顔、包帯の巻かれた手足に眼を向けた後、
「なんてことねぇよ、こんなの」
「そうだよ、もう手当もしたしねぇ」
「ちょっと疲れてるけど」
「おれ達は大丈夫ですよ」
「そうそう、大した怪我なんてしてないから」
皆、そう言って軽く笑い飛ばしてしまう。
互いの傷を『勲章』のように見せ合い、堂々と、誇らしげに――
こちらまで、誇らしく思えてくるほどに……
羨ましく思えるほどに、満面の笑みを見せてくれる。
「そう……?」
小首を傾げ、微笑みながら思う。
「なら、良いのだけれど――」
彼らは自分『なんか』よりもずっと、ずっと『強い』のではないかと……
***
「ちょっといいか? エイジュ……」
穏やかに皆と話す彼女の背に、少し、躊躇いがちに、声を掛ける。
「…………何かしら――?」
物憂げに……
少し、気怠そうに――
振り向くエイジュの髪を、風が、弄んでいる。
……煩そうに髪を抑え、その風に上着が飛ばされぬよう襟元を掴み、ゆっくりと、こちらに歩み寄って来るエイジュの――
彼女の肩にある己の上着を見やりながら、
「すまん、少し待っててくれ」
一言、断りを入れると、アゴルはゼーナに抱かれている娘の方へと、爪先を向けた。
自然と――
皆の視線が集まるのが分かる。
ゼーナに抱かれ待つ娘……ジーナの表情が、少し強張っているのも良く見て取れる。
「……お父さん――」
見えなくても、気配で分かるのだろう。
面前で立ち止まると、不安気に見上げてくる。
アゴルはいつもと同じく、愛しい娘の瞳を見詰め……
「……分かるな、ジーナ」
いつもの声音で、だが、少し厳しい響きを込め――
娘の頷きを、待った。
何かを確かめるように、ゼーナの顔を見やるジーナ。
見えなくとも、ゼーナの大らかな笑みを、温かな『気』を感じ取ったのだろうか……
俯き、キュッと唇を噛み締め、守り石の入った袋を握り締め――
意を固めたように顔を上げると、しっかりと、頷きを返してくる。
その頷きに笑みを浮かべ、
「さぁ、おいで」
アゴルは娘に大きな手を、差し伸べていた。
いつもよりも――頬の色が青白いように思える。
月の、仄かに青い光を受け、待つ、エイジュの前に、ジーナをそっと降ろす。
片膝を着き、娘の顔を覗き込みながら、
「自分で言えるな? ジーナ」
優しく微笑み、問い掛ける……
無言で――
けれども確かな頷きを返してくれる娘、ジーナハース。
「よし、いい子だ」
アゴルは嬉しそうにジーナの頭を撫で、満面の笑みを浮かべ……
「すまないが、ジーナの話を聞いてやってくれまいか」
困ったように眉を顰め佇むエイジュを、見上げていた。
***
戸惑いながら……アゴルを見やり――
躊躇いながら……周りを見回し――
ジーナの話に耳を傾けるよう、促す皆の笑みに押され――
緊張に身を固くしているジーナの前に、エイジュはゆっくりと両膝を着いてゆく。
父アゴルに肩を抱かれ、母の形見である守り石の入った青い袋を握り締め……
見ることの出来ない瞳で、何かを『視る』かのように、見詰めてくるジーナ――
健気で、幼気で……一生懸命勇気を振り絞ろうとしているその姿に、口の端が緩む。
軽い……
眩暈を感じながら、
「……話しって、何かしら?」
エイジュはいつもの小首を傾げた笑みを、ジーナに見せていた。
言葉が、上手く出てこない。
口にしたい『想い』は、たくさんあるはずなのに……
何からどう言えば良いのか、素直に言ってしまって良いのかも分からず……
困り果て――ただ、唇を動かすだけ……
「大丈夫だ、ジーナ」
温かな、父の声が耳に届く。
ほんの少し、肩を抱いてくれる手に、力を籠めてくれる。
それだけで――
それだけなのに、たくさんの勇気を貰えた気がする。
コクンと……
小さく、自分に頷き掛ける。
黙って、待ってくれているエイジュを見上げ、
「――どうしてって……思ったの」
ジーナは最初の一言を、
「どうしてエイジュはあたしに、『占い』を頼んでくれなかったのって、思ったの……」
心の中に蟠る一番の『想い』を、一息に口にしていた。
「占い……?」
問い返してくれるエイジュに頷きを返し、
「い、いつも、ゼーナと一緒に占いをしてたの。グゼナの大臣方を見つける時も、グゼナを出る時も……どこの道を通ったらいいのか、どこへ行ったらいいのか――ドニヤに入ってからも、ずっと……」
彼女の声が聴こえる方へ、
「ずっと、一緒に占いをしてきたの。グゼナの兵に追いかけられた時も、あの場所で待っていれば、助けがくるって……二人で占ったの……」
彼女の眼差しを感じる方へ、瞳を向ける。
「だから、だからどうしてって思ったの――ゼーナには占いを頼んだのに、どうしてあたしには頼んでくれなかったのって…………」
心のままに、
「ずっと、考えてたの……あたしがまだ子供だから、エイジュは占いを頼まなかったのかなって……」
思いのままに……
「……あたしの占いを……信じてもらえてないのかなって――――」
言葉を口にする。
「すごく……嫌だったの……」
胸が、苦しくなる……
「でも、そんなことを思うのが、とてもいけないことのような気がして――――」
喉の奥が、苦しくなってくる。
「……お父さんにも、誰にも、何も言えなくて……」
色んな気持ちが溢れて、
「翼竜が来て……エイジュが一人で残って――エイジュは強いから大丈夫って思ってるのに、もうエイジュには会えないんじゃないかって……」
言葉が、止まらない。
「すごく、不安で――ずっと、ずっとエイジュのこと占って……でも、真っ暗で……何も、占えなくて……そうしたら、どうしても……会い、たくて……」
まるで、何かに急かされているかのように、閊えながら、もどかしく唇を動かしながら……
「…………ごめんなさい――――」
堪えていた涙と共に、
「勝手なことして……ごめんなさい――」
ジーナは謝りの言葉を、口にしていた。
***
小さな体が、震えている……
相手が何を思い、どんな言葉が返って来るのか――
分からないことを待つのが、怖いのだろう。
『自分が悪い』と自責の念に駆られているのだから尚更、怖いに違いない。
静かに、瞼を閉じる。
荒れ地を一人……
フラフラと覚束ない足取りで歩くジーナの姿が、脳裏に浮かぶ。
『邪気』に纏わり付かれ、『我』を失くし、歩く、その様が――
ジーナを追い駆け、必死にその背に手を伸ばす、アゴルの表情が……
剣を振り上げ、勝ち誇ったような嗤い声を上げるカイダールが……
娘を護り抱え蹲るアゴルの背に、今にも振り下ろされようとしている刃の煌めきが――
瞼を閉じれば鮮明に、蘇って来る。
『黒チモ』を使わなければ、恐らく間に合わなかった……
作品名:彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~ 作家名:自分らしく