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自分らしく
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彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~

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 ――とにかく今は……
 ――この男を殺さない程度に
 ――足止めをしないと

 ――馬車が
 ――エンナマルナに着くまでは……

 それが今の自分の役割だと、言い聞かせるようにエイジュは剣を振るっていた。

「うおぉおおぉっ!!」

 男の怒号が響く。
 有りっ丈の力を籠めた反撃に、僅かに体勢に『隙』が出来た。
 ……その『隙』を、狙われた。

「――――っ!!」

 纏わり付く『風』……
 意味もなく前に突き出されたように見える、男の拳――
 その指に嵌められていた指輪の『蓋』が、全て開かれているのが視界に入った瞬間……
 エイジュの脳裏に、あの『野営』の夜の皆の話しが、蘇ってきた。

 ――まさか……
 ――この男が……

 『毒』を使い、イザークを捕らえた男……

 ――……カイダール!!

 咄嗟に口を手で塞ぐ。
 だが、直ぐに無駄だと分かる。
 既に『吸って』しまっている。
 【天上鬼】の力を持つイザークでさえ、『一度』はこの毒の餌食となった。

 ――あたしは例外……
 ――と言う訳にはいかないわね

 『人』の体を持つ以上、それは、避けられない……
 
 微かに、手足が痺れ始めた。
 眉間に皺を寄せ、カイダールを睨みつける。
 『毒』の効き目を確信した、勝ち誇った笑みが頬に張り付いたその顔を……

「安心しな、死にはしねぇからよ。手足が痺れ始めたんだろ? あとは目が見えなくなって気が遠くなるだけだ……事を終えたら戻ってきて、始末してやるよ……」

 下卑た嗤い声を高らかに上げ、砂地を蹴るカイダールの背中が、霞む瞳に映る。
 ……膝が、地に触れる――
 もう、視力が失われている。
 エイジュは右手を胸に当て、静かに瞼を閉じ、意識を……
 ……精神を、集中させ始めていた。

          *************

 砂地を蹴り、馬車を追う――
 陽は完全に地平の下へと沈み、残照もやがて消え去るだろう。
 カイダールは地に残る轍の行く先を見据え、舌打ちをしていた。

 ――翼竜が
 ――こんなに憶病な生き物だったとは……

 予想外とはこのことだ。
 グゼナの兵からも、『翼竜は臆病な生き物だ』とは聞いていたが、まさかこれほどとは……
 自分よりも、遥かに小さな槍が体を掠めた程度で、怯えてしまうとは――
 ……エンナマルナの方角へと、眼を向ける。
 重臣たちを乗せた馬車とは、かなり、離された……
 翼竜さえいればなんということのない距離だが、『普通の人間』の足では、到底追い付けない。
 奴らはこれを見越して翼竜を驚かせ、怯えさせ、飛び去らせた――

 ――ムカつく野郎どもだ……

 ……護衛の中に、戦闘経験の豊富な者がいる。
 翼竜のことについても、詳しい者が恐らく、いる。
 でなければ、仮に『占い』を踏まえて立てられた戦術だったとしても、こうも上手く、事を進められる訳がない。
 …………苛立ちが収まらない。
 『力』ではなく、『知識』と『知略』に依る者たちに――
 恐らく、『腕』も立つであろう、その者たちに……

 剣の打ち合う音が、風に乗って聞こえてくる。
 多数の人間が立ち回り、荒らされた地から、土煙が重く立ち込めている。
 手下たちが重臣の護衛どもと、戦っているのだと分かる。 
 ……翼竜を失った今、『馬』はどうしても必要だった。
 賞金の懸かった『首』を持ち帰る為にも――
 その『為』には、
 
 ――奴らの乗っていた馬を奪うしかないが……

 手下たちの腕が『その者』たちに通用するかどうか――
 懸念が拭えなかった。
 
          ***

 案の定――手古摺っていた。
 誰一人として、馬を奪えていない。
 それどころか肝心の馬の姿すら、近辺には見当たらない。
 賞金稼ぎ程度の腕では、戦い慣れた者たちに敵うはずもないが、だとしても……
 一頭も奪えていないという事実に、腹が立つ。
 地を蹴り、更に距離を詰め……
「何やってやがるっ! おまえらっ!!」
 カイダールは思わず、怒鳴り散らしていた。
 敵、味方問わず、全員の動きが止まる。
 八人の戦士の眼が、一斉にこちらを向く。
「頭ぁっ!!」
 手下たちの、安堵の交じった声が……
「あっ!!」
 護衛どもからは焦りの交じった驚きの声が、聴こえてくる。
「てめぇっ! カイダールじゃねぇかっ!!」
 次いで、耳朶を捉えた聞き覚えのある声に――
「あぁっ!?」
 カイダールは足を止め、その声の主を睨みつけていた。

 一際目立つ、大きな体躯。
 厳つい相貌。
 年齢とは不相応に禿げ上がった頭髪……
 その全てに、見覚えがある。
「……バラゴ――」
 思わず、口を吐いて出た名に眉を顰め、カイダールは改めて、彼と共にいる者どもを見回していた。
 他の面々も、一人、女の戦士を除いては皆、見覚えのある者たちばかりだ。
 忌々しい記憶と共に嘲りの笑みが、込み上げてくる。
 御前試合の日、『近衛』という身分も立場も捨て、裏切った男。
 その結果――『賞金首』となり、追われる立場となった左大公たちと行動を共にするしかなくなった、『憐れ』な男だと……そんな想いがカイダールに優越感を抱かせる。
「……クックックッ――」
 これが、『ナーダ様お気に入りの近衛』にまで成り上がった男の、成れの果てなのかと思うと……
 心の底から起こる蔑みの笑いを、抑えることが出来なかった。
 口元を歪め、
「貴様も、零落れたもんだな……」
 見下す。
 ムッと、顔を歪めるバラゴに、
「どうだ? おれと一緒に来るか?」
 憐みを籠めて問い掛ける。
「今からでも遅くはない。左大公やグゼナの重臣どもの首を持っていけば、また、ナーダ様に『近衛』として召し上げて貰えるだろうからな」
 まるで……
 腹を空かせ苛立つ獣に、餌でもチラつかせるかのように、カイダールは言葉を並べ立てていた。

 沈黙が……
 二人の間に、不穏な空気を漂わせている。
 息を呑む音が――
 出し掛けた言葉を無理に飲み込む音が、バラゴを囲む者たちから聞こえてくる……
 
 徐に構えを解き、
「けっ……」
 嫌悪を籠め、態とらしく大袈裟に、地に唾を吐く……
「賞金稼ぎになんかに成り下がったてめぇに、言われたくねぇな」
 曇りのない、強い光を放つ瞳で見据え返し、
「それにおれは、後悔なんかしてねぇんだよ」
 拳を握り、
「ナーダみたいな『クソ野郎』の下で近衛をしてた頃よりもなぁ」
 バラゴは忌々しげにそう吐き捨てると、
「今の方がずっと、ずぅっと! 面白れぇんだよっ!!」
 カイダールに剣先を向けてそう、言い切っていた。

「クソが……」
 『迷い』の欠片も見せない言動に、虫唾が走る。
「正義漢面しやがって――」
 ナーダの下で近衛をしていた頃にはなかった『充足感』が、今のバラゴには満ち溢れているように思える。
 他の者たちもそうだ。
 彼と同じ『光』を、その瞳に宿している。
 己が思う『道』を選び、己の思う通りにその『道』を歩んでいるからだろうか……
 だが、国を追われ地位も権力も失い、『賞金首』となった者たちに与することが何故、『面白い』と言えるのか――